「気が利かない」ことに悩むあなたへ。20年努力して「気が利くようになった」私が気が付いた「たった一つのこと」
こんにちは。人を癒す文章を紡ぐ随筆家、ひなた美由紀です。
この記事を読んでいるあなたはもしかして、周りから「あなたは気が利かない」と言われたことがあるかもしれません。あるいは、自分がうまくいかないのは「気が利かないからだろうか?」と悩んでいるかもしれないです。
もし、気が利く人になりたい、と思っているのであれば、この記事を読んでいただければと思います。そもそも気が利くとは?という定義から、私の体験を通じて気付いたことを解説していきます。お茶でも飲みながら、リラックスして読んでいただけると幸いです。
そもそも「気が利く」とは?
新明解国語辞典によると、気が利くとは「心配りがこまやかで注意が行き届く」ことと書いてあります。また、類語辞典をみると「気が利く」の類語に「気配りのできる」という言葉があります。
「気を配る」とは「様々に注意する。配慮する。」(デジタル大辞泉より)だそうです。
そもそも、気とはなんでしょう?私は「気=エネルギー」だと思っています。だとしたら、「自分の気(エネルギー)を配ることで注意が行き届くこと」が「気が利く」ことであり、「気を配る」ことだと結論づけることができます。
「気が利かない」とは?
先ほどの「気が利く」が、「自分の気(エネルギー)を配ることで注意が行き届くこと」だとしたら、反対の「気が利かない」は「自分のエネルギーを周りの人に配らず、注意が行き届かない状態」であると言えます。
周りに注意が行き届いていないのは、自分のエネルギーを周囲の人に対して使っていない、と言い換えることも出来るのです。
気が利かなかった私の場合
私は30歳を過ぎても、一緒に働く母に「あんたは気が利かない」と毎日のように言われました。あまりにも毎日言われるので、「気が利く人になりたい!」と思いました。
どうやったら、気が利く人になれるのだろう?そう考えた私は、周りに気が利く人があるか探してみました。同じ系列の会社で働く妹は気が利くように見えます。だから、妹の真似をしました。これが「モデリング」といわれるものです。
最初にしたのは、観察です。妹はどんな時にどういう行動をしてるのか?どういう行動が気が利くと思われるものなのか?観察してから、真似てみました。それを同じような場面で同じような行動をとってみたのです。
それは簡単なことではありませんでした。しかし、毎日母に注意されるのが嫌で、少しずつ繰り返していきました。その結果、徐々の気が利くようになったと思います。
20年、気が効くようになるために努力した結果
それから20年。周りの人から「あなたは気が利く人ね」と言われるようになりました。それは努力を重ねた結果です。とても喜ばしいことです。しかし、その「気が利く人」になった結果、実は失うものがあったのです。
「気=エネルギー」と先ほど書きました。
自分のエネルギーを周りに配ると、自分のエネルギーが減ります。元々たくさんエネルギーがあれば問題ないのでしょうが、少ない気を相手に与えてしまうので、疲れてしまうのです。
そもそも気が利かない人は「自分のエネルギーが限られているから、そのエネルギーを外に使わない」という本能的なものがあるのでしょう。それを誰かに言われて、「気が利いたほうがいい!」と思い、努力し続けると、いつも疲れた状態に陥る。それが今までの私です。
気が利かなくても、世の中で成功している人はいるのか?
では、気が利かなくても、世の中で成功している人はいるのでしょうか?答えはYesです。例えば、職人、芸術家、スポーツの世界なら個人競技をしている人は気が利かなくても、成功しています。プロフェッショナルな仕事をする頑固な職人さんで気が利く人、というのはあまり見かけないのではないでしょうか?
気が利かなくても成功している人の具体例として、「エヴァンゲリヲン」の庵野秀明監督を挙げてみましょう。
映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は上映開始の3/8〜7/12までの127日間累計で、興行収入は100億円を、観客動員は 655 万人を突破しました。おそらく今年一番人気の映画ではないかと思われます。
この映画作成に密着したドキュメンタリーが、NHKのプロフェッショナル仕事の流儀です(オンデマンドで視聴可能です)。
拡大版がBS1で、8/6にはその再放送がNHKの総合でも放送されたのでご覧になった方もいると思います。また、その同じプログラムがAmazon Video Prime で8/13の0時から配信されるそうです。ご興味ある方はご覧ください。
ちょっと脱線しましたが……(汗)
ドキュメンタリーをご覧になった方は分かるように、制作スタッフに全く気を配っていません。いつスタジオに顔を出すのか、誰も知らない状態です。スタッフが考えた案に対しても、全部覆す。そこにも気配りは全く感じられないのです。しかし、その後庵野監督は悩みに悩み、自分で考え抜いた結果、あのような作品が生み出されたのです。
ここで私が言いたいのは、「自分の情熱を感じているものに自分のエネルギーを全部注いでいたら、気が利くことなんて出来ない」ということです。気が利くことにエネルギーを注いでいられないのです。
気が利く人が失っているもの
私の場合、気が利くように努力に努力を重ねて、気が利く人だと言われるようになりました。それで疲れを感じるようになったのです。
もう少し丁寧に解説するならば、気を配って「疲れる時」と「疲れない時」があります。
気を配って疲れないときは、私が気を利かせたことに、相手がそれだけの見返りをくれたときです。お金であるときもそうだし、ねぎらいの言葉かもしれません。「そんなに気が使ってくれてありがとう」というのを相手から感じられなければ、自分は無駄なエネルギーを使った、と思い、疲れていたのです。
逆に疲れを感じないときは、自分が気を利かせたことに対して、それ相当あるいはそれ以上のエネルギーを与えてくれた場合です。そうすると「報われた」と感じることができるのです。
また、全く気が利かない人を見ると、腹が立つ、ということもしてきました。周りに気を使わせることが多いからです。
恐らく、元々少量のエネルギーで「気が利ける人」はそこまで考えないでしょう。しかし、自分の大量のエネルギーを「気が利く」ことに使っている私は、消耗した分のエネルギーを返してもらえないと疲れる、というルーティーンを繰り返してきました。
気が利かない人はどうすればいいのか?
では、気が利かない人はどうすればいいのか?についての結論です(やっとですね)。
一つは、「気が利かなくてもいい環境に身を置く」こと。先ほどの庵野監督のように、自分の情熱のあるものをコツコツと積み上げていけば、気が利かないことを咎める人はいません。自分の才能を磨き、粘り強くそれを続けていく。それが出来れば、気が利く必要はないです。サービス業や営業職、またチームで仕事をする場合は、ある程度気が利く方がうまくいくでしょう。しかし、それで気が利くための努力をした結果、疲れることがあなたの本当の望むことか考えてみる必要があります。
もう一つは、思い切り割り切って、「気が利く人」になること。どんなに疲れても相手に気を配ることを徹底的にやる。そこで相手から、なにも見返りが無くても疲れても、気が利く人になるんだ!という一心で自分を変える。そうすれば、一流の「気が利く人」になれます。
私は20年「気が利く人になりたい」と努力してきました。周りから「気が利く人だね」と言われるまでになりました。でも、疲れやすい原因が自分が周りに気を配っていたから、ということに気が付けました。
「気が利くようになりたい!」と思った真意とは?
母からの「あんたは気が利かない」という言葉の裏には「気が利かない人間は価値が無い」という信念があります。それが正しいと、私が信じ込んでいました。だから、必死になって気が利く人間になるために努力してきました。「母の言葉に従ったら、きっとうまくいく。」そう思っていたからだったのです。
でも、違うんです。気が利いても利かなくても人の価値は変わりません。だとしたら、自分の持っている氣=エネルギーを何に使うのか?母の言葉の呪縛から解き放たれた私は、自分の情熱のあるものに粘り強く自分の気を注いでいこうと思います。
まとめ
・気が利くようになるためには、周りの気が利く人を観察してモデリングする。
・しかし努力し続けて「気が利く」ようになっても「疲れを感じる」ことが多い。
・気が利かない人で成功している人はいる
・気が利く人になりたいと思う真意は何なのか?を考える
さて、ここまで読んだあなたはどう思いましたか?気が利く必要のない何かの才能を磨いていくのか、一流の「気が利く人間」になるのか、それとも今の状態(気が利かないことで悩み続ける)を続けていくのかは、あなたの選択次第です。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
心からの感謝を込めて。