世界はここにある㉛ 第二部
眼下には朝焼けに照らされた海が広がっていた。幾つかの漁船や周航する客船を眺めていた僕はその行き先を詮索することなくただ、途切れることの無い海面をヘリの小窓から見つめている。陸地を離れる際に見た東京の大停電のその後がどうなったのかが気になっていたが、僕らにはその情報を得る手段がない。坂崎は自身のスマートフォンを操作していたが、海上で電波が入るわけもなく、ただこれまでの出来事をバッテリーのある限りメモする以外に役立たなかった。
「船に移ると言っていましたけど」
僕は三佳に話しかけた。
「そうね。これからどこへ連れていかれるのか…… もうどうしようもないわ」
三佳は『タバコ持ってる?』と坂崎に訊き、彼が残り少ないのか出し渋るのを強引にひったくり火をつけた。深く吸い込んだ後に吐き出した煙は彼女が見せた不安を少しの間隠すように広がる。
『機内は禁煙だ』という米兵の声が聞こえる。
『これだけ吸わせて』と言って三佳はもう一度深く吸うとまた、ため息のように煙を吐き出した。
「桜木さんの事を信用するならベラギーへ行けるということだけど」
「さあ、どうだか…… これは米軍のヘリよ、普通ならありえない行動だわ。私達が保護されたのならともかく、立場もわからない」
「どうすんねん、あいつらほんまに俺らの味方なんか?」
坂崎がヘッドセット越しに会話に入ってくる。
「私は信じてない」
三佳は機体の壁にタバコを押し付け火を消すと半分ほどになった吸い殻を坂崎に抛って返した。坂崎はなんだという顔をするがそれを拾い、パッケージに大事そうに入れてジャケットのポケットに入れた。
「もうすぐ到着だ」
桜木が操縦する米兵から合図を受けて僕らに声を掛けた。
2回ほどか旋回をしながら高度を下げているように感じる。小窓から覗くがヘリが着陸できるような大型の艦船が見えない。
「船はどこなんですか」僕は桜木に訊いた。
「キャビンドアを開けたらわかる、もう少し降下してからです」
桜木はそう言いながら僕らに救命胴衣を手渡し素早く着用させた。
「おい、海に飛び込め言うんちゃうやろな」
坂崎はそう言うが桜木は答えず、全員の着用を確認していく。そして機体の天井についた装備の点検をした後、側にいる米兵となにやら手順の確認をした。
「皆さんを一人ずつこのワイヤーで降ろします。あっという間ですから心配しないでください」
「ワイヤー? そんなもん俺は無理やで。三佳やこいつかてそんなん……」
「心配いりません。その胴衣についてるフックにワイヤーのフックをひっかけます。下すのは機械の力で下ろしますからロープを握っていればいい。降りたらフックを外すだけ。風に煽られない限り海におちることはありません」
そう言って桜木は僕らにフックのかけ方と外し方を教えた。聞けば簡単そうだが、風やヘリのローターの影響が気になる。それに降りる場所はどうなのか?
「ヘリポートがあるような大きな船に降りるのかと思ってたけど」
僕も桜木に不安を隠さず言った。
「私が先に降りて皆さんをアシストします。心配いりません」
「あんた、何者や? 元レンジャーとかか?」
桜木はやはり坂崎の問いには答えず、少しの笑みで返した。
「さあ、いくぞ、キャビンを開けます」
キャビンドアを開けるとそれまでも轟音だったローター音がさらにボリュームをあげ、潮の香りを含んだ風が吹き込む。海面を見下ろすとそこには中型程度のプレジャーボートが波間にとどまっていた。
「おい、まさか、これ!? 嘘やろ」
坂崎がその船をみて思わず叫ぶ。
「あんなちっちゃいのにここから降りれるんかい? 波で船かて揺れてるのこっから見てもわかるで」
「心配はない。私が先に降ります」
船まで10mくらいのところまでヘリは降下し、ホバリングで機体を安定させる。海は比較的穏やかと言えど、船は揺れを増しているように見えた。
桜木は米兵の『GO』と言う合図でボートへと下降した。船側でアシストする者がおらぬ中、桜木は何度もタイミングを測りながら見事に船のデッキ部分に降り立った。
桜木がサムズアップを送ると、今度は三佳が米兵にフックを確認され合図とともに機体から降ろされる。続いて坂崎が降ろされた。二人共に桜木がデッキで彼らをタイミングよく捕まえ、無事に下降に成功した。
「ミスター・タカヤマ」米兵が呼んだ。
僕は自分のフックをワイヤーの金具に掛けようとキャビンドアに近づくと
「Stop!」と制止された。
僕の手順が間違っているのか? それともまだ準備が整っていないのかと思った。
「英語はわかるな?」
「ああ、理解できる」
「貴方はこれから米軍の保護下に置かれる。我々と一緒に横須賀ベースへ戻る」
僕は彼の言っていることが理解できなかった。なぜ僕だけなんだ。三佳や坂崎はどうする? 桜木は? 彼らはどうするんだ?
「僕だけ移動するのか? 彼らは?」
「命令は貴方の保護だけです。彼らは関係ない」
「彼らはどうするんだ」
「私は関知しない。とにかくあなたには一緒に来ていただく」
僕は少し間をおいて海に飛び込もうかと海面を見た。しかしこの高さから無事に飛び込めるのか自信はない。なにより真下には皆が乗り込んだ船がある。ワイヤーを掴んで自力で降りるなど素人の自分に無理な事は明らかだ。
僕はもう一度ボートを覗き見た。三佳と坂崎が心配そうに僕が降りるのを待って見上げている。
「三佳さん!!」
僕は出る限りの大声で叫んだ。
三佳は僕が何かを叫んでいるのはわかったようだ。早くと手招きをしている。
「きっと、もう一度! 迎えに行く!! さきに ベラギーへ行っててくれ! サツキを! サツキを探してくれ!!」
僕は声を嗄らしながらも叫んだ。ローターの轟音は僕自身の声さえ潰す。三佳や坂崎に届くわけはない。けれど僕は叫び続けた。
桜木が持っていたワイヤーを予期していたかのように手放す。それを合図にするようにヘリは一気に方向を変え高度を上げていく。
「三佳さん! 三佳!!」
ヘリのキャビンドアはもう終わったんだと言うかのようには僕の視界を遮った。
「任務完了、帰投する」操縦席の米兵が短く無線を入れる。
「繰り返し言うが、貴方は今から米軍の保護下に置かれる。貴方の行動は制約を受けるが身体の拘束は原則されない。貴方の待遇は戦時下の捕虜と同じくジュネーブ条約により権利は守られる。我々の作戦下においては貴方は保護対象とされ、生命身体への加害行為に対し、現時点より米軍が守る。
他詳細はベースにて上官から説明がある。ご協力を願う」
米兵の言葉を僕は聞いていなかった。僕は小さくなる三佳らを乗せた船を見つめ、また一人になったことを自覚するので精一杯だったからだ。
☆☆☆☆☆
「どういうことよ! ひでくん、高山くんをどこにつれていくの!」
三佳は桜木の胸ぐらを掴み、殴りかかる勢いで桜木に問いただした。
「全て予定通りです」
桜木は三佳の手を簡単にほどいてからデッキのハッチを開け、中から簡易ボートのキットを取り出しコンプレッサーを繋いでゴムボートを手早く作り上げた。
「手伝って、早く」
二人は言われるままに海へゴムボートを下し、他に用意してあった2~3の機材と小さな船外モーターを注意深くボートにおろした。
「何すんねん? なんでこの船あるのにこんな救命ボートみたいなのに乗り替えやねん? もしかして燃料がありませんなんていうのと違うやろな」
坂崎は納得のいかないことの連続で腹をたてている様子だった。腕が痛むのも忘れているのか、庇う事もせずデッキの上に散らかった使い道の分からないものを海に投げ捨てている。
「時間がありません。早く」
「早くってどうやってボートに乗り移る?」
「飛び込むんです、海に」
「え~、勘弁して~や」
「さあ、早く」嫌がる坂崎を無理やり海に落とした。
坂崎は海水をいくらか飲んだもののなんとかボートにしがみついた。
「立花さん行きますよ」
桜木は三佳を抱いて一緒に飛び込む。そして三佳をボートに押し上げてから自分もボートにあがり、最後に坂崎を引き込んだ。
桜木は船外モーターを回す。ヘリのローター音に比べれば小さいが高速で甲高い音を立て回転するスクリューがボートを波に抗わせ始めた。
「いったいどないなってんねん。高山はどないすんねん」
坂崎は救命ボートが走り始め、これよりは数百倍乗り心地が良かったであろうプレジャーボートが小さくなり始めるのを見ながら桜木に訊いた。
「申し訳ありません。全ては皆さんの安全を考慮してのこと。そして我々のストーリー通りであること。これも想定内ということです」
「ひでくんが米軍に囚われたことも?」
三佳はもう何を言われても驚かないといった表情で桜木に問いかけた。
「そうです。我々より安全に高山さんを敵から守れるのは今のところは米軍だけですから…… 高山さんは米国にとっても大事な存在なんですよ」
「なら、さっさとあいつだけ連れて行けばよかったやんけ、なんで俺らがこんな海の真ん中に……」
坂崎がそう言い終わらないうちにジェット機が近づくような音が聞こえ始めたのに三佳が気付いた。
「何?」
もうずいぶんと小さくなったプレジャーボートの方角を見る。空中で何かが光ったかと思うと、昼間に見る彗星のように一直線に海へと突っ込んでいく。その先にはプレジャーボートがあったが、次の瞬間に火柱があがった。
「伏せて!しっかりとボートに掴まって!」
桜木が叫んだ。ひと時もおかず衝撃波がボートを捕まえた。大きく揺れはしたが転覆は免れる。その後を追うように爆発音が響いた。
ボートはなんとか被害を受けることなく海を渡っていく。火柱は次第に小さくなり煙も海にすいこまれていくように見えた。
「なんや、今の……」
「多分、ハープーンでしょう」
「ハープーンってミサイルのことちゃうんか?」
「そうです」
「誰が発射したんや」
「米軍でしょうね」
「おい、俺らを殺す気やったわけか」
少し身震いをして坂崎が言った。
「だからこちらに無理やり乗っていただきました。これで我々は米軍のリストから除外される」
「でも、なぜこうなるとわかったの」
三佳は桜木に尋ねる。坂崎と違いその表情に恐怖はない。
「調布でヘリに皆を乗せた所でこの結末になることはわかってました。もし調布で高山さんだけを連れて行くことにしていたら我々はあそこで射殺されていたか拘束されていた筈。勿論、そうなる場合のプランはちゃんとありましたが、その場合は即、そこから米軍と対峙することになった。つまりこれは我々の最上のシナリオでした」
「どっちにしても私達は消される運命というわけ……」
三佳が坂崎に向かって皮肉めいた口調で言う。
「勘弁してくれよ……」
坂崎は恐怖だけでなく、濡れた寒さもあわさって身震いが激しくなる。
「でも、どうするの? このままじゃミサイルでバラバラにされなくても私達、凍え死ぬか鮫の餌よ。まさかこんなボートで台湾まで行けないし」
三佳も寒さを堪えながら桜木の答えを待った。
「安心してください。助けはもう来てます」
桜木はバックにいれてあった小さなボックスのスイッチを入れる。
暫くのち、300mほど離れた場所に真っ黒な船体が海中から姿を見せる。それが割った波を受けて二度三度、またボートが転覆するかと思うほど揺れた。
「今度は潜水艦、俺らもついてないな」
「これは味方ですよ」桜木は潜水艦に向かって舵をきった。
浮上した潜水艦の防水ハッチが開き、何人かのクルーが出てくるのが見える。三佳らを助けるために準備をしてくれるようだ。
「坂崎さん、タバコある?」
三佳はそう言って手を伸ばした。
「あいにく、ほれ、このざまや」
坂崎はずぶぬれのジャケットのポケットからタバコのパッケージを出す。到底吸えるわけがない。
「そこの防水バックの中に一ついれてありますよ。ライターも」
桜木が全速でモーターを回しながら言った。
「お前、ええとこあるやんけ」
坂崎は三佳と急いでバックからタバコを取り出した。
★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと一切関係がありません。
エンディング曲
Surfin' U.S.A. The Beach Boys
世界はここにある① 世界はここにある⑪
世界はここにある② 世界はここにある⑫
世界はここにある③ 世界はここにある⑬
世界はここにある④ 世界はここにある⑭
世界はここにある⑤ 世界はここにある⑮
世界はここにある⑥ 世界はここにある⑯
世界はここにある⑦ 世界はここにある⑰
世界はここにある⑧ 世界はここにある⑱
世界はここにある➈ 世界はここにある⑲
世界はここにある⑩ 世界はここにある⑳
世界はここにある㉑
世界はここにある㉒
世界はここにある㉓
世界はここにある㉔
世界はここにある㉕
世界はここにある㉖
世界はここにある㉗
世界はここにある㉘
世界はここにある㉙
世界はここにある㉚
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