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ご機嫌であること

 私はイライラしていた。
旅行前の楽しみにしていたエステでは、新人さんの施術だったからいつもと違って、楽しみだったヘッドマッサージもない。少なくとも心地よくはなかった笑 まあ、私が承諾したのだけれど。
電車では満員の乗客に押しつぶされそうになって、やっと出れたと思ったらそそくさと早歩きするサラリーマンに体当たりされるという始末。

 ふと、にこって笑顔になる。
環境に呪縛されてたからかな?
すっかり忘れていた。
私はいつでもご機嫌でいたいんだ。
周りがどんな環境であれ、誰かが偉そうになんと言おうと
私は私だけの価値基準で生きるの。
失うものなんて何もないし、無駄な期待なんかしない。
代わりに理想と夢は十分すぎるくらいワクワクさせて
いつでも笑顔で全てのありのままを受け入れる。
少なくともプライベートでは、朗らかに流れていたい。

受け入れること。それは難しいことだった。
 人生は壮大で、死んだら神様が私を評価してくれて、天国か地獄に行くものだって教わってきたんだ。でも成長していくと、それが確実では無いことを知った。死んだらどうなるかなんて、誰にもわからないんだって。
 学生時代、本当に真面目に生きてきた。明るく前向きに、哲学を胸に純情に社会を信じて、偽善と言われても仕方ないけど、人を助け貢献したいと願っていた。確かにそれは自己満であり、それをしている自分が好きで、人の笑顔が私の活力でもあったはずだった。実に理にかなっていた
 毎日が楽しくて、それが申し訳ないほどありがたくて、たくさん感謝して最高の人生だと思っていた。きっとベースには、この世への探究心と前向きな向上心があった。何より世間で言う善意の中に生きていた。
 いつからだろう。社会に疑惑を抱いたのは。ベースにある感情が揺らぎ、正義がわからなくなってしまった。仮に現実がマトリックスだとしたら、私は受け入れることができなかった。どこかで何かを期待していたのだ。無論、全てがゲームだとしても、楽しくワクワク生きるという指針は変わらないはずだ。ただこう何か人生はもっと特別で、自己中心的なものだと捉えていたのかもしれない。だからこんなに受け入れ難いんだ。
 一ヶ月、二ヶ月と過ぎて行く。不本意な時間の過ごしかたをしたせいで、なんだかやけに波動が低いと思ってしまう。ここ最近は人生の成功法則に反していたから。やはり何かを受け入れないことには、心から楽しむことができない。人生を拒絶してばかりいては、朝目覚めるのが辛いだけ。どうやって時間を潰そうかなんて、考えるだけでも憂鬱だ。だから、この人生を受け入れようと勇気を出した。
2024/08/30


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