ユミヲ

再発子宮頚がん絶賛治療中!! 製薬会社と、ヘルスケアベンチャーに勤務後、自動車会社に…

ユミヲ

再発子宮頚がん絶賛治療中!! 製薬会社と、ヘルスケアベンチャーに勤務後、自動車会社に転職。企業で働く意味と意義を探して、組織論とコーチングを学んだことが人生の転機に。CBS榊原清則ゼミ(MBA)。呼吸法と瞑想、哲学的思索と読書で内面世界を探究するのがライフワーク。平和のために🕊️

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#1 再発子宮頚がん TC治療へ、これからnoteに綴ること、自分への約束

1月10日。誕生日。 昨日までは、恐怖より好奇心の方が勝っていたけれど、いよいよとなれば、心もざわざわしてくる。 今日から、再発がんに対して、TC療法を開始。 パクリタキセル(Paclitaxel)と、カルボプラチン(Carboplatin)という2種類の抗がん剤を21日サイクルで投与する。初日に投与したら、20日お休み。これで1クール。 大規模な臨床試験の結果について、科学的根拠に基づく分析を行い、結果、その時点において利用可能なものうち、最も効果が高いとされる治療。エビ

    • #41 全身転移がん療養徒然草4 母の焼きそばパンに人生をみる

      吉田拓郎さんの『人生を語らず』という歌の詩が素敵だ。 頭をガツンとやられた感じ。今だから、振り返られるのだけど…。 体力も気力もドン底だった2月、3月。 転移の告知を受けた4月。告知してくれたアイ先生は、涙をしながら説明をしてくれた。同席してくれていた母と、ワタシだって、まだ、泣いていないのに。 アイ先生は、 「ユミヲさんとは、同い年なんです、」と言って、言葉を詰まらせた。頂いた治療同意書の治療目的を書いた箇所からは、完治を目指す、という言葉が消えて、進行を遅らせ痛みや

      • #40 全身転移がん•自宅療養の徒然草3 ココロ通いあうヒトビトに支えられて生きる

        先々週と、先週、会社の先輩と上司、愛するお友達が、ハルバル、わが家にお見舞いに来てくださった(歓喜!)。 ご来客の皆さまがまとう、イキイキとした躍動感あるカラフルな空気が、すっかり浮世離れしてしまっているワタシには、久しぶりに、とてもおいしく感じられる。こっそりとしみじみと、深々と、深呼吸をして、感激した。 母も一緒に、話の輪に加わってくれる。 母はニコニコで、 娘以外のオトナなヒトとお話出来て最高に楽しいわ〜とおっしゃっている。…さもありなん。 出血性膀胱炎は相変わらず

        • #39 自宅療養の徒然草2 免疫療法、確かなココロの支えについて

          一般的な学説によれば、健康な人の身体の中でも、1日あたり、5,000個のがん細胞が生まれているという。それでも癌にならないのは、免疫が、カラダの中に生まれたがん細胞を、昼夜休みなく、キレイにやっつけてくれてるからだ。 人類と癌の100年にわたる戦いは、苦難の歴史だった。手術、化学治療(毛も抜けるケモです)、放射線治療の三つが、標準治療とされてきたが、この標準治療だけで完治を目指すのは困難を極める。ある癌を叩いても、再発、転移と、癌細胞は自由自在に生き延びる。化学治療も、放射

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        #1 再発子宮頚がん TC治療へ、これからnoteに綴ること、自分への約束

        • #41 全身転移がん療養徒然草4 母の焼きそばパンに人生をみる

        • #40 全身転移がん•自宅療養の徒然草3 ココロ通いあうヒトビトに支えられて生きる

        • #39 自宅療養の徒然草2 免疫療法、確かなココロの支えについて

          #38 自宅療養の徒然草その1 タキソールとの再会、キイトルーダとの新たな出会い

          今日で6月もおしまい。 2024年も半分が過ぎたことになる。驚愕。 一年前の今日は、子宮頚がんの手術を受けた日だ。 その時のワタシの癌は、子宮の頚部(入り口のあたり)に留まっていたものの、浸潤がんの性状や、ワタシの年齢とバックグラウンド(妊娠について、、)を考えて、医師のおすすめ通りに子宮の他、卵巣や卵管、リンパ節を切除する広汎子宮全摘術を受けた。 臓器は、じゅうぶんなマージンをとって摘出され、子宮、卵巣、46個のリンパ節にも転移はなく、その時の主治医の先生は、 根治出来

          #38 自宅療養の徒然草その1 タキソールとの再会、キイトルーダとの新たな出会い

          #37 世界も人も多面体。日常の非日常を生きてこそ。リブタヨのまさかの副作用⁈

          退院してからの自宅療養は、もっと穏やかなモノだと思っていたけれど。。。 人生山あり谷あり、波瀾万丈を生きるワタシには、日替わりのハプニングが必要だろうという神様のお計らいによって、相変わらずのドタバタを生きている。 痛いところが毎日変わり、モルヒネの量も右肩上がり。 先生に処方箋を頂いて、ご近所の薬局に行ったら、特別なお薬だから、うちには置いてないです、ごめんなさい、、というのが三軒。 仕方なく病院門前に出向くと、数が揃うのは来週、、と、こちらでも、申し訳ないと言われた。しか

          #37 世界も人も多面体。日常の非日常を生きてこそ。リブタヨのまさかの副作用⁈

          #36 早くも再入院、退院を2セット!それでもワタシは世界一の幸せ者だと信じられるワケ、その一

          免疫チェックポイント阻害薬のリブタヨ(ヒト型抗ヒトPD-1モノクローナル抗体、一般名セミプリマブ)の初回投与は、5月2日。 後述するけれど、この類のお薬は即効性があるわけではないけれど、紛れもないゲームチェンジャーなのだ。 腸炎が落ち着いて、食事が採れるようになってからは、全身状態も良くなっていた。アイ先生からは、腫瘍からくる高熱や痛みのコントロールは服薬で行い、後は、外来治療で良いでしょう、との診断を頂き、晴れて、5月11日に退院出来た…! 大型連休明けの気怠さ漂う?世

          #36 早くも再入院、退院を2セット!それでもワタシは世界一の幸せ者だと信じられるワケ、その一

          #35 ココロを積極的に、今の思考と振る舞いでこれからをつくる

          新しく腫瘍内科の担当医になったのは、ワタシと同い年の、笑顔の素敵な女医さんだ。聞くところによると、医師になる前は、丸の内?でOLをしていたとの事。いつか、詳しくお話を伺ってみたい。 ある時、ある志を立て、尋常ならざる努力を続けて来られたのだろうか。 どんな出来事に出会い、医師としての生き甲斐を見出されたのだろうか。 先生の、言葉選びや物腰の柔らかさから、何か特別な、人間的な深みを感じるのは、奥に秘められた信念の強さや、計り知れない優しさのせいだろう。いつも自然体で、そばにいて

          #35 ココロを積極的に、今の思考と振る舞いでこれからをつくる

          #34 再発から五ヶ月目、覚悟と決意、愛する皆様への手紙のように

          4月初め、腸炎の診断がついたころ、夜中に下血を繰り返してしまって、軽いショックを起こして、当直の先生に大変お世話になった。緊急の止血術も必要になるかもしれないということで、CTを撮って、緊急輸血。画像診断の結果、幸い、出血は止まったので、輸血だけして朝を迎えられた。 翌々日、これから先の治療は、腫瘍内科が主科(メインの診療科)となって、治療してくださることになったと告げられた。体力の回復を待って、免疫チェックポイント阻害薬を使う治療に入りたい、とのことだった。 実は、あの下血

          #34 再発から五ヶ月目、覚悟と決意、愛する皆様への手紙のように

          #33 築地は市場とがんセンター。1日1日、あるがままを受け入れて生きること

          腸炎を原因とする急激な体力落ち込み等々の紆余曲折の末、放射線治療の”仕上げ”に、無事、3回のRALS(ラルス)を受けることが出来た。 当初のスケジュールは、低すぎる血圧や免疫抑制などの体調不良で施行の許可が下りず、流れてしまったのだが、放射線科のドクターのご尽力により、一週遅れでリベンジが叶った。 ラルスは、身体の中に針を刺して、そこから、超至近距離から高エネルギー放射線を、腫瘍目掛けて照射する、チョット恐ろしい日帰り手術。コレについては、国立がん研究センター病院で受けるの

          #33 築地は市場とがんセンター。1日1日、あるがままを受け入れて生きること

          #32 敵を知り、己を知れば、百戦して殆(あや)うからず。ほんとうの幸せを支えるモノを知る

          そのうち治ります、もう少しの辛抱です、と言われていた腸炎は、サイトメガロウイルス腸炎と言われるものだった。 腸炎が始まったのが2月の20日くらい。酷くなって、下血を伴うようになったのは3月初旬。CRP(炎症マーカー)は、39という、ちょっと見たことない、という高値だった。 ココからは、鍋底、どん底景気で皆様にご心配をおかけした理由の一端をご説明申し上げます。 主科(メインの診療科)の産婦人科のドクターの、「酷い下痢症状は放射線治療によるものだから、治療が終われば治ります」、

          #32 敵を知り、己を知れば、百戦して殆(あや)うからず。ほんとうの幸せを支えるモノを知る

          #31 CCRT完走ならず?!鍋底景気に白旗も、教わった大切なこと。

          愛する皆様。いつのまにか二月は逃げ、弥生三月も去り、満開の桜も舞い散るときとなりました。しばらくの音信不通にご心配のメッセージをくださった方々もたくさん。。 この度の筆無精を心からお詫びいたします。 ちょうど#30を書いたあたりからの1ヶ月というもの、毎日の時間を過ごすこと、そのものが苦痛に近い状況に陥っていたワタシは、トボトボと人生の底を歩く気分でいたのでした。 底といっても、すき焼きをやるような平鍋の底。 底が平らで、大きい。。 雪平鍋程度の可愛いサイズではない。。

          #31 CCRT完走ならず?!鍋底景気に白旗も、教わった大切なこと。

          #30 CCRTシスプラチンvol.4後にまさかの伏兵、それでも甘えちゃいけないと思うこと

          ワタシの癌は、身体中に炎症性サイトカインをばら撒くハタ迷惑な性質があったそうで(いったいぜんたい誰に似たんだ?!)、そのために、ずっと炎症マーカーが異常に高かったのだ。 CRPがずっと下がらないので、朝晩でセファメジンの点滴をかなり長いこと投与されていた。 骨盤内の癌を目掛けて照射する放射線治療も、どうしても、周りにある腸を傷つけてしまうため、下痢や便秘か、どちらかの不調に見舞われることが多い。 ワタシの場合は、抗菌薬セファメジンの作用と相乗して、、、とうとう、ワタシの腸内フ

          #30 CCRTシスプラチンvol.4後にまさかの伏兵、それでも甘えちゃいけないと思うこと

          #29 CCRTシスプラチン治療経過報告と、幸せ長生きをもたらすもの真実について。だから生きていける、と思うこと。

          生態学者、文化人類学者で登山家の今西錦司先生の自然学を学びたくて、傍らに、何冊か読み解き書を置いている。深遠で高邁な学びを、チラとでも仰ぎ見るのは、先達の辿られた道を行くのが最短ルートなのだから。 先日、思わず抱きしめたくなる一節に出会った。 そうだ。 自然の中の人間の身体にも、変わり、創り、滅びていく力が本来的に備わっている。 来週月曜日、放射線治療の次の段階の準備のために、築地の国立がんセンターで診察を受けることになった。入院中の外出として受診するのだが、そこに持参す

          #29 CCRTシスプラチン治療経過報告と、幸せ長生きをもたらすもの真実について。だから生きていける、と思うこと。

          #28 CCRTシスプラチンvol.4に向かう朝。遺伝子パネルと学びには限りあるべからず、というココロの灯火について

          二泊三日予定の入院が、今日で、25泊26日となった。 中20日登板のタキソールとカルボプラチンの抗がん剤では、序盤こそ癌を縮小させたものの、薬物の効果が漸減する終盤においては、腫瘍の成長スピードに追いつかず、巨大化を止められずにいた。この、ワタシの、しぶとい、逞しいがん(いったい、誰に似たんだ??)とは戦えない、、という判断があって、放射線治療とシスプラチンを併用するCCRTを直ぐに開始する方針に切り替えたのだった。 週休2日、平日毎日の放射線治療(ワタシは、核弾頭ミサイル

          #28 CCRTシスプラチンvol.4に向かう朝。遺伝子パネルと学びには限りあるべからず、というココロの灯火について

          #27 『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』について

          ユミヲの闘病記に居合わせてくださる、愛する皆様。 物理的なココロと身体は、ココにあって、がんと戦っているのだけど、 実は、 もう一つのワタシの心は、ずっと、引き裂かれる思いなのだ。 そう、パレスチナのことで。 昨年10月に京都大学と早稲田大学で相次いで開催された、イスラエル、ガザに関する岡真理先生緊急講演会についての書籍が出版された。 病床で読み進めるのだが、心が痛くて、苦しくて、とても、前に進めない。ゆうに10日、かかった。 それでも、目を閉ざすことはできない。それは、現

          #27 『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』について