えりりん

つれづれなるままに、よしなしごとを書きつけようとするページです。

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最近の記事

「八つになりし年」-徒然草-第243段

徒然草の最終段、第243段「八つになりし年」である。 はじめは、禅問答になるのか?と思ったがそうではなく、父が真面目に答えていったら答えられなくなった、というエピソードだった。 それを父がおもしろおかしく周りに言った、と書かれていることから、もしかして、これが徒然草を書いて公表しようと思ったきっかけなのかな?と思った。 普通、きっかけっていうものは、最初に書いたりするな、と思ったので、もう一度最初の段を読んでみた。 「心にうつりゆく由なしごとを、そこはかとなく書き付くれ

    • 貧富平等論ー徒然草第217段ー

      お金に関する段。 お金を貯めるには、お金を使わないことだ、と大富豪が言っている、とのことで、そりゃそうだな、と思い、使わないんだったら貧乏もお金持ちも一緒じゃん、という兼好のいうこともそうだな、と思い、結局は身の丈で生きるってことが幸せの道なんじゃ?と思ったりすると、まあ、今の生活も生きていけてるしいいか、と思ったりする。何事もほどほど?? 稼げていないことへの言い訳かもしれないけど、結局はぐるぐる回すことが幸せなのかなと思ったりする。

      • メール フロム カナダ

        つれづれままに書いてみることにしました。 今日、英語ばかりのメールが届いていました。 息子のホストファミリーが写真を送ってくれた様子。 なぜ息子宛ではなく私?と思いながら翻訳サイトに頼りながら返信。 息子が帰ってきてからもこういった縁が続くのは素敵だな、 クリスマスカードなども出したいな、と思いながら返信も読みました。 息子もこういった縁の尊さに気づくといいな。

        • 理想の老境ー徒然草第151段ー

          いま、ちょうど50歳で、いろいろ始めたいと思っていたところだったので、「50歳で玄人の域に達しないものやめろ」というのはドキッとした。 なら、何か玄人の域に達しているものはあるのかな、とも思う。 でも、「こうあるべき」ではなくて、こうだったらいいよね、というように読むと、確かに今は忙殺されたり目移りしているけれども、いつかは達観した老熟した大人になりたいなと思う気持ちはわかる気がする。 でも、それもいろいろ失敗して老熟するのかもしれないので、結局は今を大事に生きるというこ

          つれづれわぶる人 -徒然草第75段-

          「何もすることがない時間」をどう捉えるのか。空いた時間に雑事を入れてしまうのもよくないと思うが、かといって、ほんとに何もしなくてぼーっとしていてよいのか。それで自分を取り戻せた(「つれづれ」)と言えるのか。かといって、自分を見つめなおすことを一生懸命にすると、それは兼好のいう「つれづれ」なのか。「つれづれ」なのかどうかは謎だが、空いた時間をもてあますのがいけない気がしてきた。つれづれを楽しもう。

          つれづれわぶる人 -徒然草第75段-

          大事を思ひたたむ人

          いつも、ToDoリストを作成してやるべきことをやっていこうと思っているけれども、重要なことほどいつまでもリストに残っていて、いつのまにか忘れ去られてしまう。まさに、「思ひ立つ日もあるべからず」。 今日、古文の「命は人を待つものかは」という表現が、言いたいことを短く言い表していることを知り、古文を原文で読む意味が少し理解できた。時間も寿命も待ってくれないので、やりたいことをやりたいと思う。その前にほんとにやりたいことをみつけなければですが。

          大事を思ひたたむ人