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#22 CCRT プランB緒戦状況に、ちょっと母の、アレと、キザな人?

尿道カテーテルのくだりで、勿体ぶった足踏みをしてしまったせいで、noteのドキュメントと実況にズレが生じてしまった。
「時間が足りない」なんて、恥ずかしいことを書いたものだ。足りないのは、時間ではなくて、ひたすらに、ワタシの意志であって、負けないココロだ。ココには、残念ながら大穴がないから、自分で、掘って隠れてしまいたい…。

TC療法による治療計画を、破棄してからの長島藩(ワタシが勝手にココロからの敬愛の念を込めてそう呼んでいる)の動きは早かった。

新しい治療計画、プランBは、直ぐに動き出した。毎日の放射線治療に、週一回のシスプラチンを重なる治療はともに、腎臓にかかる負担が大きい。そのために、尿管が閉塞してしまう前、間一髪のタイミングで、カテーテル留置。2/2だった。その日の午後に、放射線治療計画(照射位置決め)も出来上がった。

骨盤のなかの、粉砕すべきヤツはどこで、どの大きさであるかを精密に測定し、ワタシが、実際に治療台に横になった時に、どこに、どの放射線レベルで照射するか、などを決める。横になる位置や、腰の向きなどが、少しでも違うと、最大限ダメージを与えたい、あヤツに届きにくくなってしまったり、余計に、健康な腸管を傷つけてしまったりするので、この位置決めはとても大事なのだ。
青のマッキー?らしきマジックと、白いテープで、お腹や腰に印をつける。
くっ、くっ。くすぐったい。…、生きてる証拠だ。


その日の午後には、抗がん剤の前投薬が始まった。巨大な点滴バッグを指差しながら、看護師さんが笑顔でおっしゃっる。
「4時間はかかりますのでー、行っちゃいますねー」
1リットルは余裕である。この水分を身体が吸い込めるのか…。スゴいものだ。

翌、2/3、さらに、ヨジカンかかりまーす、という本番のシスプラチンの前の前投薬が始まる。その間に、放射線治療室に呼ばれた。初めて照射である。ワタシは、またも車椅子のお世話になって、治療室に向かった。


その日も未明から、38度を超える熱が出ていて、ワタシはベッドの中で、悪寒と痛みでウンウン唸っていた。
入院中なんですから、そういう時は、早くナースコールしてください!とご指導いただく始末。

がんの痛みには、レスキューで飲めるモルヒネも貰えることになっていたのだが、コレが飲んで良い痛みなのか、もう少しすれば落ち着くものなのか、、煩悶しながらゴロゴロのたうち回っているうちに、看護師さんが気づいてくださった。

「いやー、夜中だったもので、ご迷惑かと、、、」
「コチラは夜勤ですから。。。」

あとで、
痛みの専門家の緩和ケアのY教授がいらして、ナカナカ看護師さんも呼びにくいかな?とのお気遣いにより、ワタシの手元に、予備の弾薬(モルヒネの、ナルラピド2錠)をご用意くださることになった。
ベースのモルヒネ量(ナルサス、という)も倍にしていただき、翌日からは、少し眠れるようになり、何より、見るのも嫌だった食事に、手が伸びるようになったのだ。 


型通りの医療なんてない。全部、テーラーメードなんだ。
アセトアミノフェンの点滴で、解熱したものの、まだフワフワとした心地のまま、放射線治療を受ける。
目に見えない、熱くも、冷たくもない照射が、がん細胞のDNAを破壊する。大きな機械がグルグルと回転しながら、4方向から照射する。どう考えても、不気味だ。衝動的に叫びたくなるのを必死で抑える。

放射線治療は、20分ほどで終了。もの凄い倦怠感だ。
そのまま、病室に戻り、シスプラチンの投与の間も、コンコンと眠り続けて、ワタシの初日は終わったのだった。
手をつけられず、下げられた夕食のお盆には、可愛い節分豆が載せられていた。


===
翌日は、放射線治療だけ。本当は土日はお休みなのだけど、緊急で始まった照射のため、土曜日も特別稼働とのこと。

未明に発熱、38.7度ある。
日曜日は治療も点滴もお休みで、月曜日は、また放射線治療だ。
その日の朝も、高熱で、39.4度出ていた。
一時、6まで下がった、CRP(身体の炎症反応)は、また、20を超えている。採尿の結果はきれいなので、感染ではなさそう、やはり、がん性のものでしょう、とのこと。

アセトアミノフェンの点滴を落としてもらえると、一気に、平熱に戻る。
本当に、薬は、大事だと思う。スゴい発見だ。製薬会社に勤めていたけれど、実のところ、飲むのは嫌いで、風邪でもなんでも免疫で治す!!と息巻いていた方だ。
なのに、今はどうだろう。

今のワタシは、痛みも、その日の気分も、その日に使える時間も、全て、薬や治療頼みだ。
身体や生命のことも、まだまだ謎が多い。未知のこと、未解明なことに向けて、心を傾けて、研究し、医学の進歩に貢献してきた人たちが、たくさん、たくさんいるのだ。カタリン•カリコ博士のように、時代に記憶されることはなかったとしても。
みんな、寸暇を惜しんで、情熱に身を捧げた人達だ、、

===
冒頭の、恥の大穴の件である。
高熱や痛みを言い訳に、開店休業してしまっていた。
もちろん、辛さを我慢して書き残すようなことではないが、昨日、
回を重ねるごとに何かが削られているような放射線治療を終えて、明日からまたシスプラチン、という段になって、思わず、治療が辛い、と、回診にこられた院長先生に、こぼしてしまった。

先生は、
「みんなで応援しています」とだけおっしゃった。

そうだ…
ここでの問わず語りnoteを通じて、
こんなにも、心を寄せてくださる人がいることを知ったのだった。

ココロの中に、火をともそう。消えてしまわないように、そっと手をかざして、息を吹きかけるのだ。温かく、大きな火になるまで、そっと。


===
ニカッと笑える要素がないと、ひたすらに暗くてダメだ。まるで、性に合わない。
ワタシの具合が良くない時、母は、チラとみてわかるようで、長居せず、サッサと帰る。が、昨日は、帰りかけて、リターンしてきた。

アレか。

ドラマ、Doctor Xのダイモンミチコ先生の、アレ。
術後の患者さんの、胸に手を当てて見つめるシーン。
母は、アレが好きで、必ず、米倉涼子よろしくワタシの胸に手を当てて、念を入れてから、ニコッと笑ってご帰宅するのだ。

そういえば、去年の夏の入院の時にも、母は、あっという間に、御近所に馴染みの喫茶店と居酒屋を数軒作り、駅前の健康麻雀教室にまでデビューしていた…!
今回のご逗留に際しても、すでに麻雀教室にはご挨拶を済ませ、その時のお仲間も再会を喜んでくれたと言う。
が、母がボソリと言う。

「東京の男の人はキザなのよね、
 麻雀打っててもあんまり面白くないわ」と、のたまう。

どの辺りが、キザなの?と聞いてみる。

「だってね、振り込むと、イヤーな顔するのよ。露骨に。大阪じゃあ、『こんな手で待つかあ?』って言われるけど、カラッとしてるもの。」

とのこと。
母は、振り込んだのはソッチなのにね、と笑い声を立てる。

差し出された名刺を受け取ると、とうの昔に退職した会社の名刺で、元支店長、と書いてあったこともあるという。
どこでも自然体で、誰でも笑顔にしてしまうナワバリを作れる母が羨ましい。

親不孝者が何を言うか、だが、母が元気でいてくれるのが一番嬉しい。

写真は、2016年、母と行ったバリ島で。
母は、象使いの青年に、アナタハンサムねえ、と連呼していた。。。

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