私のnote愛。
怒涛の一週間ちょっとが終わりました。笑
旦那の就労移行支援所に着いていって、旦那の整形に着いていって、友人カップルが家に来て、友達に会いに行って、母に買い出しに付き合って貰って。
はぁー、頑張った頑張った。やり切ったぞー!
その間に、noteにも小説を2つと、詩を一つ、投稿してみました。いつものテイストとちょっと違うので戸惑われた方もいるかも知れません。すいません💦
私にとって弱さを表現するとは、一つの芸術だと思っていて、芸術とは、人を救うものであると思っています。
あの太宰治も、かつての文豪達も、自分の弱さと闘っている姿を表現し、遺し、そして人々に長年に渡り読み続けられたのは、その弱さに、救われた人達がいるからだと思います。
私もその一人でした。
だから、太宰治や文豪と同じ土俵に立てるかもなんておこがましいですが、小説や詩を書いている間、ちょっとそんな気分を味わえるのです。楽しい。笑
そして誰かの太宰治に私がなれたら、なんて想いもちょびっとだけあります。
自分が表現して、誰かが救われたり、ちょっと温かい気分になったり、文章に夢中になれて楽しかったり、何か学び取れるところがあったり。
noteってお互いにそれをできる場所なんですよね。
表現してる事は様々で、あ、この人私と似た感性を持ってるかもとか、全然違うけどなんか惹かれるなとか、この人の言ってる事すごいな、言い方もすごいな、勉強になるなとか。
普段の人間関係と一緒なんですよね。その先の人間性を想像して読む。ただnoteは逆に普通に会うだけだったら分からない深い所も知れるから、面白かったりする。
note上でしか見せてない一面ってあると思うんですよ。それは普段の生活で大事にしてることと全く違う事やったり、言ってたり、だからnoteの人間関係は面白い。小説家や俳優が、作品の中と素顔が全く別なのと一緒。でも作品の中にその人の人間性も必ず含まれている訳で。
あとは、好みの問題ですよね。自分がその作品を読みたいと思うかどうか。その文章を読んで明るい気持ちになれたり、なんか面白いと思えたりためになるなと思えたり。自分に必要な文章が必ずあるから。だからそれを探すのが、楽しいんだな。
今日はnote愛について語ってしまいました。笑
暑苦しくてすいません。ちょっと、温まりましたか?笑
今日も皆さんにとって良い1日になりますように。いつもありがとうございます!