見出し画像

宮澤ひなた「お母さんと一緒にご飯を食べる時間が嬉しかった」(後編)|ひとり親家庭で励んだサッカー選手

宮澤ひなた選手のインタビュー後編です。

前編はこちら
(記事:守本和宏 | 写真:薄田直樹)

◆コミュニケーションがあれば、きっとうまくいく

子どもにどこまで家庭の状況を話すのか、気を遣わせず好きなこと楽しんでもらうために、どこまで事情を話すのかは難しい問題。宮澤選手は、そんな難問も、親子で日常的に会話を交わす中で自然に乗り越えてきました。
 
ーー お母さんはどんな人でしたか?

宮澤
一言で言えば、「強い人」ですね。お金の話ができるようになるのは、やっぱり自分が大人になってから。ただ、小さな頃からあまり隠し事がない家庭で、お母さんも辛い時は辛いと言っていました。だから、「サッカーやめて」といった話は基本的になかったから、自分たちもサッカーに専念できたのはあると思います。

ーー お母さんから、経済的に厳しいといった状況は伝えられていましたか?子どもが気遣うだろうから、どこまで共有して良いのか悩む親も多いと聞きます。

宮澤
その「遠征行けなくてごめんね」と言われた時ぐらいですね。でも実際、自分がお母さんに経済的に厳しいって小さな頃に言われたら、どうしてたかな?多分、その立場になったら、どこかプレーできるところを探してもらっていたかもしれないです。クラブチームだとお金がかかるなら、部活でやる、などの判断をしていたと思いますね。
 
ーー それも会話があるから生まれる選択肢ですよね。

宮澤
家庭の事情って切り離せない理由だと思いますが、工夫できることはあると思う。ぶっちゃけ、お母さんに聞いたんですよ。「サッカーするお金が払えないご家庭があるみたいなんだけど、どうだった」って。そしたら、「もうそれは親が頑張るしかないでしょ。子どもがやりたいことはやらせる。お金が払えないことは絶対なくて、どこかで我慢すればどうにかなると思うよ」って言われて、何も言えなかった。「お母さん、強いな」って思いました。
 
ーー 様々な難しい局面も結局、親子で相談して決められたらいいですよね。

宮澤
そうですね。ここは払えないなら、違うクラブに行くよとか。そのコミュニケーションがあれば、多分うまくいきそうな気はします。

◆お母さんが今、笑っている姿を見るのが嬉しい

経済的に厳しい家庭の保護者からは、困難な家庭で育って成功した選手が、どんな風に親と接していたのか聞きたい、という声があります。実際に親になれば、子どもとの距離感は難しいもの。親は、子どものころの宮澤ひなた選手と、どんな関係を作っていたのでしょうか。
 
ーー お母さんは、どうひなたさんを応援してくれましたか。試合とか見に来ましたか?

宮澤
来ないですよ(笑)働いてますしね。代表になってから、国内の試合に来てくれたりしますけど、当時は全然。海外も来たことないですね。ワールドカップも来てないです。
 
ーー ワードカップ来てないんですか?

宮澤
パブリックビューイングで見てましたね(笑)。行きたい気持ちはあるけど、カメラとかあると全力で喜べないから、家で見たいとか言ってました。「楽しみなさい」とか「ママ、見てるよ」と言われるぐらいです。

ーー 壁にぶつかった時、サポートしてくれたなどありますか?

宮澤
「ママはひなたの人生をサポートするだけだから」という感じで、見守ってくれていた感じですね。中学時代は大磯まで通っていて、定期代も高かったですけど、「そこに入るなら帰ってきて洗濯は自分でやりなさい」とか、交換条件を出してもらっていました。「自分がやりたいことを自由にやらせてもらう」代わりに、できることは自分でやっていた感じです。
 
ーー あくまで本人の意思や決定を優先して応援してくれていた。

宮澤
「それで平気?」ぐらいは聞いてきますけど、決してお母さんが思う道に行かせようとはしなかったですね。たぶん、自分の思うレールには乗せたくないんだと思います。
 
ーー 母親がしてくれて嬉しかったことなどありますか?

宮澤
やっぱり一緒にご飯を食べる時間が、嬉しかったかな。一人でご飯食べてもつまらないし、今はイギリスなので特にそう思います。誰かが前に座っているだけでも嬉しい。そういう環境を作ってもらえたのが、すごく幸せだったな、と思います。
 
ーー それはきっとお母さんにとっても、嬉しい記憶でしょうね。

宮澤
今はサッカーを通じて、お母さんが試合に見に来てくれたり、「ひなたにサッカーやらせて良かった」と言ってもらえる時がある。試合を見て楽しいと言ってもらえるので、どうせならお母さんにも、今を楽しんで欲しいんですよね。だから逆に言えば、お母さんが今、笑っている姿を見るのが、自分にとっても一番嬉しいことのような気がします。

◆同じ境遇の子どもに送るメッセージ「やりたいことはやり通して欲しい」

お母さんの献身と本人の努力により、なでしこジャパン入り。海外メジャークラブ所属のサッカー選手という、夢を叶えた宮澤ひなた選手。プロになった今、同じ境遇にある子どもたちに少しでも協力したい。そんな気持ちから、子どもたち、親へとメッセージを贈ります。
 
ーー 選手として「1% FOOTBALL CLUB」の活動に参加された理由はなんですか?

宮澤
その環境が自分とドンピシャで合っていて、今もそういう子たちがいると考えた時、少しでも力になりたいと、強く思ったんです。お母さん側のことも、この年になればなんとなくわかるから、選手としてできることがあれば何でも協力したいと思いました。
 
ーー 小中高の頃に感じた不安など含め、どんな社会的な仕組みがあれば、より心強いですか?

宮澤
クラブチームとかだとウエアを揃えたりしますけど、ビブスがあればサッカーはできる。服とかにこだわらず、本当にサッカーをやる環境だけあればいいと、自分は思います。組織になると月謝も発生しますが、経済的に難しい家庭環境の子なら、プレーできる場所さえあればいいと思いますね。自分でそういうチームが作れたら、いいのかな?
 
ーー どんな境遇でも、プレーし続けられる環境さえあればいいと。

宮澤
そうですね。自分が好きなことを諦めちゃったら、次に何もできなくなるじゃないですか。だから、まずは子どもたちが好きなことをできる、その環境を整えるのが一番だと思います。用具なら、自分もお兄ちゃんのお下がりをもらっていましたし、どうにかなる。いろいろ選択できる環境があれば、いいんだろうなと思います。

ーー 同じような境遇の保護者に伝えたいメッセージはありますか?

宮澤
やっぱり子どもの意見は聞いてほしいかな。子どもって色々考えていて、中には、サッカーがやりたいと我慢して言えない子もいると思う。お母さんというより、同じぐらいの目線で話してくれるのが、子どもとしては一番楽じゃないかなと思いますね。最も身近で見ているのが親だと思うから、サッカーに行くとき「行ってらっしゃい」の一言でもいい。本当に寄り添うだけで、いいと思います。
 
ーー 最後に、同じような境遇の子どもたちに対して思うことや伝えたいことはありますか?

宮澤
一番は、「やりたいことはやり通して欲しい」ですね。できない理由があっても、どうにかなるし、絶対に助けてくれる人はいる。何かの理由で自分の夢を諦める方が辛いと思うから、自分がやりたいなら負けずに突き詰めてほしいなと思います。環境に流されるんじゃなくて、「自分はこうしたい」と思っていることを、ちゃんと伝える。意思があればお母さんの考えが変わるかもしれないし、自分も頑張ろうと思える。それでも無理ならやめればいいし、やりたいならとことんやればいいと思います。
 
ーー その先が夢や未来に繋がっていきますよね。

宮澤
自分はそうしてやり続けて、今がある。それは本当に、夢に向かってやりたいことをやらせてもらえたからだと思っています。何か気になったら、サッカー以外のことでもいい。本当にやりたいことを、楽しんでやってもらえたら嬉しいな、と思います。

●ひとり親家庭で励んだサッカー選手 記事一覧

01. 企画背景・伝えたいこと:インタビュー記事公開にあたり
02. 宮澤ひなた 選手:前編 | 後編
03. 小林悠 選手:前編 | 後編
04. ポープウィリアム選手:前編 | 後編

***

選手たちと共に、サッカーにおける子どもの貧困・機会格差の解消に向けた活動の支援者を募集しています。
現在、個人サポーター513人に応援いただいており、550人を目指しています。サッカーが好きなみなさんの力を貸してください。

●寄付はこちら

毎月500円の寄付から参加いただけます。

●love.fútbol Japan|ラブフットボール・ジャパン

●1% FOOTBALL CLUB


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?