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最後の一滴:HEALの本質
美しい空を見せてもらえる幸せ。
さざなみのようにしみじみと幸せだなって感じられること自体が、そして穏やかな自分を保ち生きていること自体が、美しいことであり、宇宙とのハーモニーであり、一人ひとりが生きている成果であり、ありがたみということなのよ。
なんていうのかな。
すごい能力が身につくとか、びっくりすることが現実化するとか、そういうことだけが成果や幸せってわけじゃないんだよね。
夏の終わりか秋ぐらいからずっと発信しないとな…と思っていたのに、なんとなく、そんなことあえて言わなくてもわかるだろうし、こんなのみんな当たり前でしょ?と思って、そうせずに放置していたら、バシバシそれを彷彿とさせるサインみたいな出来事が続いたから、やっぱりこれは発信したほうがいいのだろうな…と思ってね。
SNSとか手軽に情報を入手できる、むしろ見るつもりがなくても情報が飛び込んできちゃう、そんな時代だから、成功してる人、成果を出してる人がたくさんいるように見えるかもしれない。
「たった◯日で何kg痩せた!」
「あっという間に彼氏ができた」
「転職がうまくいった」
「大金が入った」
「自分には無理だと思っていた能力、スキルがあっという間に開花した」
「夢がかなった」
こういうものを、成功例だとかサービスを受けた体験談だとか思っている人が多いかもしれない。
もちろん、そんな例もあると思うし、それが起きて喜んでいるみなさんは、本当におめでとう!
では、それが感じられなかった、起きなかった人は失敗なの?
私はそうは思わない。
なぜならば、「このセッションやセミナーを受けた結果、これ(一般的に成功とされるような事象)がおきた」だなんて、そんな安易でシンプルな話ではないと思うから。
もちろん、とあるセッションが、最初の一押しとなって、なにか扉を開いたり、なにかを現実化させるということはある。
コップいっぱいの水が表面張力ギリギリに入っているところに、ほんの一滴、たまたま最後に加えたら、コップから水が溢れた(能力が開花した、成果が出た)という感じでね。
でも、一滴一滴、コツコツとコップに水を注いできたのは、その最後のセッションをやったセラピストやヒーラー、コーチや先生、サービス提供事業者だったのですか?と問いたい。
違うよね?たまたま最後の一押しの役割を担っただけよね?
一滴一滴、コツコツと水を注いできたのは、ほかでもなく、そのお客さん本人でしょ?
もちろん、途中、1オンスぐらい一気に水かさが増えるように注水スピードをアップしてくれた先生やセラピストもいたかもしれないし、ときには、水がたまるどころかコップにヒビが入っていて、ちょっとずつ漏れて目減りしちゃってたときもあるかもしれない。ヒビが入っていることに気づき、その修復を手伝うところに注力し水を追加でいれるところまではやらなかったヒーラーもいるかもしれない。
最初に水をため始めたのはショットグラスで「あー、あとちょっとでゴールが見えてくる!」と思ったら、ある時、自分の器は実はこんなんじゃなかった!と気づき、自ら器をゴブレットに変更するようなドMタイプのクライアントだっているかもしれない。
だからね、なにか成功例があるとして、サービスの体験談があるとして、それがそのまま全員にあてはまるわけはないのです。水をためてきたプロセスも器も違うのだから。
そしてね、「うちのこれを受けてくれたから、こんな成功があったのですね!」と、誘導尋問のようにアンケートを取りたがるサービス提供事業者もいっぱいいる。わかりやすいからね。
もちろん、わかりやすい成功事例があることで、それが目に止まって、それによって必要なサービスにたどり着く人もたくさんいるから、それが悪だとは思わない。全然いいと思う。
ただ、本当の因果関係は分からない、ということを、本来は提供側もクライアント側もよく認識しておく必要がある。
それをよく理解しておかないと、セラピストやヒーラーは「なんとか成果を出さないといけない」というプレッシャーから、わかりやすい大成功が自分のセッションの直後に起こらなかったときに、自分が役に立てなかったんじゃないかと自己肯定感をすり減らすことになるかもしれない。
あるいはヒーラー本人自身が内省とHealのプロセスを経ていないと、自分の勝手なエゴをクライアントに投影し、自分のセッション直後におきた「成功」を、自分がやったのだ、自分が提供しているメソッドのみが素晴らしいのだ、と勘違いすることもありえる。
最後の一押し、最後の一滴。
それを誰が担ったっていいじゃないですか。
自分の手柄にする必要がありますか?
そのクライアントにとって喜ばしい「成果」が出たきっかけになったのが、他のサービス、あるいはクライアント本人の気づき、その他なんであろうと、起きるべきことが、起きるべきタイミングで起き、結果、自分がちょっぴりどこかのタイミングで関わらせてもらったクライアントが嬉しい、幸せだと感じている。
それ以上のなにがあるというのでしょう??
ついでにもう一つ。
セッションを提供しているセラピストやヒーラーが、クライアントの成長や能力開花を本当に本心から望んでいるか、というのも大きなポイント。
自分の立場を脅かさないぐらいまでだったら開花してもいいけど、自分の競合とかクライアント取られるところまで成長されたら嫌だな…。というようなエゴが先生側にあると、生徒やクライアント側がせっかく高いお金をかけて、そのセミナーやセッションをとり、実際それを使えるようになったとしても、なぜかその段になってから、先生だったはずの人にダメ出しされたり、常にその先生の名前を出して「◯◯さんのおかげでこれができるようになりました」の枕詞をつけないと、怖くて発信もできない…みたいな、そんな個性を潰されるようなことが起きたりする。
なんかそれって、マルチ商法みたいだなーと思って。
胴元に近いほど儲かる的な?マルチ商法がよくわからないけど、上納システムみたいな?
そんなイメージ。
もちろん、教えてくれた人、手助けしてくれた先生やコーチ、ヒーラーへの感謝の念やリスペクトは忘れてはいけない。でも、常にそのメソッドの名前、先生の名前を提示しないと自分の手柄だとでも思っているの?と非難される恐れがある…、そんな恐怖と常に隣り合わせでいないといけない…。そんな馬鹿な話があってはいけない。
だから、Lineageが大事なのか…と最近思うようになった。
プロフィールやどこかでは系譜をきちんと提示すること。そうやって先生たちをリスペクトすること。また逆にそうやって系譜を提示することで、自分がなにかやらかしたときには、その先生たちやメソッドに対する信頼・評価を落としてしまうリスクもあるんだと、常に身を引き締めるために。
なんか、潰しあいとか奪いあいとかそういうのじゃないのよ。
心配しなくてもみんな、ちゃんとパズルのピースみたいに、誰ともかぶることなく、自分だけのピースがハマる場所があるから大丈夫なのよ。
「なんとなく良さそうだと思ってセッション受けてみたけど、期待していたほどにはそんなにパッとすごい自分に変身できなかった。(でも私以外の多くの人は、そのセッションを受けて大成功してるみたい。私だけ落ちこぼれなのかな…不安)」
「人から勧められて受けてみたけど、全然、体感がなくて正直分からない(そもそもなにかを感じ取れる人じゃないと意味ないのかな…やっぱり自分なんて…)」
「これだけやれば大丈夫と言われて忠実にやってるつもり。でも全然思ったようにいかない(先生にも怠け者だと思われてそうだし、なによりすごく高くてきついプログラムなのに、この状態が長く続いていてしんどい…)」
そこに捕らわれて悩んで、それで館のドアを叩いてくれる方がなんか以前より増えている気がして。
たいていの場合「悩んでます」と相談に来るわけじゃなく、「なんとなくサウンドバスが気になって受けてみたかった」とか「石がきれいだなと思ってクリスタルのなにかセッションを受けてみたかった」とか、入口は色々なんだけど、よくよく話を聞いていったときに、そういう「実は…」の話が多いというか。
で、このポストに書いてるようなことを伝えると、なんだか知らないけどみんな、ちょっと涙ぐんだりしながら「やっと初めて安心できた」「こんなふうに感じてもいいんですね」とかおっしゃるものだから、びっくりしちゃって…。
むしろ一体今までどんなサービス受けて、どんな扱いをされて、どんな試練に耐えてきたんですかー!?っていう。
コップから水があふれるような「成功」体験はもちろんだけど、コップのなかで水が1ml増えた変化に気づいたり、ヒビが入ったのを頑張って修復するプロセスに寄り添ったり、イチイチ報告があるわけじゃないけど人知れず努力してたんだろうな…という頑張りの気配だったり、そういう、一見、全然華やかじゃない、ささやかに見えるそういうことを大事にして、それを大きな一歩、成功の一つとして一緒に喜びあいたい。
「成功だと思っていたものが、自分にとっては全然望んでいるものじゃないということに気づいた」
「人の成功を見ても全然焦ったり羨ましいと思わなくなった」
「なにが在るわけでもないけど、誰かが褒めてくれるわけでもないけど、権力もお金もないけど、ただ自分であるだけで最高なんだって感じる」
「どんなことが起きても、いつも客観的に穏やかでいられるようになった」
素晴らしいじゃないですか!
しみじみと幸せだと感じられるなんて最高じゃないですか!
館には面白い話があることをみんな知ってるから、「こんなにいいことやってて、面白いんだから、お客様の声とか体験談とか成功例とか出したらいいじゃないですか?」って、お客様側から時々言われることがあって、自分でもまぁ、確かに…と思うんだけど、なんで今までやってこなかったのだろう?と思うと、今日ここにずらずら書いたような想いがあるからなような気がした。
「成功」しているお客さんはたくさんいます!
でも、それを館の成功例として書いていいかどうかがわかりません…。
だって、成功も癒やしもお客さん本人のなかから起きているだけだし、たまたま館が最後の1滴だったかもしれないけど、そこに至るまでに関わったすべての人、例えば産み落としてくれたご両親、ご両親を生んでくれた先祖の方、そのまた先祖の方、生まれてから今日まで学びのために体験したすべての事象で役者として演じてくださった友達や同僚やご近所さんすべての人、なんなら、守護霊さま、天使たち、過去生時代のクライアント自身、もちろん、セラピストやヒーラーやコーチや先生、とにかくみんなおめでとう!って思うんだもん。
ま、でも、確かに発信しないことにはなにも伝わらないのだから、多少はやろうと思ってるんですけどね…。思ってはいます…。思っては…💦
ちなみに、時々はインスタの投稿にも、このセッション受けたお客さんがこんなことを言っていた!というようなことを書いていたりもしているけど、本当に誤解しないでほしいのが、そのセッションだけのおかげだったわけじゃないってことなんです!!
「このセッションさえ受ければこうなれるんだ!」
でもないですし
「館に行けば全部解決してくれるんだ!」
でもないです。
でも本当に幸運なことに、館に来てくださるお客様ってそもそも二元論的なものの見方をする方はあんまりいなくて、どちらかというと解像度高め。だから、ハウツー的なことより、枠組み、考え方、進め方、本当の意味をちゃんと考えるタイプの方が多いなと思っていて。
良くも悪くも「これを受けただけでこうなれたんだ!」と、お客様自身も短絡的に捉えることをしない。私はそのことが実は一番嬉しいと思っている。
(もちろん、「このセッション受けたらこうだったから良かった」と言ってもらえることは励みにもなるし喜びでもある。でも、そう伝えてもらったところで、やはり私の感覚としては、そのセッションを受けると決め、時間とお金を作って足を運んで行動したあなた自身がやっぱり素晴らしい!)
HEAL(癒やし)とはそういうもの。
1回やって終わりとか、誰かがやってくれるとかではなく、サポートを得ながらも自分自身で取り組んでいくソウルジャーニー。そして、ヒーラー自身が癒やされメタ認知できていないと、本当のHEALは起きないということ。
(まぁ、逆にいえば、自身のなかにネガティブな周波数と共鳴してしまうようなブロックがもはや何もなく、なおかつメタ認知力高くコンパッションあふれるコミュニケーションをとれる方というのは、ヒーラーを名乗ってなくとも、また特別なヒーリングメソッドを学んだり習得したことがなくとも、本当の意味でのヒーラーの役割をこなしている可能性もあるってことです)
サウンドバス、クリスタルヒーリング、チネイザン、星読み、ロミロミ、フィトテラピー、量子セッション、カードリーディング、アルクトゥルスクォンタムヒーリング等のご予約、お問い合わせ:
Native Stellar Alchemy(通称:館)は南青山(表参道)にある、紹介制・会員制のウェルビーイングスタジオです。紹介制ですが排他的にしているわけではないので、表参道でサービスを受けたい方、各種ご相談がある方、ご興味がある方はサイトをご覧の上、お問い合わせください😊
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