5.27 ルアンパバーン、サンハイ村

気が付いたらひどい熱中症になっており
泥のように眠った1日。

ナイトマーケットで買った
ラオスのライスワインとライスウイスキー。
ライスワインは15度で日本酒、
ライスウイスキーは50度と
泡盛みたいなイメージか。

お店の女の子がとても感じがよく親切で、
このお酒は村で家族が作っているのよ、
と教えてくれる。

甘酒のようなお米の甘みがたっぷり感じられる
ライスワインが、日本酒好きなわたしたちを
惹き付ける。ライスウイスキーはかなり強い。

ラオラオというこのお米でできたウイスキーは
国民的に人気のお酒らしいが、
このライスワインの方はこの村だけだという。

小さい村で家族工房の手仕事でお酒作りなんて
まさにわたしたちが行かなくてどうする!
村の名前を教えてもらい、
明日行くね!と一緒に写真をとり
家族に見せるね〜とバイバイする。

サンハイ村という名前の村。
調べてみると車やボートで1時間ほど。
近くに有名な観光地の洞窟があり、
朝8時ごろのボートで
そことセットで行くのが主流らしい。

夜、交通手段を調べるも
自力のルートが見つからない。
疲れ果てたので明日の自分たちに
いいルート探しを頑張ってもらうことにして
眠る。

起きたのは10時すぎ。
せっかくルアンパバーンにいるのだから
5:30に起きて朝の托鉢に参加し
そのあと調べてなかったら8時の
ボートツアーで行くしかないか、という話は
机上の空論になっている。

とりあえず、お腹が空いたので
朝ごはんと川沿いを歩く。
美味しそうな麺や揚げパンを食べている
現地の人と観光客で賑わっている店を見つける。

ラオスのご飯は量が多く
朝はそこまで食べないので
麺1つと揚げパン4つ、飲み物を頼んだが、
麺が2つきてしまった。

麺はモチモチしたうどんのようで
ものすごく美味しくペロッと行けたから
結果オーライ。

メコン川を眺めながら
少しのパクチーとフライドオニオンの
甘みが溶け込んだ温かいお出汁のスープに
揚げパンを浸して食べる至福の時間。

東南アジアの揚げパン浸しの食文化は
ぜひ日本にも来てくれたらうれしいと思いつつ、
日本は朝ごはんを外食する文化は
あまりないからなのかな、とか考える。

となりの席に残った揚げパンが4つ乗った
お皿が置いてあり、こどもたちがそれを
何かニコニコ話しながら持って行く。

様子を眺めているとお父さんとお母さん、
こどもたちが数人一緒に麺を食べている
自分たちのテーブルに持っていって
楽しそうに食べていたのを見て
なんとも言えない気持ちになった。

わたしたちはほぼ出歩いていないが、
それでもルアンパバーンでは
道で1人バナナを売っているこどもを見たり
お店を手伝うこどもをたくさん見かける。

ぼーっとメコン川を眺めながら
ゆっくり朝ごはんを食べたあと、
そろそろ動き出す。もう12時だ。

ボートツアーをやっている人たちが
川沿いにいたので、彼らに
サンハイ村だけも可能か聞いてみることに。

大丈夫とのことだが、ボートだと往復6000円、
トゥクトゥクだと3500円と言われる。

初めはせっかくなら
ボートに乗りたい気持ちもあったが、
景色があまり変わらないボートで
炎天下の中1時間ずつ往復するのは
大量的にもしんどい。

それならば街を眺めて風を切れる
トゥクトゥクの方がいいかもしれない。
お礼を言ってその場を離れ、
少し2人で相談しつつ、
他にも同じように連れて行ってもらえそうな
ツアーやトゥクトゥクがあった道に行き
そっちでも確認することに。

こっちではトゥクトゥクとバンがある。
妹はまだボートも捨てきれていなかったが
ここでの交通手段のための2~3000円の課金は
贅沢すぎると思い、トゥクトゥクで行くことに。

観光客でかなりふっかけられている気もするが
値下げ交渉は苦手だし、
気持ちいいものではない。
そういう文化なのも分かるが、
どうにも慣れない。

片道1時間弱で村を見ている間は
待っててくれて3000円。
かなりぼられて滑稽に多めに払っていたとしても
彼らが潤ってくれた方が心は軽い。

洞窟付きのツアーに行ったほうが
2人でトゥクトゥクで行くより割安だった気もするが、無事に行けることになってよかった。

途中の道である飲み物のスタンドに立ち寄ると、
お店の女性と楽しそうに話し、
奥から5歳くらいの女の子がやってきて
助手席に乗り込んだ。

聞くと、娘さんらしい。
奥さんも明るく行ってらっしゃいと
見送ってくれる。

こっち方面でお客さんが少ないときに
よく一緒に行くのかもしれない。
なんだか微笑ましかった。

途中、なかなかのでこぼこ道で
右手親指の付け根を派手に負傷している妹が
握れなくて悲鳴をあげる。

後ろから、ごめん〜と言って
手を怪我してて掴めないから
少しゆっくり走ってもらえるかお願いすると、
OKと言ってその後は丁寧に運転してくれたのが
ありがたかった。

村に着くと、ドライバーのおじちゃんは
ここで待ってるから見てきていいよ〜と
言い、後ろの席にハンモックをセットする。

とてもこじんまりした落ち着いた村で
コンクリートなどではなく
木の半屋外の家がほとんどで
大きな街とは全く雰囲気が違う。

サンハイ村は、手作りライスウイスキーと
織物の街らしい。

ほとんどの家の軒先にたくさんの織物と
織り機に途中の布がセットしてあり、
ライスワインとライスウイスキーを並べている。

懐っこいこどもたちが
手を振ってくれたりあいさつしてくれたり
ハイタッチをしてくれる。
素朴な雰囲気で溢れていた。

店の前で足を止めると
奥から人が出てきていらっしゃい、
と布を広げて見せてくれる。

ここで作ったの?と聞くと
そうよ、と言ってセットしてある
続きを織ってみせてくれる。

1枚織るのに小さいのは2.3日、
大きいのは3日以上はかかる、
ハンドメイド、と言われるが、
それには不釣り合いなほどの量が置いてある。

伝統的な緻密な模様の大きい布が
壁にたくさんぶら下がっていて、
これはどうかは分からない。

ここに限らず、ハンドメイド、ハンドメイド、
ここで作ってます、とだけ言ってくる場所は多く、パフォーマンス様に織り機が置いてあるように見えなくもないし、何より店番の空き時間に
ほとんど誰も織っていない。

けど、今はお昼どきだし暑いのに加えて
午前中にたくさんツアーで観光客がくる
時間帯ではないから、お休みしている
だけにも見える。

他のお店のセットしてあるものと
布の雰囲気から、
コットンのパステルでカジュアルなものは
ここで織っているもののように見えた。
お店によって使っていたり組み合わせている
色が違くて個性が出ていて可愛らしい。

堅苦しく伝統的な模様です、というより
ここでわたしたちが織っているものです、
という感じがして好きだった。

少し歩くと日本語が書いてある場所があり、
中をのぞくと小・中学生くらいのこどもたちが
4.5人でビニールテープのカゴを作っていた。
利発そうな子が英語でどうぞ、と
中を見せてくれる。

その子に年齢を聞くと16歳。
14歳くらいともう少し幼くも見えた。

お母さんは日本への別のものを作っていて、
このカゴはアメリカ用に作っていると
教えてくれる。

ビニールテープのカゴは、
ベトナムや他の東南アジアでもよく見かける
人気のお土産の1つなので見覚えがあった。

シャイで素直で明るいこどもたちが
平日の昼間から働いている。
彼女たちは普段学校に通っているのか、
卒業をしたのか分からない。

少しぶらぶらすると、
同じおそらくここで織っている布だが
他のお店にはないショートパンツを見かけた。
おばあちゃんがわたしが作ったのよ、
3ドル、3ドル、2つ買うなら5ドル、と
言われる。

コットン100%の糸で何日かかけて
手織りしたものがたったの3ドル。
なんとも言えない気持ちになる。
たまに来る観光客が、3ドルの布を買っていくだけだとしたらと考えてしまう。

午前中、ツアーで観光客が押し寄せ
村にはもっと活気があり
飛ぶように売れて行くのかもしれない。

この時間帯に観光客は
わたしたちともう1.2組しかいなくて
村もとても落ち着いていたので
実際のところどんな感じなのかは分からなく、
そのタイミングでも訪ねて見たかったと思った。

彼らの英語は
お酒を味見させてくれながら
この白い方はこっちのお米で15度、
紫の方はこっちのお米で15度、
透明な方はラオラオで50度、
あとは100%コットンといくら、だけで
もう少しまつわる別のことを聞いても
他は伝わらず、同じことが返ってくるのが
切なかった。

Google翻訳を使いたかったが
圏外で電波がなく、もどかしかった。

お酒も家に寄って味が違って面白いし
何よりこのライスワインが美味しい。

作った日が違うのか
他の家のも売っているのか、
同じ家の同じ種類のお酒でさえ
色やラベルがバラバラである。


家や季節、その日に寄っても
味が全然違うのかもしれない。

奥にドラム缶を改造した
蒸留の装置の置いてあるお店があった。
川が良く見えるのどかで美しい景色で
おじさんが1人お昼を食べている。

わたしたちに気が付き、
装置や壺の中を見せてくれたり、
味見をさせてくれる。
2.3時間やると壺1杯のラオラオができるんだよ、と言って横に置いてあるできたてのラオラオを
壺から1口飲ませてくれる。

温かくてお米の香りがして
口の中での蒸発というか広がり方が全然違う。
初めて味わったような味だった。

温度管理を徹底して
大きな工場で作るお酒と違って、
原始的におおらかに家で作っている
ここの村のお酒が好きになった。

ここの白の方のライスワインが
とても美味しかったので、
1つお土産に買わせてもらう。
他より10キープほど高かったが
全然嫌じゃなかった。

メイン通りから1本ずれて歩くと
織り機で織っているお母さんや
刺繍をしている女性や
家の中で赤ちゃんにご飯を食べさせている
お母さんを見かけた。

織っていたお母さんのところは
染色した糸も干してある。

商品は置いていないので、
こういうところで多めに作って、
村の入口の方のお店が販売と少しの制作
という風に分業しているのかもしれない。
彼女に売上のどのくらいが行くのか、
みんなに行き渡っていたらいいなと思った。

お家の中ではお父さんがお酒を飲んでいる。
他の場所でもラオスではおじさんたちが昼間から
酒盛りをし、お母さんが店番や子守りや織物、
という光景をよく見る。

網なども家の外に干してあったので
おじさん達も朝漁に出たり力仕事をして
いるのかも知れないので分からないが、
印象的だった。

サンハイ村にある看板には
元々は陶器の村だが、
今はライスウイスキーと織物の村、
とだけ書いてあり、
ネットで調べても同じ情報しか出てこない。

陶器の壺がたくさんあり
お酒作りを初めて、観光客がたくさんくるので
織物もしているのか、どのような
変遷のある村なのか知りたかったが
聞ける人がいないのがもどかしい。

トゥクトゥクに帰ると、娘ちゃんは
コーラを片手にお父さんとおしゃべりしていて
うれしそうだった。
この村はお父さんとのちょっとした贅沢な
お決まりのデートコースなのかもしれない。

帰りも丁寧に安全運転をしてくれた。
街に帰ってくる
と別のトゥクトゥクのおじさんが、
滝や洞窟はどうだい?と聞いてくる。

今サンハイ村から帰ってきて
暑くて疲れたから休むよ〜というと
ハハハ、OKという。
もしよかったら明日行きたいところはないかい?
と英語のガイドブックのようなものを
見せてくれて目を通すも
村の情報は載ってなかった。

宿に帰って昼寝をする。
まだ15時だが、今日は晴れていて
朝からずっと屋外にいる。
涼しい室内で回復したかった。

18時前ごろに起きて
夜ご飯を食べに行くことに。
天気もよかったので今日は川辺で
サンセットが見たい。
雨季だったので曇りや雨の日も多く、
まだライスでサンセットが見れていない。

川辺の雰囲気のよくそこまで高くなく、
ハッピーアワーでもう一杯、という看板がある
レストランがあったのでそこへ。

聞くとハッピーアワーは18時から19時。
まだ5分ほど時間があって先にご飯を頼み
18時になったらビールを頼んでもいいか聞くと
感じのいい青年のスタッフさんが
もちろん、と笑って答えてくれた。

青い空とメコン川と向かいの山々に
美味しいご飯とビール。

ラオスにお気にりの人もできて
ビアラオTシャツを着た妹は
感極まって涙ぐみながら、
わたしはこの国が好きだ、と言って
ビールを飲む。

チェンマイにはわたし1人で行き
妹はラオスに置いていくのもなしではない。
自由な旅である。

1つ夢ができた。
ビアラオのCMに一緒に出よう、と
妹と2人で乾杯をした。

少し曇ってきて赤くは染まらなかったが、
メコン川の向かいの山に沈む太陽を
のんびり眺める。

ぽつぽつと対岸の船に明かりがついてきて、
すっかり暗くなったころには
行き交う船の明かりも美しかった。

日本人宿があると聞いて、
調べてみると、ツアーなどもやっているらしかったので、手仕事や村へのホームステイ、
ラオスのことを聞きたくのぞかせてもらう。

どこもそうだろうが、
ラオスの実情は観光地だけを
巡っているだけでは分からない。
その感覚はわたしたちも強く、
もっとラオスのことも知りたかった。

夜はもう閉まっていたら
明日の朝行こうと思ったが、
日本人の女性が出てきて対応してくれた。

政府の許可が必要で
ホームステイや民族の村に行くのは
中々むずかしくお金がかかることなどを
教えてくれる。

こどもをここでも保護しており、
こども食堂も開催したりしているという。
とても迷ったが色々思うところもあり
今回はお断りをした。

ラオスでは知りたいけど分からないこと、
聞けないこと、調べても出てこないこと、
自力で行くのは難しいところ、
たくさんもどかしさを感じる。

宿では脱水症状なのか
寝不足の限界が来たのか
気が付くと気を失って眠っていて、
少し起きたあとも頭の奥から
意識を引っ張られるような感覚で
起きられず泥のように眠ってしまった。


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