世界一周269日目🇪🇬1.15 フルダガからルクソー、蘭亭序と美しい時間と濃い会話

今日はフルダガからルクソーへ移動。
フルダガでの漢詩の蘭亭序と美しい時間。
ルクソーでの濃い会話。
何もないようで濃い一日の繰り返し。

朝、早起きしてパッキングを
済ませたが、肝心の9時のバスが売り切れ。
次のバスは1:30発だ。

マヤンもやってきて
少しおしゃべりをしたり。
いつだって面白い。
マヤンはわたしの棚にあった
小さな花束をすぐ見つけて
すぐにこれどうしたの?と聞いてくる。

ビーチの彼とカフェに行って
花を買ってくれたの。
でも、彼は花に限らず
ワッフルやら何やら買えるものは
買ったりしてて、お花売りのおじさんも
最初は丁寧に断ってたけど、
押しが強くて最終的に
お花好き?と聞いてくれ
買ってくれた、から、
そんなにアレではないよ、と話すも
ニヤニヤ楽しそうに聞いてくる。

きっと彼はそのカフェによく
花売りの人がきて、
違和感がないように他のものも
買ったのかもよ、なんて
茶化してくる。

わたしも、彼も靴下だけは
いらないから買ってなかった、
なんて話しては、みんなで大笑いした。

そのあと、今日ルクソーに移動だけど
どうやって持っていくの?と聞かれ
持っていけないから
ホステルに置いていこうと思ってた、
と話すと、

ノンノンノン、
持っていって押し花にして
日記に挟まなきゃ!なんて言ってくる。

押し花なんてわたしも好きなので
それもそうか、と持っていくことに。
(ちなみにまだ押し花にはしていない。)

マヤンは慌ただしく、嬉しそうに
新しく出会ったいい感じの
昨日も一緒に過ごしたドイツ人と
ブランチしてくる、と出ていった。
まったく愉快な女性である。

バスの時間までマリナとおしゃべり。
今日バイバイとのことで、
いい友達と出会ったときに
プレゼントしてる、と
ロシアから持ってきたポストカードと
チョコレートをもらう。

わたしもポストカードが好きなのと
この気持ちがうれしく、
なんだかすごく心がぎゅっとなる。

マリナは心が、言葉が美しい人で
ポストカードの裏に
彼女の好きなフレーズを書いてもらうことに。

"the power which leads stars, leads you too"

"星を導く力が、あなたのことも導いてくれる"

という、とても美しい言葉だった。
旅をしていたり人生を生きていると
不安になったり、これでいいのかと
迷ったり、悩むこともあるけれど、
その度にこの言葉を思い出して、
1人じゃないし、宇宙や星の力で、
全てはそうなるようになっていて、
everything is orderedで、
だから大丈夫、と思えるそう。

彼女の書く文字のカリグラフィーと、
心地よいリズムと声と、言葉は本当に美しく、
言葉への才能がある。

最初こそシャイで、
文句が多いこともあるけれど、
それは変化が苦手で繊細で、
コンフォートゾーンの中が
変わるのがかなり抵抗あるからの
愚痴だったりで、
それでも旅をしている彼女の強さと、
広く浅くではなく
大切な友達と深く付き合い
大切にすることがすごく伝わってきた。

彼女に、2週間一緒に過ごせて
すごくいい時間だったこと、
彼女がいなかったらきっと
ここがこんなに心地よくて
長いしなかったこと、
いろいろ話してお礼も伝えた。

彼女も、前にここに来たときは
かなりシャイで
話しかけられずあんまり友達もできず、
こうして出会えていい時間を過ごせて
よかったと言ってくれた。

そのあとバスまで時間があるので
おしゃべりをする。

わたしたちは言葉や詩や
カリグラフィーが好きで、
彼女が中国人の大切な友達から
もらったというカリグラフィーを見せてくれる。

意味を教えてもらったか、
忘れてしまったかで、
もしかして分かる?と聞かれた。

茂林脩竹という四文字が書いてあり、
初めは字もわからなかったので
少しずつ調べていく。

林が茂り、竹が伸びている、
という意味で、その背景も調べていくと、
王羲之の蘭亭序の一節であることがわかる。

蘭亭序は、わたしが高校生のときに
書道部の卒業制作で
同期と共につくった思い出深い
ものの1つである。
まさかここで出会うとは。

そしてその背景を調べると、
約350年と1700年も前に作られた詩で、
王羲之は過去の人が感動する美しさと
今も自分が感動することは同じようなことであり、それがなんとも美しいことだ。

同じ感性を持つ詩人の仲間と、
お酒と歌と音楽が溢れ、
茂る林と伸びる竹、
美しい川の流れと山々、といった、
豪華ではないけれど、
なんとも幸せな時間である。

そして、孔子は人は生きても死んでも
変わらない、生死に左右されないというが、
人は生まれて、老い、やがて亡くなるという
悲しいが、そうして人生を歩み、
決して生死は同じではないと。

自分も過去になっていくが、
未来の人も自分と同じように
感動するような詩をここに書こう、と
詩人の仲間と集まって
この蘭亭序を書いたのだ。

そしてそれが今まさに、
豪華なリゾートではなく
ホステルの一室だけれども、
時と国を超えて、こうしてわたしたちを
感動させて美しい時間をくれている。

そんな歌の意味と背景を
マリナに伝えて、2人でこの感動を
語り合った、なんとも美しい時間だった。 

一緒に何度も通った
abo adamという超ローカル食堂へ
最後のランチをしに行く。

彼女は照れながらも
実は前に忘れようとした人が
今フルダガにいることが分かって
また連絡して会った、と話してくれる。

彼はムスリムで彼女はクリスチャンで、
彼にムスリムになってくれたら
結婚もしたいと言われたけれど、
彼女も自分の宗教が好きで
すごく悩んだり葛藤もあったが
彼と一緒にいることは諦めて
連絡先もブロックしていたという。

が、彼は携帯の番号を変え
また連絡してくれて、
ちょうどこの街にいるので
会ったという。

受け入れてくれない
彼が悪い、というのではなく、
彼の中にも何か大切なものがあって、
お互いにお互いの大切なものがあり、
心の中に流れるものや
信じているものは違って、
理解はできなくても、
お互いを受け入れて尊重し合うとは
どういうことなのか、
考えさせられることがたくさんあった。

その人がいいと思ったのは
前に彼女が風邪を引いたときに
心配してくれただけでなく、
お粥を作って届けにきてくれたりと
実際に行動をしてくれるところ。

心配してるよ、大好きだよ、
なんてメッセージはしても、
実際に行動が伴っていないなんてこともあって、
行動を見るのが大切で、
彼はまさに言葉だけでなく
ちゃんと行動してくれる人だった。
そんな人となら彼女も幸せに
なれるだろうな、と思った。

宗教の話は人それぞれで
まだまだ2人も簡単に進む訳ではないが、
久しぶりに再開できて、
何かが動き始めていることは
わたしにも伝わってきた。

そのあとは10分ほどだがマリナと一緒に
最後にビーチに行って彼にバイバイしに
会いに行くことにした。

なんかこう、
好きとかではないのだが、
友達としていい人で
でも友達としてだけでなく
ちょっとトキメかせるのがうまく、
時間もあるし、少しだけでも
最後にまた会いたいな、と
思わせる人だ。

もちろんビーチに行けるという魅力も
ものすごく大きいしそっちがメインでもあるが。

とにかく彼だけでなく
ここのスタッフさんが
フレンドリーで温かかったおかげで
フルダガを楽しんだのは間違いない。

そしてバスターミナルへ向かう。
そのためのバス停までかと思いきや、
なんとマリナは一緒にバスに乗って
バスターミナルまで来てくれ
お見送りしてくれた。
なんだが彼女の優しさと愛情深さに
感動してしまった。

バスではウトウトとしながらも
景色を楽しむ。
山が見えて、乾燥した大地が広がり、
なんでわたしはもっと早くこの街を出て、
もっといろいろ見ようとしなかったのだろう、
と思ったが、きっとあまり好きではない
フルダガの街で2週間過ごしたことにも
何か意味があるのだろう、と思う。

バスは夕焼けの向きを考えた
右側の窓側を予約したおかげで、
美しい夕焼けを見れた。

川面に反射する木々と夕焼け、
ウトウトとして目を覚ましては
違った色と風景を見せてくれる。

モロッコの砂漠の歌が頭に流れつう、
まどろみの中見た美しいこの
川と夕焼けは特別な風景とした
心に入り込んでくる。

ルクソーに到着。
第一印象はものすごくよい。
大きな街だな、ローカル感と活気があり、
観光リゾート都市のフルダガとは違い
地元の人の生活を感じる。

コリアンダーの匂いと
ストリートフード、
道に並ぶ野菜や果物、
ローカルレストラン、と
うるさいクラクションと
行き交う人々と車に
ワクワクした。

宿の前の少し細くて暗い道で、
5歳くらいの男の子と
3歳くらいの男の子が、
ハローと言ってきて、
ハローと返すと、後をついてきて、
お金ちょうだい、と言われるのかな、と
思っていたが、
ちょんちょん、と突いて
ハローとまた言ってきて、
返事をすると恥ずかしそうに
駆け出して行った。

純粋に遊びたかっただけなのだ。
(ちなみに次の日の朝も
ハローとハイタッチだけしてきて
お金を聞く様子は全くなかった)

宿に到着すると、
ものすごい笑顔の素敵な
爽やお兄さんが受付だった。

が、何よりもまず
ずっとトイレに行きたかったので、
チェックインよりも自己紹介よりも
ごめん、トイレに先に行かせてくれ、
というと、もちろん、
とトイレに案内してくれる。

そのあと対応してくれて、
なんと日本人の同い年のひとり旅の
人と出会ったりした。
日本人の男性ひとり旅はたまに会うが、
日本人女性のひとり旅は初めてだ。

彼女はなかなかクセの強い人で
ケニアをメインに仕事の休みで
エジプトにも来そう。
歯科衛生士のフリーランスなので
休みは自由に調整できて
旅をしているという。

いろいろ話を聞きたかったが、
彼女は宿にいる子犬に甘噛みされて
狂犬病が心配でその話で持ちきりだった。

英語ペラペラなの?
宿のスタッフさんに
大丈夫か聞いて、とか、
何ヶ月働いてるの?とか、
いろいろ聞いてと頼まれるが、
彼らはノープロブレムしか言わず、
月に1回病院にも連れて行ってるし
わんこはワクチンも打っている、と
話してくれる。

が、彼女は不安で、でも
ノープロブレムって言ってるから
大丈夫かな、と聞いてきて、

不安なら彼らに聞いても返事は
同じだから、狂犬病について
ググって、不安あれば病院にいくなり
考えた方がいいのでは?と言うと、
ググっても怖い情報しかないから
嫌やねん、とのことで
まあ、わからないし自己責任である。

とまあ、
彼女ワールドが広がっていたのだが、
1人でケニアに行く感じとか
強さとか純粋さとか、
いろいろ素敵だなぁ、と思うことも
たくさんあった。
聞きたいことや話したかったことも
たくさんあったが、
彼女はバスでカイロに向かった。

そのあとは宿の屋上でのんびり。
キルギス出身の女の子と
ポーランド出身の女の子が
話していて、

ツアーがどうだ、
エジプトの詐欺がどうだ、お金がどうだ、
レストランのサービス料を払いたくないだ、
美味しくなかったし、呼んでもこないし、
机は拭かれていない、だの、
ケチでうるさい会話を繰り広げている。

サービス料を払いたくないから
払わない、ではなく、
その国のチップ文化を知るべきであり、
その国では払うけど
満足しなかったら何%、
平均はどのくらい、
または、払わないというのが
普通なのかどうか、

自分の物差しではなく、
相手の国物差しを知り、
尊重して、その上で対応すべきである。

わたしだってひどい対応をされたのに
フランスでかなりサービス料を
上乗せされてイライラもしたが、
払わない、ではなく、減らす、がいいのか、
きちんとその国の文化を理解してから
行動すべきであると思う。

ラテンアメリカを2年も旅していて
彼らのバイブスが好きでそういう
オープンな人になりたい、なんて
話しているが、
まだまだ遠いように感じた。

宿のオーナーに
日本人は好き、いい人、と言われて
いろんなところで言われるので
なんでか理由を聞くと、
全員が全員ではないけれど、
傾向として
日本人はいいところを見る、
ヨーロッパや他のところの人は
は悪いとこみて文句を言う、
と言われた。

日本人はすごく感謝もするし
他人に対していい行動をすると。
なるほど、実感はないけど
そうなのかもしれない。

そして、郷に入れば郷に従え、
という素晴らしい格言があるので
自分の常識や物差しで対応せず、
相手の土地の文化を尊重して
合わせるのが身に染みているのかもしれない。

オーナーと
エジプトの経済についても話す。
エジプトパウンドが下落し、
iPhoneとかドルで買うのは高いけど
国内の野菜や果物はそのままで
想像よりはなんでも値上がりしている
訳ではないと。

政府はドルがほしいから
観光地はカード払いで、政府が直接
ドルを受け取れる、などの
仕組みの話を聞いたり。

人に親切にする、いい人である、
人を幸せにするって、
どんなことができると思う?
君なら何ができる?と
漠然と深い話題にもなった。

小さなことではいろいろあると思ったが、
パッとでてきたことは
どんなときでも、お金はなくても、
何も持っていなくてもできることは
相手に寄り添って話を聞くこと、
だと思った。

悩みが解決しなくても、
話を聞いてもらうだけで
何か心が軽くなったりするし
頭や心を整理して
解決する助けにはなったりする。

そんなことを話すと
彼はエジプトの男性は
人に悩みを言えない、
助けを求められない、という話をしてくれた。
それはビーチのスタッフさんも
言っていたことだ。

また、男性目線の
FGMの問題の話もされ、
いろいろショックを受けた。
こういう話題の感じたことや
学んだこと、考えたことを、
メンバーシップとかで
書けたらいいかも、と思ったり。

自分の人生について、
彼はホステルのオーナーを始める前は
ナイル川クルーズの
DJとバーテンダーをやっていたらしい。
それは楽しいことがたくさんあったとか。

theすぎる職業と彼の雰囲気が
当てはまって面白かった。

そして、楽しみつつも
彼が賢い人だというのが
いろんな面から伝わってくる。

彼は表の行動や振る舞いと
本当の内側にある自分の2面生について
どう思う?と聞いてきて、
ダンサーの韓国人と
わたしと3人で話す。

彼女は外面の中にもいろいろある、
生徒、先生、旅人の顔。
そのときどんな環境にいるかによって
どんな自分でいるかが変わる。

だから、自分の中にいろんな性格の
自分があるのは当然で、
二面性も普通なことであり
親や彼氏だって本当の自分を
知らないと思う、と答える。

彼は外と内、の話をしていて、
彼女は外が複数ある話をしているから
少し違うと思いつつ、
自分の中で考えを巡らすも、
だれも話を聞かないので
わたしは自分の意見は言わなかった。

全員ではないがエジプトの男性は
自分の話をしたぬて話を聞かない、
相手に自分の考えを理解させるのが
会話の目的の人が多いように思う。
キャッチボールや議論ではなく
一方通行な感じ。

エジプトに限らず日本にも
世界のどこにでもいるが、
わたしはこういう人の話を聞かずに
自分の話だけをしたい人が苦手である。

で、彼がたしかに、
そうだな、環境に応じて
いろんな顔があるのは当たり前か、
どう思う?と言うので、
議題と結論が回っているだけなので、

結局なんでこれを話題にしたのか、
例えば二面性があることに
嘘をついているような気持ちになったり
罪悪感があるから、これは
当たり前のことなのか、
どうなのか、という議論がしたかったのか、
何を話したかったの?と聞くと
うーん、頭回ってないね、
自分でも何でこれを聞いたのか
考える、とのこと。

わたしはニ面生があるからこそ
例えば騙してきたり外側の行いが悪くても
病気のお母さんのために
どうしてもお金が必要で、とか
内側に何か理由がある、として
許すこともできる、

小さなことだと、わたしは
イライラしていたり当たってきたり
せっかちな人を見たら、理由は知らないが
トイレを我慢していて余裕がないのかも、
と思うようにしていて、
そうすると自分の心にも余裕ができて
相手の行動だけを見て責めることがなくなり
許すことができる、と考えている。

そういう話をしようとしたのに、
話の序盤で、いや、予測できない、
誰もその人の内側にはタッチできない、
と、遮られ、最後まで話聞けや、
なんで途中で遮って誤解してるんだ、
と思ってイライラもした。

そのときはイライラで終わったが、
後日これを書いているとふと、
彼の早とちりと話を聞かないのにも
何かあるのだろう、と
思うことにしよう。

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