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自分らしく生きる・自分を生きる

自分らしく生きたい

そんな風に表現する人がいるかと思うと、

自分を生きたい

と表現する人もいる。

どちらも同じことを言っていると思うだろうか?
どちらの表現も同じ意味だと思うだろうか?

そもそも、この2つの表現をする人達は、その言葉の意味をきちんと
理解、認識して表現しているのかも、私には疑問だ。

自分らしく生きる

人は生きる上で、必ずしも自分の意思に添うことができないことがある。
しかし、そんな時でも自分の考え方や理想とするところを失わずに生きていくということである。
明るくて前向きな自分の性格を認識している人なのであれば、
乗り越えるのが難しい局面に遭遇しても、厳しい境遇に立たされても
明るく、前向きに取り組んでいこうとする。

それが自分らしく生きるということじゃないだろうか。

以前、不正を憎む私の知人は、大学卒業後に金融系の会社に就職した。
仕事を覚え、少しずつ社内の裏表がわかってくると、裏の世界では不正と思われることが横行していた。
私にはそれがどの程度重大な不正なのかはわからない。
もしかすると、どの会社でも当たり前のようにおこなわれている、そう、立小便のように法律で禁じられていることではあるが、誰も罰則を受けるようなことのないものなのかもしれない。
しかし、強盗や殺人のように、法に触れると同時に決して見逃すことのできない重要な法令違反なのかもしれない。

どちらなのかはわからないが、その知人はこの会社の風潮には流されなかった。
安定した生活をするためにも、この会社で長く真面目に勤務していれば安泰だったのかもしれないが、彼は彼らしく、つまり自分らしく生きたのである。

自分を生きる

人生そのもの、生き方そのものを逸脱することなく生きていくということだと言える。

なんとなく大学に入学し、目標も定めずに卒業すると、
何社かの面接を経て条件面の整った会社に入社して社会人となる。
その後もなんとなく会社勤務を続けながら、偶然出会った人と結婚し
子供を育て、気が付くと人生も終盤に入っている。

そんな生き方のどこを見て自分を生きていると言えるだろう?

言い換えれば、自分自身の目標を定め、目標に向けてどのような道を歩くか、どのように歩くかを計画し、それに添って生きて行く。
そんな「自分なりの生き方」がないところに「自分を生きる」というものは存在し得ない。

もちろん、自分を生きるというのは極めて難しいことであり、誰でもできることではない。
そこに「確かな自分」があったとしても、社会や家族、周囲の人間がそれを許さない場合だってある。
それを乗り越えるなければ自分を生きることなどできないのだから、どうひいき目に見ても難しいことがはっきりしている。

私は自分らしく生きてこれただろうか?
私は自分を生きてこれただろうか?
ここから先の人生を、自分らしく生きれるのか?
ここから先の人生は、自分を生きることができるんだろうか?


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