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夢を語れない少女
幼い頃、海のさざめきを聴きながら、大好きな貝殻集めをしていた。どこまでも続いていく大空の果てしなさに心を奪われ、また夜になれば、吸い込まれるような宇宙に広がる無数の光に目を奪われた。ただ、その瞬間に生きていた。
しばらく生きていくと、夢や目標を聞かれるようになる。将来は何になりたいのか、とにかく聞いてくる。初めはそれが嫌だと思わなかった。今に生きるのに夢中で、対して気にもとめなかった。でもいつからか、小学生を過ぎたあたりから、妙に夢という言葉に敏感になった。それは恐らく、人生の重荷だったに違いない。それからというもの、夢を口にするのが億劫になってしまった。時には嘘をついた。自分にはもっと大きな派手な夢があったけど、自分なりに小さくして謙虚に作り替えたのだった。夢を語るのが怖かった。言ったら言ったで、変に期待されて生きずらくなる。また何より夢とは、苦しい努力を重ね、人一倍頑張る人のみが実現するもので、無謀なものに見えた。つまるところ、夢とは孤独なものだった。
ちっとも楽しそうじゃない。むしろ、すごく辛そうだ。何だこの重圧は。今なら異議ありと堂々と言える。でも当時は、夢とはそういう遠いものだったから、疑いもしなかった。
なぜ、人は夢を過大評価するのだろう。いいや、夢とはなにかを語る際、1番大切ななにかを伝え忘れている。
夢を叶える人は、誰よりもワクワクしている人だ。
夢は絶対に叶う。それが本当にあなたの夢ならば。
夢を叶えるのに必要なのは、めんどくさい作業である。
他にも言いたいことは山ほどあるが、それはあなたに託そう。常識は、誰かが決めた虚構の姿。虚構は現実と成りうる。自分の思考を現実にせよ。自分を信じていい。思いっきり信じていい。小さな夢も大きな夢も、存在しない。あなたが夢と定義すれば、それで終わり。失敗も成功もない。どちらも成功と定義すればいいじゃないか。常識は重要じゃないかもね。だってどうせ全部うそだもん。