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小林悠「貧乏でしたが、幸せでした」(前編)|ひとり親家庭で励んだサッカー選手


2017年にJリーグMVP・得点王を獲得、今年4月にはJ通算140ゴールを記録した川崎フロンターレのFW小林悠選手。東京・町田出身の小林選手は幼少期、経済的に恵まれていない家庭で育ちました。しかし、そこには朝から晩まで子どもたちのために働き、休日には全力でサッカーの応援をしてくれた、“強いお母さん”の愛がありました。
(記事:守本和宏 | 写真:薄田直樹)
 

◆僕だけ、ただ好きなことをやらせてもらっていた

兄の影響から保育園でサッカーを始め、小学生ではすでに関東選抜に選ばれるほどだった小林選手。3歳で両親が離婚して以降は、母子家庭で育ち、金銭的に苦しい時期もありました。しかし、本人はその困難を感じないほど母や兄に愛され、そして支えられて、大好きなサッカーに打ち込んできたと言います。

ーー学生時代、自分の家庭に経済的余裕がないと感じていましたか?

小林
お金がある方ではない、と思っていました。家もボロ団地で、食事も今思うと貧乏ならではの内容でしたね。ただ、母が明るい性格だったので、そんなに大変な状況だと受け止めていませんでした。大人になって母から話を聞くと、食べるお金がなくて友達の家でご飯を食べさせてもらったり、そんなこともあったなという感覚です。祖母や周囲の方も助けてくれたので、当時は“貧乏”を意識していませんでした。
 
ーーその疑問が確信に変わったのはいつ頃でしょう?

小林
小学校高学年ぐらいですかね。遠征が多いクラブだったので、東京から群馬や千葉にバスで行って宿泊することがあり、遠征費の捻出で母が困っていたのを覚えています。「また遠征か」「どうしよう」って。もしかしたら、借金していたのかな。そこまで聞いていませんが、遠征には全部行かせてもらっていました。大人になって考えると、母はすごく頑張ってくれていたと思います。
 
ーー自身の環境を知った時、どう考えましたか?

小林
自分でお金を稼ぐことはできないので、ひたすら自分ができること、したいことに向き合っていました。実は3~4年前ぐらいに知ったんですけど、兄も僕の大学の費用を出してくれていたそうです。僕だけ、本当に好きなことをやらせてもらっていたんだな、と実感しましたね。僕がプロになれるよう、家族みんなが応援してくれていた。兄も僕に夢を託してくれた部分があるのかなと、今になって思います。

ーーお母さんは家庭の状況を小林選手に共有していましたか?

小林
あっけらかんとした感じで、「お金ない」とは言ってましたね。それは子どもながらに理解していたので、自分も贅沢は言いませんでした。『物を大事にする』『出されたものは全部食べる』などには厳しく、何事にも「感謝しなさい」と教えてくれたので、とてもいい母親だったと思います。貧乏でしたが、幸せでした。
 
ーーお母さんも、小林選手を応援するのが心の支えだったんでしょうね。

小林
そうですね。母は毎週土日の休みは、僕の試合の応援に来てくれました。そこで僕がゴールするのを見てすごく喜んでいたので、成長を楽しみにしてくれていたと思います。

◆サッカーをやりながら家族に恩を返す

経済的不安から、サッカーを諦めるきっかけとなり得るのが、進路の問題。小林選手も、自身の進路に関して大きな決断をしたことが2回ありました。しかし、いずれも家族間で話し合いを重ねたことで、結果的にプロへの道を掴んだのです。
 
ーー経済的に負担をかけないために、自分で工夫していたことはありますか?

小林
スパイクの裏のポイントがすり減っても、ソックスに穴が開いても「まだ履ける」と言って使っていましたね。周りの人は「もう無理でしょ」と感じるレベルでも、僕はあまり気にならなくて。滑って転ぶこともなかったし、負担はかけたくなかったので、使い続けていました。
 
ーー金銭面が理由で、進路に悩んだりしましたか?

小林
高校入学の際に私立だとお金がかかるので、できたら学費の安い県立高校に行ってJリーグのユースチームに入るのがベストだよね、という話になりました。でも川崎フロンターレも湘南ベルマーレユースも落ちて、行くところがなくなってしまって…。結局、私立なので迷惑をかけることになったんですけど、母の母校でもある渕野辺高校に、スポーツ推薦で入ることになりました。
 
ーーじゃあ、経済的な理由でサッカーをやめようと思ったことはない?

小林
やめようと思ったことはないですが、高校から大学に進学する時は、お金のことで悩みましたね。結局大学へ行ったのですが、当時、社会人リーグの厚木マーカスという海上自衛隊のクラブからオファーをいただいたんです。本当は大学でサッカーをやりたかったけど、これ以上お金で迷惑をかけたくない気持ちもあって就職も考えていました。お金ももらえて、サッカーをプレーしながら家族に恩を返せると思ったからです。人生の選択肢として、一番悩んだことのひとつですね。

ーー最終的な進路はご家族に相談して決めたんですか?

小林
母に相談しました。そしたら「厚木マーカスに入ってくれたら助かるわ!」って、はっきり言ってました(笑)。ただ、チームメイトで同い年の小野寺達也が大学に行ったのもあって、改めて「サッカーもうちょっとやりたいんだよね」って言ったら、「じゃあ大学頑張って!」って応援してくれた。結果的には奨学金を借りて、なるべく迷惑かけないような形で、大学に行くことにしました。
 
ーーじゃあ、プロになれた時はお母さんも嬉しかったでしょうね

小林
すごく喜んでくれたし、今でも毎週応援に来てくれています。今はもう川崎フロンターレが大好きになって、僕が出ない試合も来てますね(笑)。
初優勝してMVP獲った時も喜んでくれたし、その時は僕も母にLINEで感謝の想いを送りました。お母さんも「私も悠の母でよかったよ」と言ってくれて、嬉しかったです。そんな風に、少しずつですけどキャリアを通して、恩返しできているのかな、とは思っています。

後編に続く

●ひとり親家庭で励んだサッカー選手  記事一覧

01. 企画背景・伝えたいこと:インタビュー記事公開にあたり
02. 宮澤ひなた 選手:前編 | 後編
03. 小林悠 選手:前編 | 後編
04. ポープウィリアム選手:前編 | 後編

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