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花枝さん Ep8  quarrel

 花枝はなえさん(仮名)67歳(本当は72歳)は私の職場におられる現役最年長パートタイマーだ。

 花枝さんは最近こそあまり遠出はしないが、昔は旅行好きだったそうで ご主人とよく旅行に行かれていたらしい。
 
 新婚旅行はヨーロッパに行かれたとか聞いた。テレビで見たオードリーの名作「ローマの休日」に憧れてスペイン広場でアイスを2人で食べたというのが持ちネタだった。

 テレビ版のグレゴリー・ペックは、あの「ジェットストリーム」の城達也さんが吹き替えをしていた。なんでも、ご主人もとてもいいお声をなされていたと聞く。
 
 残念ながらご主人は5年ほど前に若くして亡くなられているが、今でもDVDを時折観るらしい。ただ、声優が城達也さんではないらしく「ウチのひとの声じゃない」と仰る。
(調べると城さんのDVDもあるらしいが生産中止になっているらしい。私の持っているDVDも城さんではなかった。まあ、吹き替えでは観ないけど)
 
 花枝さん恐るべし…… いや、ご主人のこと、ほんとに愛されてたんだなと思う。

 そんな花枝さんが休憩時間にパート仲間の女性と旅行談義をしていた時のことである。(私も缶コーヒーを飲みながら横で聞いていた)

「アナータ、先週、旅行どうだったのよ」
 花枝さんがパート仲間の桜子さん(仮名)に聞く。
桜「そうなんよ、別府温泉行ってきたんよ、のんびりさしてもらったわ」
花「アタシも主人と昔、行ったわよ。地獄めぐりした?」
桜「行った、行った。あんた、ワニがぎょーさんたくさんおってびっくりしたわ」
犬「ワニがいるんですか? 温泉に?」
桜「そうなんよ、ビックリやで、餌付けしてんねん」
花「血の池とかねぇ」
桜「そうそう真っ赤やったわ」
桜「花枝さんは? どっか行けへんの?いかないの
花「アタシはね~最近は息子のとこへ行くくらいかな~」
犬「息子さんどちらにお住みでしたっけ」
花「鎌倉よ」
犬「おー、いいですね、『僕』行ったことないんですよ、鎌倉」

※ここで注釈。
 普段、私は会話の中でも自身を述べる時「私」を使う。いい歳をしてるので常識と言えば常識なのだが、私より年上の人とフランクに話すときはなぜかついつい「僕」と言ってしまう。
文章にするときはそれでも「私」に変換して記するが、ここでは忠実に再現することにする。なぜかはこの続きを読んでいただくとわかる。

花「そうなのね、一度いらっしゃいよ」
桜「えー、花枝さん、泊めてくれんの?」
花「アナータ、何、言ってんの? 泊めないわよ」
桜「なによ、イヌヅカさんだけ? やらしいな~」
花「イヌヅカさんも泊めないわよ、何言ってんのよ」
犬「そうですよ、僕も泊まりませんよ、花枝さんとこに」
花「ウチじゃないわよ、息子の家よ」
桜「そんなん、わかってるし、冗談やんか」
花「ホテル探して泊ればいいじゃないの」
犬「いや、マジで言ってないから、桜子さんも」
花「・・・・・・」

 間があく

花「別府、温泉卵は美味しくないのよ」

 急な温泉卵批判に私も桜子さんも、ズルっとスベリそうになる。

犬「じゃ、どこのが美味しかったんです?」
花「美味しくない」
桜「お薦めはどこなん? 花枝さんの」
花「美味しくないのよ」
犬「有馬温泉のは?」
花「美味しくない」
桜「草津とか?」
花「美味しくない」
犬「えー?どこやろ……」

花「アタシ、温泉卵嫌いなのよ。臭いから」

 2人ともほんとにズルっといく。話題を変えよう、話題を……

犬「そうですよね、花枝さんはスペイン広場のアイスのほうが似合ってますよ」
 私は冒頭に書いた花枝さんの持ちネタで軌道修正を図ろうとした。案の定沈んだ花枝さんの表情が瞬時に明るくなった。

 成功だ!と思った矢先、桜子さんが言わなくていいことを言う。

桜「またその話かいな、皆、知ってるで『オードリー』のやつやろ、休日やろ」
 桜子さんは私より随分と年下だが、いわゆる関西のおばちゃんで、言いたいことをわりとずけずけと言うタイプの人だ。お判りだとは思うが腹の中には何もないタイプ。花枝さんにも遠慮はない。(ただし仕事以外でだが)

花「アナータ!アタシは何もまだ言ってないわよ」
桜「いや、いつも自慢してるやん」
花「アタシがいつ自慢したのよ、アナータ!!」
桜「自慢に聞こえるんよ、わたしら、そんなん、イギリスとかフランスとか行ったことないもん」
花「ローマはイタリアです!」
桜「ほら、自慢やん、知らんし、わたしら、なー? イヌズカさん!」
 
 やめろ、私に話をふるな! あんたがいらん事言うからやろ……

犬「まあまあ、僕が今は言い出したから、桜子さん」
花「ローマがイタリアなのが自慢ってどうなのよ?アナータ、頭おかしいんじゃないの?」
桜「行ったことない人間にしたら自慢に聞こえるねんで」
花「新婚旅行じゃないの!自慢してもいいじゃない!!」
 
 花枝さん…… 自慢してると言ってしまっている……
かなり険悪な雰囲気に私は心拍数が上がる。
少し花と桜の会話に間ができる。
何故か私は缶コーヒーを一口飲んでから、できるだけ会話に温度差をつけて着地点を探る。

犬「いいですよ、僕なんかローマも鎌倉も別府も行ったことないから、ほんと、旅行いきたいですねえ」

桜「私は行ってきてん、だから言ってるんよ、別府!」
 おい! 温度を上げたまましゃべるな桜子さん! 冷やせ冷やせ……

花「別府はアタシも行ったわよ」
 あかん…… もうあかん。休憩時間、はよ終わろ。

犬「いや、お二人ともうらやましいーなー、僕も行きたいですわ」
花「行ったらいいじゃない、アナータの行きたい所に」
桜「そうやん、行ったらいいやん、好きなとこ」

えええええええ、そんな収め方あるか!

花「だいたいね、アナータ、いい歳した男が『僕も、僕も』ってアナータねもっと年相応に喋りなさいよ。」
犬「ええ? 別に……」
桜「イヌヅカさん、普段から『僕』なんて言ってた?」
犬「いや、そんなに使ってはないですけど……」
 雲行きがかなりおかしいぞ、おかしいぞ……

花「ウチの主人はね、アタシ以外に『僕』なんて絶対に使わなかったわよ」
犬「・・・・・・」
桜「へー、そうなん? なんで?」
花「それは夫婦だからよ」
桜「いややわ~、旦那さん、花枝さんにべたぼれやったんかな~」
花「そりゃ~そうよ~ハホホ」

 花枝さんは朗らかにお笑いになる。桜子さんも「いや~、羨ましいわ~」と言って笑う。二人で笑ってる。「僕」の立場はどうしてくれるんだ……

 笑顔の無いのは小心者の「僕」だけである。

 花枝さん、桜子さんも、いや、おばさんは恐るべしである。

Ep final に続く



「ローマの休日」は1954年が日本での初上映です。
花枝さんもさすがにこの時は観ていない。文中でも触れていますがTVでの吹き替え版をご覧になったのが最初だったらしいです。
私も大好きな映画で、やはりTVで観たのが最初でした。
全然知らなかったのですが、この作品、制作70周年ということで今年の8月頃に全国でリバイバル上映があるらしいです。デジタルリマスター版だと思いますからご覧になられてはいかがでしょうか?
私は観に行きます。もちろん花枝さんは誘いません。

オードリー
永遠の憧れです。



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