花枝さん Ep5 a failure
花枝さん(仮名)67歳(本当は72歳)は私の職場におられる現役最年長パートタイマーだ。
シリーズを通して言っていることだが、花枝さんは仕事には厳しい。
ご自身もきっちり仕事をされているし、何と言ってもベテランであるからその言葉は重い。上の社員さんも一目置いているのはそのへんにある。的確な指摘に言われる方はへこむけれど、後になるとその正しさに納得せざるを得ない。
しかし、しかしだ。花枝さんも失敗はあるだろう。前述のように自分にも厳しい花枝さん。失敗の正し方も見本となるはずだ……
ある日、同じパート社員の一人が台車に乗せた荷物を派手にひっくり返した。落した荷はお客さんに直接届くものなので、梱包が傷むとやり直さなければならないし、中の品物も異常がないか調べないといけない。ゆえに取り扱いを丁寧にといつも言われているのに、急いでいたのか適当な積み方で台車に乗せ、しかも台車を急カーブさせて引っ張っていたものだから、遠心力も加わって派手に品物をまき散らした形になった。
当然にものすごく怒られていたけれど、本人も言い分が多少あったようで謝りはしたものの、あと片付けをしながらちょこちょこ愚痴をこぼしていた。私はその場にいなかったので、以下は目撃者の話を元にして、なおかつ本人と花枝さん、チーフからの話(世間話の中で)も併せ聞いての再現である。
その失敗した本人は品物のチェックをしながらぶつぶつ言う。
「チーフが早くせんと間に合わへんゆーて俺らを焦らせるからこんなことになるんやんか。普通やったらあんなに乗せへんのに余分に乗せてもたし」
片付けを手伝っている同僚は
「そうは言っても落としたんはまずいやろ、しゃーないわ」
「わかってるけどな、やってもーたんは俺やからな。そやけどな、指示しといてチーフな、あんなにぼろくそに言わんでもええやろ」
それをたまたま様子見に来ていた花枝さん。スイッチが入った(らしい)
「アナータ、何言ってんの」
「え、ああ、花枝さん、何がって?」
「チーフがどうとか言ってたでしょ」
本人は、花枝さんにもわかってもらいたかったようで、失敗のいきさつをまた話した。
「て、言うわけやねん。そりゃ俺が悪いんねんけどね、あんな言い方せんでもええと思うんですよ」
「アナータ、それ、チーフに言ったの?」
「え、そんなん言えませんよ」
「なぜ」
「なぜって……」
「アナータ、失敗するかもと気付いてたんでしょ」
「え…… はい……」
「それならチーフに『こんなに積んだら落とすかもしれないから減らします』となぜ言わない」
「いや、はよ運ばなあかんのは俺もわかってたし……」
「だったら失敗はわかっててやった結果ね、アナータもチーフも」
「まあ…… そうかも」
「じゃあ、チーフには私が意見してあげるから、アナータは自分の失敗をもっと反省しなさい。そもそもアナータが落としたのは積んだのもそうだけど台車を引っ張って回ったからでしょ」
「はい……」
「じゃーブツブツ言わない!」
「はい……」
そう言って花枝さんはチーフに本当に意見しに行ったらしい。これは花枝さんだからできる事。めっちゃ男前である。
以下はチーフに意見していた現場での目撃者談である。
「だから失敗はアナータにも責任があります。それを一方的にあの人に怒るのは違うでしょ」
チーフは若いが、できた人なんですぐに花枝さんの言いたいことが分かったようだ。
「そうですね、僕にも責任はあります。あいつには後でフォローしときます。すんません、気を遣わして」
「いや、私はいいのよ。アナータも大変なのはわかってます」
「すんません。ありがとう」
ここで終わっておけばいい話で終わったのだ、ここで。
しかし花枝さんがこの失敗の正し方を、チーフもそんなことくらいわかっているのになぜここでそれをやったのか……
「アナータね、あの子に台車の使い方をもう一度確認させた方がいいわよ、引っ張りで使わせちゃだめなのよ。曲がるとき止まんないのよ、こう……」
花枝さんは話しながら、側にあった荷を乗せてない台車を引き手で動かし旋回させた。これがご自分が思われた以上にきゅいんと勢いよく回ってしまい、遠心力で花枝さんの手を離れてしまった。
ガラガラと無人走行した台車は壁にドンとぶつかり、ガシャーンと壁にかけていたホワイトボードが落ちた。
カランカランと落ちたものの音が響く。
「あーっ」というチーフ。
いつもの間をおいて花枝さんは
「ほら、こうなるからダメなのよ、ごめんなさい。アナータ、ほら、片付けるわよ」
「いや、あ、ああ…… なんも壊れてないかな」
「壊れてたら、私が弁償するわよ」
「いや、そういうことではないと……」
花枝さんは無敵である。失敗の正し方も身体を張るのだ。そして潔い。
Wings - Silly Love Songs (Official Music Video)