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対話を制する者は全てを制する、のではないか

最近こんな本に出会った。最近は出会う本出会う本全てが良書ばかりで、こういうのの相性、運みたいなものはピカイチなんだよなと苦笑している。

まだ1/3ほどしか読み進めていないが、やはり本は学びや気づきや刺激をくれるなと再認識。しかも最近は人生が変わるレベルの学びを得ており、こちらの内容も早速役立っている。

完読したら是非とも、大変ご無沙汰している(眠っているとも言う)読書レビューを書きたいと思うのだが、要は【対話が大事】であるということ。

自分のナラティブ(価値観や枠組み)を一旦脇に置いて、相手のナラティブを眺めてみると、違った景色が見えてくるよということ。
相手はどんな事情を持っているのか、今どんな状況にあるのか、どんなプレッシャーがかかっているのか、どんなことを心配しているのか・・・・・等々。

納得できない、理解できない言葉や態度の裏に、その人のナラティブがあることを想像し、眺めてみて、じっくりその背景や考えを聞いてみる、話してみる。どうすれば良さそうか、歩み寄って話してみる。
口で言うほど簡単ではないが、それができると関係性ががらっと変わるということである。

先日の復職面談を経てすっかり自信を失い、復帰が死ぬほど憂鬱になっている今日この頃(爆)。
家探しをめぐり、肝心なことを何も話せず、何を考えているのか(恐らくお互いに)分かり合えずにいる夫婦関係。
口出ししてばかりで反抗する息子とのギスギスした毎日・・・・

この本はそんな私にドンピシャの、最高のプレゼントを神様がくれたのだと思わずにはいられない(なんだかんだ運がいいんじゃないかとすら思えてくる)。

人は元々分かり合えないもの

いきなり、そうなのか!という見出しであるが、どうもそうらしい。確かに、どんなに気の合う人でも、100%自分と同じということはあり得ない。一人一人違った人間(皆がそれぞれのナラティブを持っている)なのだから、そもそも分かり合えないのは当然で、その前提に立つことがまず第一歩。

産休に入る前、異文化理解・異文化コミュニケーションみたいな領域を担当していた。それはあくまで国籍とかその文化の違いによるものであったが、それ以前に、人間みんな違うんだよね、という当たり前のことに今更気づいた。

旦那にも、息子にも、私は自分のナラティブを押し付けていたなとハッとする。
こういうのは渦中にいてヒートアップしている時はなかなか気付けないものだが。
自分の「こうあるべき」が世界の正解のように、相手に押し付け、操作しようとし、うまくいかないとヒステリックになって、あの手この手で自分を押し通そうとしていた。

対話もせずに。いや、しようとはしていたが、それは対話でもなくて、自分の主張をしてばかり、だったのである。
これでは何事もうまくいかないよね、当然だよねということに、今更ながら気づいた。

対話を制するものは全てを制するのではないか

とにもかくにも対話が大事である。会話でなく、対話。
相手が今どんな状況にいて、何を考え、どうしたいか、恐れていることや不安はあるか、何を大事にしているか・・・

表面上のコミュニケーションは問題なく取れているように感じていても、上記のことをちゃんと話し合ったり共有できているケースはそう多くはないのではないか。
特に仕事。例えば上司・部下の関係。この本の例で言えば、営業部門と開発部門の関係など。

前回、夫婦間のお恥ずかしい話(良くない例)を暴露したが、あれからちょっとだけ、ほんのちょっとだけ【対話をしよう】【相手のナラティブを想像しよう】という意識を持って接した所、この数年間は何だったのか?!というくらい、ポンポンと旦那の考えが彼の口から出てきたのである。

私は今、家を買うことに必死になっている。どんどん成長する子供たち、考えなくてはならない進学問題に、どんどん狭くなる我が家と流失していくだけの家賃(首都圏で3LDKの賃貸家賃は決して安くはない・・・)。

一方旦那は、なぜ家を買うのか、その目的をもう一度擦り合わせたい。将来買い換えも視野に入れるのか、永住する前提で買うのか。子供たちは私立に行かせるのか、行かせるとしたら(行ける保証はないけれども)一応どのあたりを志望するのか、そういった点も検討エリアや予算に跳ねてくるのでしっかり考えたうえで決めたい、とのことであった。

未来のことは何があるか分からないし、予測不能な先々のことを考えているうちに、どんどん年を取り、結局何も決められなくなるというのはよくある話。
ある程度の勢いも必要だと思うが、それは私のナラティブであり、彼のそれではない。

ペアローンとはいえ、その多くを払う側の旦那。自分のナラティブを一旦脇に置いて、その責任や人生をかけて背負うものを考えると、そんなに勢いではいけないのも分かる(勢いでいっている人も多いが。爆)。

どんなに私が血眼で力説しようが、素敵すぎるモデルルームにあちこち連れていこうが、彼が煮え切らないのは、上記のような思いがあったり、巨額のローンの大半を自分が払うことへの不安があったりする、ということが分かった。

ただしもっと掘り返していくと、その思いの根底にある価値観や、人生において大切にしたいことが見えてくるのかもしれない。
まだそこまでは行ってないので、「なんでそういう思いや懸念点を始めっから言ってくれなかったのだろう」と私はまた少しモヤっとするのである。

それ(=思っていることは最初からオープンにすべき)もまた、私のナラティブ
ペラペラと彼が全ての胸の内を言わないのは、またそこに何らかの理由や背景や事情があるのかもしれない。

人間と人間同士、こういう葛藤や対話を繰り返しながら、わかり合い、理解を深めていくのだろう。そしてそれがうまくいけば、より関係は強固なものになるという。

夫婦関係でも親子関係でも仕事関係でも、対話が全て。対話を制する者は全てを制するのではないかという仮説を勝手に立てた。
人生をかけて実証してみたい(恐らく既に実証されているだろうが)。

ということで。
想定外、理想と違う、もうほんとにカオスというか、諸々諸々あるが、、
復帰したらとにかく同僚や上司との対話を大切にしようと思っている。

人は皆自分のナラティブの中で生きているに過ぎないのだから。

ーと、決意を新たにしてみたり、している。

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