若干23歳
特攻隊員の遺書を読みながら、思い耽っていました。
育ててくれたお母さん、婚約者などに向けて書かれたお手紙は、現代の20代には到底表現できないだろう達観した想いが込められていて、毎年この季節になると涙無くしては報道番組を見ていられません。
本当なら、この時期に関わらず、日本人は皆いつでも触れて後世に伝えていかなければならないのでしょうけれど。
わたしの祖父は、終戦記念日である8月15日が誕生日でした。
二十歳の誕生日に終戦を迎えました。
祖父は、医学生だったので兵役は免除でした。
今の時代なら「よかったですね」と、なるのかもしれません。
わたしも子どものころはそう思っていました。
戦後50年の記念に、ある新聞社に寄稿された祖父の手記があります。
祖父は、自分の口からは戦争のときの体験をわたしに話したことはなかったのですが、お盆に帰省したとき、無言でその手記をわたしに渡してきました。
祖父が亡くなったとき、どこにあるのか分からなくなって、伯父に、あれは絶対に捨てないでとよくよく言って、探し出してきてもらいました。
今はわたしの実家にあります。
二十歳目前の医学生は、決して兵を免れて楽をしていませんでした。
中国に連れていかれ、次々と運ばれてくる怪我人や病人の手当てに駆り出され、医学書抱えて奔走していたということが記されていました。
わたしなどがこうして要約すると内容がとても軽々しくなってしまうのがなんとももどかしいですが。
今の時代ならありえないです。
自分を含めて、今を生きる若者は、今は今でそれなりに苦労もあるし悩みもあると思うけれど。
毎年この時期に思うのは、自分の抱えてることなんて、なんて小さなものなんだろって思います。
死に物狂いって言葉は、そんな容易く使えない。
自分の弱さを、鍛え直したいって毎年思うのがこの時期です。
一つしかない命です。
苦しくて悲しくて辛くて、もう死ぬしかないというところまで行ってしまう人の気持ちを否定はしません。
ときどき、そういう気持ちにわたしも陥ることがあるから。
だけど、一つしかなくて、二度と戻ることのないもの、代わりのきかないもの。
自分という個は、ここにしかないもの。
それは忘れないでいたいなと思います。