誕生日前夜に ~誡太子書~
今日はパン作りday
朝早くから準備などが始まったから、ラブは薄目で私の様子を眺めながら
静かにしています。
明日は陛下のお誕生日、天皇ご一家の姿が見られるとワクワクしていますよ。
思い出すのは、天皇陛下が誕生日発言でお話した花園天皇の書いた「誡太子書」の事です。お誕生日の映像では、それほど長いお話内容とは思いませんでしたが、下に載せた記事などからはいろいろお話されていたんだなあと思いました。解説もあり面白く読みましたよ。
「誡太子書」は漢文だそうですから、ここに載せることはできませんが・・・
天皇陛下はお誕生日の会見で記者からの問いに、こう答えられています.
Q;皇室の歴史を振り返ると、皇位を巡る危機が幾度もあり、その度に乗り越えてきた。歴代天皇について深く学んできた陛下は、今日まで皇位が連綿として継承されてきた長い歴史をどう受け止められていますか
A; 『天皇は、伝統的に、国民と苦楽を共にするという精神的な立場に立っておられた』という上皇陛下のお言葉です。歴代天皇のお考えに通じるものと思います」
「洪水など天候不順による飢饉(ききん)や、疫病の流行で苦しむ人々の姿に心を痛められた天皇自らの般若心経の写経を拝見して、歴代の天皇は、人々と社会を案じつつ、国の平和と国民の安寧のために祈るお気持ちを、常にお持ちであったと改めて実感しました」
「また、武ではなく文である学問を大切にされてきたことも、天皇の歴史を考える時に大切なことだと思います」
何か今の状態に通じるものがあるなあ、と思いましたよ。
この書は花園天皇が10代の後継者、量仁(かずひと)親王、後に光厳(こうごん)天皇となる皇太子に厳しい言葉で戒めを説いているのだそうです。
天皇陛下は誠を尽くされる方です。
こういう機会にも、悠仁さんに語りかけているように思います。
今の流れでは、いずれ天皇になるからというお考えでしょう。
天皇陛下は続けてこう述べておられます。
「誡太子書においては、(花園天皇は)まず徳を積むことの大切さを説かれ、そのためには道義や礼儀も含めた意味での学問をしなければならないと説いておられます。」
花園天皇と量仁親王についての解説は、今を彷彿とさせるものです。
「花園天皇がこの書を著したのは、朝廷が南朝(吉野)と北朝(京都)に分かれて半世紀余も対立した「南北朝の内乱」が始まる数年前だった。当時、天皇家は2つに分裂して皇位継承が争われていた。花園天皇は20歳と若くして、対立派で後の後醍醐天皇に譲位。その後、皇太子となった量仁親王の養育に当たった。花園天皇にとって量仁親王は兄、後伏見天皇の嫡男で、甥に当たり、やがて訪れるであろう動乱の時代に備えて、帝王学を授けた。
「皇太子は宮中で育ったので、民人の苦しみを知らず、知ろうともしない。国への功績も、人々への恵みもない。ただ先祖のおかげで天皇になることを期待している。そんな自分を恥ずかしく思わないか」
「愚かな人たちは言う。『我が国は皇胤(こういん)一統(万世一系)で、興亡を繰り返してきた外国とは違う。だから、為政者に徳がなくとも、心配ない。先代の残したものを守って治めていれば、それで十分である』と。私(花園上皇)は、これは大きな誤りだと思う」。そして、数年のうちに内乱が起き、国が衰えることを予言した記載もある。
厳しい帝王学を授けられた量仁親王は、討幕の計画が発覚した後醍醐天皇が廃されたのを受け、光厳天皇になる。しかし、時代が激しく動き、鎌倉幕府は滅んだ。隠岐に流されていた後醍醐天皇が復権して建武の新政を始めると、光厳天皇は都から東国に逃れることになり、在位わずか1年半ほどで廃立されてしまう。」
歴史は繰り返すという言葉がありますね。
一方で、過去に学べという言葉もあります。過去の失敗を生かすことが大切では?
天皇陛下は、天皇の地位は国民の支持により成り立つとお考えだと思います。
国会議員が国民の代表として国会で議決されることに、天皇陛下は異を唱えるでしょうか?
それはなさらないように思います。
だから、声をあげなくてはと思うのですよ。
天皇陛下がいくら誠を尽くそうとも、受け止める素養のないものが相手だと私は思っています。本人のみならず両親もそうですから、困ったでは済まされない今の現状です。
このままでは皇統どころか天皇の存続も危うい、と私は心配しますよ。
今日はここまで
今日も読んでいただき有難うございます。❤️
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