小説 #24 草間彌生とノワール小説。
文芸エージェントのアルジズは、美術館のミュージアムショップにいる。
草間彌生を取り上げた書籍がいくつかあり、そのうちの一冊を購入する。
彼女はショップのぱりっとした袋を抱えて、迷いのない足取りで階上のカフェへ向かう。
窓辺のカウンター席でじっくりと本を読もうというのだ。
ややあって、アルジズの仕事仲間である、ライターのソルが合流する。
「やあ、君も来てたの」
「Hi」アルジズが僕を見上げて、にっこりする。
アルジズの挨拶はいつものように簡潔だ。いちいち驚かないし、わたしの無聊をなぐさめるために現れてくれたのよね?といった按配なのだ。歓迎されているのは、うれしい。
それで彼女は早速、隣へ座った僕に向かって話を始める。
「草間彌生なのだけど、小さい時分から幻覚や幻聴に悩まされていたのね」
僕は頷く。
「あの異形のかぼちゃや水玉はどこから生じたと思う?」
「草間彌生の脳内からだろう?」僕は最小限の答えをして、アルジズが語るのを待つ。
「わたしの考えにすぎないけど、彼女は自分を襲ってくる幻覚だとか幻聴を、形のあるものに昇華させたんじゃないかな。成敗するっていうか」
「あの独特の、繰り返し現れるモチーフは、草間彌生にとっての護符のようなものでもある、とどこかで読んだことがあるけど」
「悪役は、成敗された暁には、トレーディングカードのようにして持ち主たる草間彌生に箔を付けるのよ」アルジズは子どものように目を輝かせる。
「だから、たくさん持っていると、護符にもなるのか」僕は納得する。
アルジズは手元の飲み物の、ラテアートの模様をくるくると崩す。
「すごいわね。彼女のふんばりというか、対峙する勇気というか。がっつり取っ組み合っていて、ジリジリと音が聞こえてきそうよ」
「かぼちゃから」
「かぼちゃと草間彌生から」アルジズが頷く。
「それに、彼女自身も異形なフォルムにされている。彼女自身もかぼちゃになっているのねぇ。成敗された異形・・・」
「なるほど」
僕らはそれぞれの飲み物を手にし、静かになる。
「黒幕って、勝手にいることにしてもいいのよね?」
「ん?」
「わたしは、草間彌生のような源泉を持ちえないけど、なんかどこかに黒幕がいることにしてみたいな」
「千葉雅也が、黒幕を措定すればノワールになるって言っていたよ。おおざっぱには」
「だから、君も、悪い奴を捏造すれば、ノワールな小説が書けるよ。長編向きだと思うな」
「あのさ、人のことを、悪人だと思うって、タブーよね?一応のところ。で、そのタブーを侵犯する。そこが潔いというか。慰撫される感じがする」
「うん」
「タブーなんて言うと大げさかもしれないけど。ひと様を悪く言っちゃいけません、的なルールがあるじゃない?やっぱり」
「あぁ、だから、悪役と言ってはいけない感じの、見た目はよさそうなヤツを、悪役視してみたいんだね、それは」
「ん~、そうかな。何しろ、わたしは草間彌生がうらやましい」アルジズは今日はずいぶんと草間彌生びいきだ。
「ならば、君も書いたらいいよ、脳髄がジンジン震えるような、エルロイばりのノワールを!」僕はアルジズの背中をそっとたたく。
「そうね。悪役、悪役・・・」アルジズは頬杖をついて夢想を始める。僕はもう帰ったほうがよさそうだ。