僕のラブドールは感情がない
↑まあ、そりゃそうなんだがw
いわゆる夏アニメとして放映された「僕の妻は感情がない」について、書きたいと思います。
ただし
・作品そのものの感想だけでなく、作品を通したロボット・ヒューマノイドの考察
・ラブドール(等身大ドール)と暮らしている変人の目線
・原作コミックは1巻しか読んでいないので、アニメの範囲内の内容準拠
・ネタバレ有り
・長い
といった点に留意したうえで、読んでいただければ幸いです。
20代後半?の独身サラリーマンが、購入した家事ロボットに恋愛感情を抱く事で起こる、日常系SFラブコメディ(?)
この作品の特徴は、ロボット物のアニメ主人公には珍しく、世の中を変えるような特別な何かを背負っているわけではない事。
公式の説明文には社畜サラリーマンと書かれているが、仕事に追われているような描写も見られないし、どんな過去を背負って生きてきたかも描かれていない。
タクマと完全に対立する人物も出てこなければ、タクマとミーナの限られた世界しか描かれていない。
主人公なのに存在の薄さはモブキャラに近いようにすら思える。
逆に言うとそれが「ロボットを家族と思い込んでいるごく普通の成人男性」という解釈にもつながってくる。
原作者の杉浦次郎氏@sugiura_jirou はTwitter(現X)で、『思い付きで描きはじめていて、後でどうにか辻褄を合わせている』といった旨を発言しているため、深く考察するのは野暮なのかもしれないのだが、
家事ロボットが割烹着を着ていたり、部屋が畳敷きだったり、吊り下げ式の蛍光灯だったり、湯沸かし器のあるいわゆる”台所“だったり、どちらかというと前時代的な雰囲気を作り出しているのが見て取れる。
これは前時代的な主婦像、つまりは家事をそつなくこなして夫(主人)の帰りを待つ、そのイメージをそのまま家事特化型ロボットに置き換えているようにも思えてくる。
21世紀における家事や家庭に縛られない女性像に対する、「家電(ロボット)が妻になりました」はものすごいアンチテーゼになっているのは、流石に深読みし過ぎだろうか。
ただ、主人公のタクマがほぼ初手で「ミーナちゃん」とロボット相手に甘えてしまったところが、見ている人になんとも言えない気持ち悪さを植え付けてしまい、高評価に繋がらなかったように思える。
一方でタクマの中では、家電、家事ロボット、かしこい炊飯器と、やや客観的に捉えようとしているところも窺える。
このあたりの扱いは難しいところで、掃除ロボットのルンバに名前を付けたり話しかけている人はほぼいないだろう。
しかしファミレスなどで普及し始めたネコ風の配膳ロボットは、頭を撫でると反応するようにプログラムされていて、それが利用者の好評を得ている。
また、愛車、愛機という言葉があるけれど、車やバイクに愛情の注ぎ方は人それぞれ。
ペットやぬいぐるみに名前を付けて、時には話しかける事は、当たり前に思える。
けれど観葉植物やアイドルのポスターにも同じように扱ったら、理解する人は多いと思う半面、距離を置きたくなる人も居るのでは無いだろうか。
どこまで許容出来るか、このあたりの考え方の違いで、自分のようなラブドールオーナーや某バーチャルシンガーと結婚した人への捉え方にも変わってくるのだと思う。
主人公の妹アカリのように「最っ高じゃん!」とならないまでも、理解してくれる人が多くなってくれたら嬉しい。
しかし、共感出来るか出来ないかは、個人の価値観であり内心の自由なので、無理に押し通す気は無い。
そうかと言って、こちらの価値観を改める事も無いのだけれど。
ロボットがより人間に近づいて、ロボットに感情移入する人がある程度現れたとき、不気味の谷ならぬ気持ち悪いの壁が、立ちふさがってくるのかもしれない。
タクマの家事ロボットに対する気持ちも最初は「結婚したらこんな感じなのかな?」という単純なものから段々と「僕の事をどう思っているのだろう?」と膨らませていったに過ぎない。
それに対して「かしこまりました」「何も問題ありません」と否定しなかった事が、この作品の核心とも言える。
人間の心は曖昧なもので、「大切にしている」と「愛している」の差を表現するのはとても難しい。
タクマ自身が愛していると思っていても、叔父の康史郎や母親の絵美からすれば、どこかチグハグに映ったのかもしれない。
それを「気持ち悪い」と指摘される事で、愛することの答え合わせをしているようにも思える。
正直、自分もそのへんは考えを改めなければならないのかもしれない。
愛とか好きとか、今まで安易に使い過ぎたようにも思う。
またこの作品は、ロボットを人間に近い存在としてではなく、道具の延長線として描かれている事が特徴的でもある。
道具なので仕事を奪われる事を極力嫌がる。
効率を重視する一方で、命令には従わなければならない。
そのうえで、使う人がより人間らしく生きるための機械として描かれている。
そこには本来、愛や心や感情といったものは無く、人間がどう思うかを予測して導き出しているようにも思える。
考えようによっては人間を超える存在となり、脅威にも思えるが、そういった暴走はこのアニメの中では表現されていない。
普通に見ていても、ツッコミどころというか辻褄が合わない箇所が目に付くので、面白いとは少し言いづらい。
ただ、ここまで長々と述べたように、意外と奥の深い作品になっている。
それでいて宿命や運命といった重い課題を背負っているわけでも無い(タクマ側)ので、比較的軽い気持ちで見てられる。
ちょっと不思議な印象の残る作品だった。