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小説「オレンジ色のガーベラ」第9話
これまでのお話(全話収録してあります)はこちらです
第9話
ちひろは煮詰まっていた。
みずほの父親に対する感情は変化があるものの、何か決定打が足りない。
また、真也も母親に対して随分心を開いているものの、どうも進捗具合がイマイチだ。何かうまくいっていない。
思い切って事務所「断薬サポート 勇氣」を一日臨時の休みにした。
そして、前から行きたいと思っていた日帰り温泉へと出掛けた。調べてみたら車で片道2時間弱。景色を見ながら心の浄化をするのもいいだろう。できればゆっくり贅沢な時間を過ごしたい。
ふと思いつき、貸切露天風呂の予約の電話を入れる。午後から空いているという。時間に余裕を持って予約する。
「さてと、行きますか。出発!」
途中道の駅でトイレ休憩しながら、運転する。気がつけば、山あいの緑は色濃くなり、平地の暑さを忘れさせてくれる。
「そうよね、クーラーばかりあたってたから、おかしくなるはずだわ」
今日のちひろは独り言が多い。
それだけ疲れが溜まっているのだろうか?
お昼前に温泉街に到着する。近くにそば屋を見つけ、入ってみた。
美味しい。
それだけで心も身体も喜ぶ感じがする。
「さてと、お目当ての温泉へと行きますか!」
駐車場に車を停め、旅館のロビーへと向かう。日帰り温泉に来る人は少ないのか?旅館の中は薄暗く閑散としている。
フロントに声をかけると、貸切露天風呂について説明してくれた。
「一度2階へ上がって廊下を右に行ってください。突き当りの階段を1階に降りたところにドアがあります。そこを出たところに貸切露天風呂があります。1時間位入ってきていいですよ。代金は3500円です。鍵はこちらに返してください」
「ありがとうございます。お世話になります」
お金を払い、頭を下げて鍵を受け取る。
小屋のような露天風呂だ。ドアの鍵穴に差し込み回してみる。木製のドアが軋みながら開いた。
そこには小さな脱衣所。そして、引き戸があった。
すぐさま、その引き戸を開けてみる。そこには、滾々と温泉が湧いていた。
かけ湯をしてから、お湯に身体を沈める。
目の前には、圧倒的な緑。
木々の間から光が零れてくる。
真夏でもここまで来ると、こんなに涼やかな風景になるのか。少し離れたところから、川のせせらぎも聞こえる。
3,4人で入ったらぎゅうぎゅうだろう岩風呂も、1人だと贅沢極まりない。
しばらくはガラスの無い窓からの景色を眺めてるともなく眺めていた。
次第に身体の芯から緩んでくる。そのうち、岩風呂の縁に凭れて目を瞑っていた。
こんな硫黄くさい温泉に入るのは何度目だろう。
小さい頃、温泉は硫黄くさいものだと思っていた。
そして、温泉卵を食べてこそ温泉だと思っていた。
いつから硫黄の臭いじゃない温泉もあると理解していたんだろう。
ぼんやりと、どうでもいいことが頭に浮かぶ。
だんだん熱くなり、一度洗い場に出た。ペットボトルの水をゴクゴク飲む。脱衣所に置いていてもすぐに手に届く距離だった。このコンパクトさが心地よい。
喉を潤してから、しばらく洗い場でボーッとする。そして、またお湯に浸かる。
そして、ぼんやりと分かったことがある。
「あぁ、わたし、自分を大切にしていなかった……」
みずほが初めてわたしの事務所に来た時のことを思い出す。
確かみずほはこう言った。
「感謝していたら退院できた」と。
わたしはクライアントさん達に感謝しているのだろうか?
自分自身の身体に感謝しているのだろうか?
日々生きていることに感謝してきたのだろうか?
根本的に大事なことを忘れていた。何故か温泉に入っているうちにそのことに氣付かされた。
いつの間にか疲れが溜まっていたことを知らずに、人のことばかり考えていた。温泉に来て、やっと自分に癒しが必要だったことが分かった。
「人に自分が変わらなければ、相手は変わらないと言っていたのに。わたし自身がまだまだ変わらないといけなかった……まずは自分自身を大事にしよう。心も身体も余裕なければ、感謝も何もあったもんじゃない!」
温泉に来たことで、ちひろは何かから解放された。
(1,664文字 トータル21,251文字)
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