世界はここにある55 完結篇(中)
イージス艦「まや」からSMー3ブロックⅡAが発射される。迎撃ポイントまで約12分。ロフテッド軌道からの高速弾道が東京に迫っている。
「着弾予想時間は」
「ロフテッド軌道にすでに入っていると思われます。現状ではまだとらえきれていません、恐らく30分前後かと」
「弾道ミサイルか……」
阿南は自分の右手が小刻みに震えるのを必死で抑えようとしていた。
「米国衛星が弾道を発見、解析開始、SM-3発射準備」
「避難は? 東京全域が危ない」
「すでに避難行動は開始されています。間に合えばいいのですが……」
「『まや』より、迎撃ミサイル発射しました」
「頼むぞ……」
地下に退避し、オペレーションルームのモニターに映し出されるミサイルの計算軌道と迎撃ミサイルの飛行ルートを見ながら、阿南らは祈った。もはや祈ることしかできない。自分達は戦争のない時代に日本に生まれそして生きてきた。政治家として危機意識は常に持っていたが、そんなものがこの瞬間には何も役立たないことを一瞬で悟る。シミュレーションではない現実の危機、恐怖だった。
「総理、入電です。彼女からです!」
友安官房長が阿南へ受話器を指さしながら大声で言った。
「阿南だ、ナオさんか? 今どこだ!」
「東京へ入っています。私達のシステムも弾道ミサイルを捉えています」
「もう猶予はない。迎撃ミサイルはすでに発射した。命中ポイントまであと3分だ」
「総理」
落ち着いた口調のナオの声がスピーカーからルーム内に響く。
「なんだ、今は君の話を聞いている暇はない」
「迎撃ミサイルが失敗に終わった場合はPAC3を打つはず。我々のシステムで誘導します」
「このミサイルを誘導できないのか」
「計算中です。すでに大気圏外のはず。迎撃はかなり難しい。それより……」
「何か方法があるのか」
「敵の衛星をハッキングしています。ここでミサイルの軌道を変える」
「そんなことができるのか」
「やってみます。米国はすでに対抗処置をとっているでしょうが、あまり期待しないほうがいい」
「迎撃は日米協力して行っている。米軍も防衛体制に入り、軍事行動の許可に我が国も同意した」
「迎撃ミサイル命中まであと10秒です!」
作戦本部からの情報を防衛省の職員が告げた。
「5、4、3、2、1」
阿南はモニターの弾道ミサイルの軌道を凝視する。
「迎撃失敗、弾道ミサイルは大気圏再突入します。着弾まであと15分との計算結果、着弾地点再計算中…… 着弾は……」
職員は作戦本部からの応答を待つ。
「どこだ!」
阿南は叫んだ。
「東京都心半径30Km以内!」
「PAC3迎撃発射!」
「撃ち落とすにしても、もし核弾頭ならどうなるんだ?」
閣僚の誰かが叫んだが誰もそれの答えを言わない。
「真上で爆発すれば……」友安官房長が呟く。そこにいた全員が続く言葉を出せずにいた。歴史上の悪夢が再び日本に訪れるのはあと15分だ。
☆☆☆☆☆
「その端末でそんなことができるのか?」
僕の問いかけにナオは答えない。当たり前だ。そんな無駄な返答をしている暇はないだろう。彼女は繋いでいるネットワークで戦っていた。その横で僕は無力だ。隣にいるキャロルは車の揺れに痛みが増すのを堪えているように唇を噛んでいた。車は東京にすでにいる。今からミサイルが落ちようとしている東京へ入っている。
デモ行進をしていた人たちは避難できたのだろうか。それが気がかりだった。ナオが言っていた仲間たちに今、危険が迫っている。彼女はそれをどう思っているのだろう。もしも最悪の結果が訪れれば、僕らはなんの罪もない子供たちを道連れにしてしまうのだ。
「軌道を変えます」
ナオは端末のキーを叩いた。モニターの画面に映るミサイルの軌道が暫くすると徐々に変わっていく。
「阿南総理、聞こえますか」
「ああ、聞こえている」
「軌道変更に成功。落下は千葉房総半島沖100km、周辺海域の船舶へすぐに連絡を、落下は計算上21分後です」
スピーカーから歓声がわくのが聞こえた。
「阿南総理、米軍に連絡を、軍事作戦の中止を要請してください」
「なぜだ? これは明確に自衛権行使の要件を満たしている。次のミサイルが発射されれば今度は日本に落ちるかもしれんのだぞ」
スピーカーの向こうの阿南の声は冷静さを欠いている。ナオはゆっくりと話し出した。
「総理、これ以上ミサイルは飛びません。今のミサイルも恐らく核弾頭ではなかった」
「なぜ、そんなことが言える」
「ミサイルを撃った者は事故というからです」
「事故?」
「ハックした情報を精査すればすぐにわかるでしょう。恐らくは人工衛星の打ち上げの失敗と言うはず。これはカモフラージュです。目先を日本に向けるための」
暫くの沈黙のあと阿南の声が聞こえた。
「タイペイか…… バックは中国…… 」
「もうすでに侵攻はスタートしているはずです。米軍はこれで完全に出遅れた」
「米国と連絡はとるが、君はどうするんだ」
ナオは僕の顔を一度見て、阿南に言った。
「私は今からそちらへ出向きます。そこで三者でお話しましょう」
ナオはそう言って一方的に交信を切った。
「ナオ、なに言ってるんだ、今、君が行けば必ず拘束される。君はテロの実行犯とされているんだ。いくらミサイルを回避させたと言ってもそれでは赦免されないぞ。ここは日本だ。司法取引だってまだ……」
「私はまだ逮捕状の請求さえされてない。日本の法律上は私をまだ任意でしか取り調べできない。しかも未成年だし~」
彼女は肩をすぼめ笑った。あどけない少女のナオに一瞬変わったように見えた。僕はそれでもあまりに冷静にさっきのセリフを言ってのけた彼女の胆力に驚く半面、その無謀さにも呆れていた。
「そんなものすぐに請求される、次の瞬間、君は囚われの身になるんだぞ」
「いいのよ、それで」
「良くないよ」
「ちゃんと私を裁いてくれるなら、私を人間として……」
彼女はもうすでにいつもの大人びたナオの顔に戻っていた。
「ただ、すぐに拘束されるのは自由に発言できないし、まだやらなくてはいけないこともあるから、そこは私も考えてますよ」
僕はそれ以上言える事がない。彼女の心の内を斟酌することはできても考えを推察することは出来なかった。
「もうすぐ首相官邸です。ナオさん、子供たちが……」
運転をしている男が目線を送る先には、道路を封鎖するほど大勢の子供とその保護者達が集まっていた。ミサイルがあと数分で着弾したかもしれない場所に留まって、彼らは身の危険を承知で留まっていたのか? 僕は彼らの中にナオが本当に存在していると感じはじめていた。
そうでなければこんなことは起こり得ない。
僕はそう思った。
「車をとめてください」ナオは運転する男に言う。
「ナオさん、ここは危ない。官邸に車ごと乗り込んだほうが」
「それでは意味がないの。彼らと一緒に行動しないと。今、私の思念を受信してくれている彼らと」彼女はそう言って車を停めさせた。
そして彼女はデモ隊と共に歩きだした。キャロルを車に残し、ナオの後についた。
「僕も一緒に行くよ」
「そうしてくれると信じていました。私を守ってくれた高山先生の息子さんだもの」
『世界はここにある』
シュプレヒコールは一層大きく響いた。僕にはその言葉の意味がわからない。
「なぜ『世界はここにある』って言ってるの?」
横に歩くナオと同じくらいの歳格好の少女に思い切って訊いてみた。
「心の中で叫んでることをそのまま声にしています。偶然に他の人達も同じことを考えてたみたい。不思議でしょう? でもすごく腑に落ちているの」
彼女は僕を一瞥することもなく、まっすぐと前を向いたままそう言った。確かに不思議だ。この子にもナオのような落ち着きと聡明さを感じる。あの公園で出会った小さな子供たちに声を掛けた時に似ていると感じた。
ナオを見る。彼女もまたまっすぐと前を向き歩んでいた。その姿に神々しささえ感じている。
「英人さん」
「なに?」
「サツキさんが帰ってきたようよ」
「えっ?」
「感じるんです、凄く近くに。多分、もうすぐ日本に着くと思う」
「僕はどうすればいい?」
「彼女を迎えに行ってあげて」
「でも、君を一人にはできないよ」
「私は大丈夫です。桜木さんももうすぐ着く。一緒に合流してここへ戻ってきてほしい……」
彼女が言いたいことが初めて分かったように思った。彼女は父を連れてきてほしいのだ。僕の父でもあり、彼女の父でもある高山尚人に会いたいのだ。
「分かった。あの運転手さんを借りるよ」
「どうぞ、彼は英人さんをお守りします。それとキャロルさんはどこか病院に連れて行ってあげてほしい」
「わかった、そうするよ」
デモ行進の群衆に身を隠しながら車まで戻った。そしてキャロルを病院へ送り届けてから羽田空港へ急いだ。幸い追手はいない。米軍はそれほど混乱しているということだろう。
「彼女は大丈夫かな」
運転をする男に聞いてみる。
「ナオさんは心配いりません。あの人は覚悟を持った人ですから」
男の言葉にナオへの信頼と尊敬の念を感じた。
「そうだね」
羽田空港が見えてくる。僕はナオとサツキの二人の顔を思い浮かべていた。そしてそれがピッタリと重なったとき、彼女らが乗ったプライベートジェットが滑走路にランディングした。
★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと一切関係がありません。
エンディング曲
The Eyes Of An Only Child Tom Jans
世界はここにある① 世界はここにある⑪
世界はここにある② 世界はここにある⑫
世界はここにある③ 世界はここにある⑬
世界はここにある④ 世界はここにある⑭
世界はここにある⑤ 世界はここにある⑮
世界はここにある⑥ 世界はここにある⑯
世界はここにある⑦ 世界はここにある⑰
世界はここにある⑧ 世界はここにある⑱
世界はここにある➈ 世界はここにある⑲
世界はここにある⑩ 世界はここにある⑳
世界はここにある㉑ 世界はここにある㉛
世界はここにある㉒ 世界はここにある㉜
世界はここにある㉓ 世界はここにある㉝
世界はここにある㉔ 世界はここにある㉞
世界はここにある㉕ 世界はここにある㉟
世界はここにある㉖ 世界はここにある㊱
世界はここにある㉗ 世界はここにある㊲
世界はここにある㉘ 世界はここにある㊳
世界はここにある㉙ 世界はここにある㊴
世界はここにある㉚ 世界はここにある㊵
世界はここにある㊶ 世界はここにある51
世界はここにある㊷ 世界はここにある52
世界はここにある㊸ 世界はここにある53
世界はここにある㊹ 世界はここにある54
世界はここにある㊺
世界はここにある㊻
世界はここにある㊼
世界はここにある㊽
世界はここにある㊾
世界はここにある㊿