ポープ・ウィリアム「僕たちのために頑張ってくれていることは分かっていた」(前編)|ひとり親家庭で励んだサッカー選手
長い手足を生かしたセーブ、足元の技術の高さを武器に、横浜F・マリノスのGKを務めるポープ・ウィリアム選手。東京・日野市で生まれた彼は、持ち前の努力と恵まれた身体能力で10代の頃から活躍。U-21日本代表にも選ばれるなど、国内を代表するGKの一人です。そんなポープ選手の幼少期を支えていたのは、“無敵”だと思っていたお母さんでした。
(記事:守本和宏 | 写真:薄田直樹)
◆僕たちのために頑張ってくれていることは分かっていた
幼稚園の年長からサッカーを始めたポープ選手。5歳で両親が離婚し、以降はお母さんが、経営していた英会話スクールの多額の借金を背負いながら、女手一つでお姉さんとポープ選手を育ててきました。寂しい時はありながらも、貧しさを感じさせないほどバイタリティに溢れたお母さんのおかげで、ポープ選手は子どものころからサッカーに真っ直ぐ向き合うことができたと言います。
ーー幼い頃、自身の家庭の経済事情を把握していましたか?
ポープ
小学生の時には、もう理解していたと思います。細かい経済状況とかではなく、“自分の家庭は貧しいのかな”というのは。でも、貧しさをそこまで露骨に感じたことは多くなかったです。
ーーそれを実感したのはどんなタイミングでしたか?
ポープ
明確に覚えているものだと、小学校1~2年生の頃にガスが止まったんですよね。それを当時の担任の先生に、すごく心配されました。先生が心配する様子も、ガスが止まってザワザワする家の光景も、なんか鮮明に覚えているんですよね。大人になってから「今となっては笑い話だね」と、ネガティブな感じじゃなく昔話として話すことはあります。
ーーサッカーを始めて他の家庭と比べてしまうことなどありましたか?
ポープ
幼稚園の年長の時に、一個上の幼なじみがクラブチームに入ったので、僕も通うようになりました。幼稚園時代は送り迎えの時に、他の家庭は早めに親が来るけど、うちの親だけ遅かったりするので、寂しかった記憶がありますね。
ーーそれは英会話スクールの経営もあってお母さんが忙しかったから?
ポープ
そうですね。仕事してから来る感じだったので、他の子が帰る中、残っていることが結構ありました。そういった寂しさは、よく感じていたと思います。保護者参観とかも、他の子は親が来るけど、うちは来ないことがありました。
ーーそんな中でも、家族の愛を感じていたと聞いています。
ポープ
そうですね。当時の僕の親への思いがネガティブな感情だったかどうか、そんなに鮮明に覚えてないんです。でも、お母さんが僕たちのために頑張ってくれていることは分かっていたので、愛情は常に感じていました。
◆お金を持ってないことに若干のコンプレックスを感じた
親にとって、子どもにどこまで家庭の経済状況を話すかは、大きな悩みどころ。それを知った子どもが、どんなリアクションをするのか。そんな悩みも、ポープ選手自身は「それで自分の行動が変わったということはない」と影響はなかったと語ります。
ーーお母さんは家庭の事情をポープ選手に共有していたのでしょうか?
ポープ
借金があることは知っていたので、教えてくれていたと思います。「父親が借金を作って、その肩代わりをしている」って。状況はある程度、把握していました。「借金あるんだな」ぐらいで、別にそんなに何かを思ったりはしなかったです。それによって、自分の行動が変わったということも特別にはないですね。
ーー節約のために工夫していたことはありますか?
ポープ
高いものは買えないと思っていたので、八王子の方にあったスポーツショップに行って、店員さんと仲良くなって、セール品を安くしてもらったりしていました。小学生の時は質とか分からなかったので、何でもいいだろうくらいのスタンスで使っていました。
ーーその後の自身の性格などに、影響したことはありますか?
ポープ
子どもながらに、お金を持ってないことに若干のコンプレックスを感じていて、それは今もあるかもしれないですね。「ない」ことが、誰かに知られるのが嫌だった。もちろん、今は自分で稼いでいますけど、この感覚はまだ残っていますね。
◆プロになれば楽させてあげられると思った
家庭の経済事情は知った子どもの中には、サッカーの道を諦めてしまったり、自分はこのままスポーツを続けてもいいのかと、罪の呵責を感じる人もいます。しかし、ポープ選手はお母さんのおかげで、サッカーに集中できる環境の中でプレーを続けることができました。
ーーサッカーを続けていく上で、お金がなくて何かを諦めたことはありますか?
ポープ
特に諦めたことはないですね。合宿に行けなかった、などもありません。僕たちの見えないところで、お母さんが無理していたのかもしれないです。当時は東京ヴェルディジュニアユースにいましたが、選抜とかで遠征したりするのも、どんな費用が発生するのか、正直知らなかった。振り返ると、とてもありがたかったと思います。
ーー経済的な理由からサッカーをやめようと思ったことはないですか?
ポープ
ないですね。気にしたのは、高校に進学するときくらいでした。都立高校に行かないと学費的に厳しいと思ったので受けたんですけど、結局落ちてしまって私立に行くことになりました。東京ヴェルディユースで活動するために通信高校だったので、通常の高校よりは抑えられたとは思います。
ーープロを明確に目指されたのはいつ頃からでしょう?
ポープ
高校1年生の時ですね。プロへの道が明確に見えてきて、自分が稼ぐことを意識するようになった。プロになれば親を楽させてあげられる、という思いが出てきました。
ーー幼少期、親の他に誰か成長を助けてくれる方はいましたか?
ポープ
親戚や仕事関係の方などに可愛がっていただきました。あと、友達の家に行ってご飯をみんなと一緒に食べるのが好きでしたね。親の帰宅が遅かったので、寂しさを感じるのが嫌だったんだと思います。無意識なのか、友達や家族とワイワイしながらご飯を食べるのが好きだったし、泊まりにも行きました。親の周りには、よくしてくれる人がいたので、色々と助けていただいていたと思っています。
(後編に続く)
●ひとり親家庭で励んだサッカー選手 記事一覧
01. 企画背景・伝えたいこと:インタビュー記事公開にあたり
02. 宮澤ひなた 選手:前編 | 後編
03. 小林悠 選手:前編 | 後編
04. ポープウィリアム選手:前編 | 後編
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