はじめに
作家・新美南吉の作品の中に、
「でんでん虫の悲しみ」という話があります。
1998年にインドのニューデリーで行われた
国際児童図書評議会の基調講演で
上皇后美智子様が、この作品について触れられたことで
私はこの作品を知りました
その2年後には、愛知県半田市にある新美南吉記念館で
企画展が開催され、足を運んだ記憶があります
25年ほど前の話ですから、遠い遠い昔話ですが
現代の悩み多き若い皆さんにも、
ぜひ作品の意味を考えてもらえたらいいなと思います
では、さっそく…
第7話 でんでん虫の悲しみ
私はこのお話を、当時勤務していた学校の卒業生に、
餞(はなむけ)の言葉として贈ったことがあります
卒業に際して、
ご家庭の暖かい愛情や周りのいろいろな人たちの支えに感謝し
これから地に足をしっかりつけて
新しい一歩を踏み出そうとしている若い人たちへの
ささやかな餞の言葉です
人がひとり生きていく、ということは、
決して楽なことではありません
この話の結末のように、最後に嘆くのをやめたでんでん虫を、
単純に「ああ、よかった」とは思えないような世の中の厳しさ、
生きていくことへの漠然とした不安を、
これからの人生でおそらく幾度となく抱くことでしょう
それでも、この話を読み終えた時には、
ほんのり暖かな安堵感に包まれます
どこか、なぜか救われた気がするから不思議です
話は変わりますが、
日本の冬の風景に欠かせないのは、ケヤキ並木だと思います
すべての葉を落とし、枯木立になって、
ひっそりと、しかし、凛とした佇まいで
来るべき新芽の季節に備えて
じっと風雪に耐えながら
私たちの日々の営みを
静かに見守ってくれているように思えてなりません
苦しくて、胸が張り裂けそうな時間を過ごしているあなた
周りに認めてもらえないモヤモヤに、苛立っているあなた
何をやってもダメなんじゃないかと諦めかけているあなた
誰にも平等に、季節は廻り
やがて春が来ます
ケヤキの木に新芽が息吹くころには、
でんでん虫のようにゆっくりでいい
悲しみをいっぱい抱えていてもいい
それでも顔を上げて、
少しずつ前に進んでいけるといいですね