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母の味、、、って?


今朝、朝食にそぼろを作っていた。
4本の箸でクルクル素早くかき混ぜると、ホロホロのそぼろができる。

箸でかき混ぜながら思い出したことがある。
それは、子どもの頃、遠足のお弁当の度に「そぼろご飯にしてね」と母に頼んでいたことだ。

ふだん料理をしない母のそぼろご飯は、鶏肉ではなく合い挽き肉だった。肉を調味料で煮詰めるだけなので、そぼろもゴロゴロしている。

見た目も味も濃くて甘い。
それでも、めったに食べることができない母のそぼろ弁当は、おいしいと感じたものだ。

大人になってから、なぜ、合い挽き肉を使っていたのかと母に聞いたところ、鶏肉という発想が全くなかったという。

もちろん、鶏肉ではなく合い挽き肉の方が豪華といえば豪華だし、おいしかったので異論はないけれど。

仕事を終えた母は、遅い時間までキッチンに立ち、そぼろを作っていた情景を繊細に思い出すことができる。

それぐらい母がキッチンに立っている光景は珍しく、貴重であり、自分のために料理をしてくれていることがうれしかったのだ。

母の作ったご飯は私にとっては特別で、大人になった今も、こんなふうに突然思い出すことがある。

いわゆる「母の味」って、子どもの記憶に残るのだろう。

友人達に「好きだったお母さんのご飯」または「お母さんのご飯と言えば、何?」と聞いてみたところ、面白い回答が出てきた。

・こんにゃくを入れたカレー。かさ増しになるからと入れていたらしいが、これがおいしくて自分が母となった今も作って家族に食べさせている

・鶏ももではなく、むね肉の唐揚げ。

・黒豆。料理は下手だったけど豆を煮るのだけは上手で、いつも作ってもらっていた。

・筍ごはん。炊き込みご飯といえば、これしか作ってくれたことがなかったせいか、筍ごはんの日はすごく嬉しかった。


母の味って、やはり上手いとか下手とかを超越した何かがある。その何かとは、子への思いであり愛情だ。

子どもはさり気なくそれを察しながら食べている。母の思いを食べている。

それでは、また。

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