世界一周153日目🇺🇿 9.21 マルギラン、リシタン陶器の工房で素敵な出会いとおちょこと、フランス人おじいちゃんの地図
朝は昨日仲良くなった
スイス人の友達のデニスと
一緒に宿に付いている朝食を囲む。
一泊だけなのに老若男女問わず
宿のゲストの全員の心を掴んでいるデニス。
天性の人柄だ。
スイス人で
フランス語、英語、ドイツ語を
話せるのも強いが、
関係なく少し適当でマイペースで
でも真面目で人当たりのよい彼が
一人旅をしているので、
とくにおばさま、おじいちゃんからも
めちゃくちゃ可愛がられていた。
バイバイするときに
みんなに良い旅を、と
声をかけられて、
その一言だけでなく
しっかりと会話をしていく。
朝、リシタンに行くのに
オーナーさんの息子がちょうど行くので
一緒に乗せていってくれる話になっていた。
わたしたちは11-12時と約束していたが、
別のオーストラリア出身の
おばさま2人は、今オーナーに
10時に出ると言い出されたらしく、
どうなってるの?とピリついている。
しかも案の定息子は10時には
来ないので、結局2人は
バスを乗り継いで行くことになったようだ。
ここでもピリついていた雰囲気を
一気に打破したのは、
デニスがみんなにバイバイと言って
自転車を押して宿を出たときだ。
彼はすごい。
申し訳ないがわたしたちは
先に息子さんと約束しており、
1時間待って無料で乗り換えなしで
送ってもらえるならと待つ。
おばさま達にも
いくら払う予定だった?と聞かれて
はぐらかしてオーナーに
時間を確認するフリをして
その場を離れる。
1時間ほど余裕があるので
昨日出会ったゴールド刺繍のマスターの
おじさんがワークショップをやっているという
ミュージアムに行くも、
まだ空いていない。
おじさん、10時には空いてて
いるって言ったよね?
なぞに日本人と言ったら
スタッフのようなおじさんに
いきなり電話を繋がれる。
相手は少し日本語を勉強した人らしく
日本人ということで繋げられたのか
分からないがら申し訳ないが
何言っているか分からない。
英語は話せず、外国語での電話は
対面と比べてグッと難易度があがる。
なぞの日本語を話され、
どうにか理解しようと努めたが
意味が全然分からなかった。
切っても何度も掛け直しては
電話を渡される。
この多電話おじさんのおかげで、
なぜか準備中だが少し展示を見せてもらえたので
それはよかった。
テキスタイルフェスティバルの一環で、
ウズベキスタンの
手仕事の写真やスザニの展示が並ぶ。
なかなか見応えがあったが
あいにく時間があまりないのと
準備中なのと、キャプションが少なく
あってもウズベク語とロシア語と
おそらくフランスかドイツ語で
英語がなかったのであまり詳しくは見れず。
オーナーの息子に
そろそろ宿に向かうよ、と
連絡をすると工房がランチタイムだか
なんだかだから、12時出発でもいい?
と言い出す。言うの遅くないか?
もうこっちは11時に宿に入れるように
動いていたんだが。
なぞに1時間空いてしまったので
外に出てシャシリクを見つけて
1本食べてみるか、と思ったが
パンもサラダもあるので
なら2本、なら店内で、と
流れるように店内に案内される。
お茶も飲んで合わせて
260円。ローカルな店はありがたい。
お茶なんて2人で分けれるポットで30円だ。
朝すでに、時間がずれたり
予定の約束が守られないことが
3件も起きた。
こう言う日はずっとこう。
なんか歯車があっていない日。
そんな日もある。
待ちぼうけで暇していて、
そろそろかと思うと
しかも2.30分ずつのばされるり
先にまとめて2時間遅れる、
と聞けば、こちらもカフェで
作業をしたり行きたいところに行ったりと
有意義な時間を過ごせるのに
少しずつ伸ばされるので、
できることは昨日も行った
近くのマーケットをふらふらすることくらい。
歩き疲れて熱中症気味にもなった。
マーケットでは
おじさん、おばさん、いろんな人が
声掛けてくれる。
少しのウズベク語を話すと
すごく喜んでくれて、
ラズベリーをくれたり、
ザクロくれたりスイカくれたり。
10歳くらいの女の子は
ノンの売り場で1人サッカーをして
話したそうにするけど
Google翻訳をかざすと
照れて話さない。
けれどもウズベク語で
何か話そうとしてくれたり、
こっちが指でカエルを作って見せると
真似したりと、平和な暇つぶしの時間が続いた。
有名な工房に行くと、
むかし日本語学校で日本語を学び、
九谷焼の修行で石川にも住んでいたという
マスターのおじいちゃんと
お会いできた。
ものすごく自然な優しい日本語の発音で
本当に日本の優しいおじいちゃんと
話しているような不思議な時間だった。
どこか行ってしまったが、
忙しいらしく戻ってこなかった。
無料のろくろ回し体験をさせてもらったり
王様の毒盛り防止のために
中国や韓国、日本で生まれたという
釉薬のないザラザラした色の変わる
素敵な陶器の解説を聞いたり。
風通しのいい美しい中庭で
一点ものの作品を見たり
職人さんが目隠しで
ミルクポットを作るのを
実演してくれたりと、いい時間だった。
しかも、自転車で出発した
デニスと再会。
彼は案内してくれて
かなり割引をしてくれたスタッフにも
丁寧に名前を聞いてお礼をいって
握手をしていた。
一期一会をと相手を大切にしているのが
よく分かる、とにかくいい人柄で、
わたしたちも握手かな、
なんて思って手を出そうとしたら
迷いなくハグをしてくれて、
その無邪気な雰囲気と人柄に
妹と2人でメロメロになっていた。
彼はすごい、世界平和そのもので
彼なら全員世界中の人と
手を繋げそうだ。
息子にはビアラオTだね、
タイで飲んだよ、と言われ、
日本人の女性にも、
ビアラオTだね、
わたしもラオス大好きで、と
素敵な出会いをする。
まさかのこの工房で
2人にビアラオTに食い付かれるとは。
その女性は40年ほど前に
妹さんと世界のいろんなところを旅したらしく、
妹さんは当時学生だったので
カイロでバイバイして
そのあとは一人旅をしたという
とても素敵すぎるお話をしてくれた。
ご自身も染めや織りをやられていて
織り機が家にあるらしく、
ルアンパバーンが大好きで
ラオスのフェアトレードも
運営していたとか。
今もこうして1人でウズベキスタンに来て
手仕事の工房巡りをされている姿が
なんとも素敵すぎて、
幸せな出会いだった。
もう一つの工房は、
緻密で正確なリシタンぽい
デザインがこれまた美しかった。
こちらも日本の九谷焼と繋がりがあり
ギャラリーでは
これはこの師匠から
プレゼントしてもらったやつ、と
本や写真を見せながらマスターのおじいちゃんが
いろいろおしゃべりしてくれる。
若い20代のお孫さんが通訳をしてくれながら。
なんだか世界中からマスターが
プレゼントされた陶器に囲まれて
夢のような美しい空間と
おしゃべりの時間だった。
ちょうど団体客がどっと引いて
落ち着いたら時間だったのもよかった。
一目惚れした
ぽってりに短い脚の付いたマグを買い、
いくつからやってて、
今何歳なんですか?と聞くと
80歳になる、というので
なんと!お若く元気だね!と
驚くと、10年後にね、と
元気にジョークを飛ばしてくれていた。
わたしも80歳になる、
だいたい50年後に、と返したら、
それが刺さったのかは不明だが、
アイライク乾杯、
今度は日本で乾杯しよう!と
おちょこをプレゼントしてくれて
温かさと優しさに涙が出そうだった。
なんだかウズベキスタンでは
各地の手仕事のマスターから、
愛のこもったプレゼントを
いただいている。
息子達カップルは
早めにバイバイして
ここに置いて行かれたのだが、
自力でタクシーを呼ぼうにも
ヤンデックスのやっていない地域で
タクシーは呼べず、
バスはもうない時間らしい。
フェルガナまでは
行くタクシーはあるらしいが
マルギランまではないらしく、
困っているとマスターが知り合いを伝って
なんとか呼んでくれる。
なんという優しさなのか。
こどもが2人、途方に暮れていると
心配してくれたのか。
待ってる間に
お茶いる?とお茶とクッキーまで
出していただいて、
めちゃくちゃお腹が空いていたので
2人してクッキーを爆食い。
あったかい家族で、
お母さんは大きなハグと
ほっぺにキスまでしてくれた。
おかげで無事にタクシーに乗れた。
運転手とその友人のおじさん2人が
前列で楽しそうに
無邪気に大笑いして盛り上がっている。
ウルグットで送っていただいた
背中を思い出す。
いくつになっても
こんな風に楽しく盛り上がれる友人がいるのは
幸せなことだと思う。
微笑ましい光景だった。
疲れといい刺激で溢れ、
気絶しそうになりながら
スリランカの記事の仕上げに取り掛かる。
少し時間が空いてバティックを
調べたり考え直すことで、
新しい発見があって面白い。
ウズベキスタンでは
熟睡度が高い。
それは妹も同じのようだ。
散歩も多くほどよい疲れと、
暑くなく寒くなく
乾燥している心地よい気候、
ふかふかの毛布
(スリランカとインドは基本的に
毛布という概念がなく、シーツをかけたり
上着を掛けて寝ていた)
で、ぐっすり眠っている。
2人とも、ノンレム睡眠に入っていて
起きれないときは、
今もゾーンに入っちゃってるわ、と
だけ言ってまた長く寝る。
お互いにそれの
わかりみが深過ぎて暗黙の了解。
充実感と満足感と
気持ちのいい疲労をもって
寝床につける幸せを噛み締めつつ
眠りにつく。
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