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怒るなメロス 〜「ざんねんな人」の使い方〜

はじめに

この記事は井の頭公園アドベントカレンダーの12月12日(木)分の記事でした。遅刻してしまい申し訳ございませんでした。

今日のお題:『走れメロス』

井の頭公園に縁のある作家、太宰治の名作で、だいたいの国語の教科書で見かけたという人も多いと思います。で、だいたい友情の物語と紹介されることが多い物語です。しかし、今日は新たなる観点をお届けできたらと思います。

まずはじめに……いきなり怒る

まず、開始冒頭、メロスは激怒します。そして、買い物の荷物をしょったまま王を暗殺に行きます。この時点でヤバい人確定です。だいたいの人ならちょっとは考えるでしょう。まあ正義感に基づく怒りなのでしょうが、もしアンガーコントロールできていればセリヌンティウスは命の危機に遭わなかったし、メロスもあわてて走る必要もなかったわけです。

驚くべき衝動性と行動力

そしてセリヌンティウスを人質にするのもアレなのですが、それ以上に準備が整っていない妹の結婚式を無理矢理開かせるのもアレです。どう考えても衝動性が色濃く出ている感じがします。

スケジュールマネジメントと過集中

間に合うと思って寝坊をするところもざんねんなポイントです。その後「締め切り」に気付いたあとに周りの迷惑も考えず走り出すところも、もう既に全裸男というあやしいひとになっていたことにも気がつかない迂闊さもです。そう、メロスはあまりにも「ざんねんな人」なのです。

今になって気がつくメロスの「ざんねん」さ

おそらく私も教科書で読んだのでしょう。ですが、その頃の話なんてだいたい忘れている中で改めて読んでいると、こう思いました。メロス、私とよく似ている、と……。

正直言うと、怒りと正義感に駆られて炎上することもありましたし、ふっとの思いつきでMisskeyのメンテナンスを当日に告知して回りに迷惑かけるし、集中力がプツンと途切れた結果締め切りぎりぎりで焦って書き上げるとかありありすぎます。そんな私は大人になってからADHDとわかったのですが、それから読み直してみると実にADHDあるあるな話が並んでいて頭が痛くなります。そういう太宰治もADHDかもしれないという説がある中、ADHD全開なメロスのやらかしには苦笑いしか出ませんでした。

いかに「ざんねんな人」を活用するか

さて、最近はサステナビリティの文脈でマイノリティをいかにエンパワーメントするかに関心がある企業も多いですが、その中で障がい者雇用を考える会社も多いです。特に、尖った長所のある発達障がい者の雇用に関しては注目されています。そういう私も本業はSEとして働いています。

また、採用の上では発達障がいの傾向のある人をふるいにかけて落とそうとする考えのある企業もあると聞きます。で、問題のなさそうな人を採用したいのでしょう。ですが、少子化でそういう人材はますます減っています。そうなった場合、人手不足で「ざんねんな人」を採用せざるを得ないのですが、上手く「ざんねんな人」の「ざんねんではないところ」を活かす仕組みを作れれば障がい者の活用は組織を変えることができるであろうと考えます。

ディオニス王に見る「ざんねんな人」の使い方

そういう意味で、ディオニス王はこのメロスという「ざんねんな人」を見事に使っています。メロスに処刑の猶予を与え、戻ってきたところで恩赦を与えるのです。民衆は口々に「王様万歳」を叫ぶのです。そう、この時点でディオニス王は「軽率に暗殺未遂をした『ざんねんな人』を許す寛大な王」というナラティブを手に入れたのです。それも、暴虐な王として名の通っているディオニス王が、です。自分の暗殺未遂までナラティブ作りに使えるディオニス王もまた「すごい」と言わざるを得ません。

なお、このディオニス王のモデルであるディオニソス1世の息子であるディオニソス2世は「ダモクレスの剣」の故事でも有名です。その玉座に座ってみたいと言ったダモクレスという臣下を玉座に座らせるのですが、その上に細い糸で剣をつるしておいてそれに気付いたダモクレスはすぐに逃げてしまいますが、ディオニソス2世は「これが玉座に座っている者が日々怖がっていることだ」と言ったという話です。

『走れメロス』はどんな物語なのか

ここまでのことを考えてみると、『走れメロス』は平気でやらかす「ざんねんな人」を面白おかしく書いた物語であると共に、暴虐な王が自分を暗殺しようとする者を許すナラティブであると思います。それを考えると、今のSNSは「独裁者」の作るナラティブで溢れています。それ故に、「信実」ではなく、「事実」を見る目も必要です。そういうところまで考えさせられる、深い物語でした。

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