マインドでそれをすることはできないし、マインドがなければそれを“する”必要がない①
ムージと質問者との会話が素晴らしかったので、心に残ったところを日本語に訳してみました。長くて半分くらいで中断しました。続きは、気が向いたら訳してみるかもしれません。
質問者: 私でも真の自己を経験できるのでしょうか。
Mooji: あなたが自己でなかったことはない。あなたは既に自己なのです。どこか離れた場所に到達しなければ得られないと感じているだけ。どんな時も自己はここにある。個人だという強いアイデンティティが真実から分離感をつくる。
質問者: どのようにしてすべてを手放し、ただ在ることができますか。
Mooji: 私がすべてを手放しなさいというのは、我々は人生の拘りや個人であるという思考に簡単に囚われしまうから。まず初めに、すべての可能性に心を開いてほしい。心を開けば何が障害になっているか分かるから。
質問者: 今でもまだノイズがあるのです。精神的なものだけでなく、身体的な感覚でもノイズがします。
Mooji: すべてを横に置きなさいというのは、そのノイズに関わるなということ。マインドは離れたくないからノイズを出し続ける。無視しなさい。好きなようにさせておきなさい。私がパパジに初めて会ったとき、彼が話している間ずっとノイズがなっていました。でも平静を装っていました。なぜ話しかけるのか、私をからかうのか、こういった意味のない感覚からそれは怒りになりました。だから十分気をつけて。肉体やマインドはノイズを出すが、私の声は聞くことができる。だからノイズを無視しなさい。ノイズはあなたの頭の中だけにある。ノイズを止めようとしないこと、力を与えないこと。「ノイズがなくなればいいのに」などど考えないこと。
私は自由になる方法を示していません。既に自由であると話しています。ノイズは続いているとあなたは意識している。深い眠りの時このノイズはありません。あなたが意識しなければこれらは現れません。騒がしいと言っている何かがあるのです。あなたの中にある意識が、マインドが騒がしいと言っているのです。何かが知覚しています。ノイズなどを知覚しているのはあなたの心ですか、純粋な見る意識ですか。
質問者: 純粋ではありません。感情です。
Mooji: 今日はその衝動に駆られても、そのように見ないでほしい。そのように見るのは純粋ではなく何か利益があるからです。ノイズをなくそうという欲求と結びついている。このように見ることに誰も疑問視しないのは、それが合理的だからです。誰でもノイズはなくしたい。それはわかりますよ。でもこの見方は頼りになりますか?それは安定していますか?
それはとても儚いのです。現れたり消えたり...何がこれを見ていますか?この状態に苦しんでいる者を見ているのは何か?そしてこれすら知覚することができます。何が知覚していますか?すぐに答えなくていいです。この質問を聞いてそれを見出してほしい。
質問者: それができないのです。私はこの意識を知覚できています。でもそれを超えるにはどうすればいいですか。
Mooji: 超える必要はない。それを観るだけで超えるのです。超える必要があると思うのはマインドのもう一つの罠です。あなたはこれを目撃しているのであって、目撃されているのではありません。私は自分の手を見ていても、手は私を見ていません。重要な要素は目撃しているあなたです。あなたはどこにも行く必要がない。
質問者: 頭ではあなたの言っていることが理解できます。
Moojibaba: それは理解していないということです。今日は理解しなければなりません。
なぜあなたは「頭では」と言うのでしょう?
質問者: 私の中から深く感じるものではないからです。
Mooji: あなたの中から深く感じるものとは何でしょう?
質問者: あえて言うなら「無」でしょうか。でもよく分かりません。
Mooji: 「無」には二種類あります。一つはマインドが言う「何もない」です。これは何か見つけようとしているのに見つからないということ。本当の自分にとって「何もない」のは最もくつろげる場所です。
質問者: どうすればそうあれますか?
Mooji: 「どうすれば?」を手放しなさい。「無」とは何か?「何もない」とは何か?
眠っている時がいい例えです。起きている時は「有」、眠っている時は「無」という状態です。深い眠りの時は「何もない」。眠りとは一種の「無」です。経験もなければ、友人も家族もそこにいません。なぜそこにいきたいのか、あなたさえそこにいないのに。
質問者: あなたが「ただ在る」ということを言っているのは分かります。
Mooji: この場合「ただ在る」というのはいい表現とは言えないでしょう。なぜなら私があなたに何かになるように言っているようだから。何かになるとか、何かを変えるとか、どこかに到達するとか、そういった想念は手放しなさい。
質問者: 何度も聞くのは失礼かもしれませんが、どうすれば、どのようにしてそれができますか?私は傲慢ですか?
Mooji: いいえ。私はとても楽しんでいます。感じていることを表現してくれて嬉しい。
深い眠りの時、空っぽになって無になることはチャレンジですか?どうやって無になれるのでしょう?
完全にここにいてほしい。「無」であってほしい。
マインドでそれをすることはできないし、マインドがなければそれを“する”必要がない。
私は「無」であり、肉体をもち、あなたと話す意識もある。すべてが存在し、味わっている。話すという経験をして、あなたの話を理解している。
それと同時に、言葉で説明するなら、私は完全に0(ゼロ)です。数字を数えてと誰かに言うと、「1,2,3,4,5...」と言い、0(ゼロ)は言いません。私もあなたも0(ゼロ)です。思考しているあなたは「1」です。「1」はマインドです。私は既に0(ゼロ)です。どんな数字が現れても現象世界のものだと知っています。思考、感情、感覚、歴史、投影、夢、現実などはすべてマインドの中で現れています。私はそれらが心地よいものですから混乱しません。それが私が言う「無」です。
「真実を発見するには自分が消えることだ」と師は言いました。なんて教えだろうと思いました。しかし私のマインドへの教えではないことは明らかでした。マインドはできませんから。師は私ができないことを語ったのです。私は妙な状態になり、怒りやすべての感情が湧き起こりました。今ではまったく起こりません。
続く…