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LIPHLICH考察2(仮)

三千世界以降からの考察をまとめたものです。
考察途中の部分が多く、内容を整理するメモのような記事のため(仮)です。
文章が解りづらい部分が多いです。


考察にあたってオススメの映画作品

三千世界からは宇宙の旅を軸に楽曲とストーリーが展開していく。
三千世界の英題はinterstellarとなっており以降の作品の内容を理解する上で同タイトルの映画「インターステラー」のストーリーを知れば作品への理解度も上がるように作られている。
その他の補足としてオススメしたい作品
オデッセイ
2001年宇宙の旅
雨に唄えば
ニモ
上記作品の内容にも触れていくことになるのでネタバレにご注意を。

三千世界から始まる物語

三千世界からEPILOGUE 0までの世界もDope Deadly DreamからNatural New Nixまでの世界もどちらも太陽を求めているストーリーとなっている。
ケレン気関車では映画のインターステラーのように3つの星を探索して太陽を探すストーリーとなっている。探索を続けた結果、オディセイでケレン10号は破壊されてしまう。
またオディセイからサキュベイダー、魔旋律まではEPISODE1~3までのナンバリングがされている。これはDOUBLE FEATUREからCLUB FLEURETの時はウロボロスの輪を円を描いて廻っていたのに対し、ケレン気関車から魔旋律までは上下で半円ずつに別れてウロボロスの輪を廻っていたことを示している。

ケレン気関車は上ルート、魔旋律は下ルートで進みどちらもオディセイにたどり着く
オディセイの位置とEPILOGUE 0の位置は同じ
次の輪は墜落艶歌で落ちていくので下ルート

CLUB FLEURETでJACK THE LIPPERと融合してひとつとなったはずのLIPHLICHだったが、ここでまたなにかが分離してしまいケレン気関車に乗らなかった存在がいる。その分離した存在が魔旋律をEPISODE1として下ルートで輪を廻ることになる。そしてケレン気関車の上ルートとオディセイで円が繋がる。その分離した存在は恐らくサキュベイダーであり発明家Aのインベイダーだ。EPILOGUE 0は上下で廻って作られた円のオディセイと同じ位置に存在している。いままで廻ってきた∞の輪の隣にまた別の円があり繋がっている。この円は無限に繋がっている。墜落艶歌で今度は下ルートからLIPHLICHの物語は再出発する。今度は夜明けとしての太陽を求めて。

LIPHLICHにとっての太陽とは

久我さんの作品には映画「雨に唄えば」の表題曲Singin' in the Rainが根幹にあるように感じられる。歌詞の一節にはThe sun's in my heart(太陽は心の中に)とある。つまり探している太陽は心の中にあるのに見付けられずに、または心の太陽を理想の姿にするべく旅をしているのがケレン気関車の物語だ。
他の星の太陽は自分のものでは無いため意味がない。
探している太陽はバンドとしての理想の姿だったり、音楽活動の達成感を指しているのではないだろうか。つまりそれを見付けられた時はバンドの完成を意味している。だからオディセイは太陽を見付けられずに、ケレン10号を捨て欠けた月へ向かうある種のバッドエンドとなっている。しかし久我さんにとってハッピーエンドの曲はバンド活動へ満足した完成や終わりを意味するため、理想の太陽の形は掴めても見つけることは出来ないストーリー構成となっている。
またファンであるウェンディを星になぞらえているため太陽が登ってしまうと見えなくなってしまう。そのため月を目指す終わり方をしている。太陽に照らされて光る月は必ず近くに太陽があることを意味している。久我さんの描くストーリーの結末はいつもどこかに救いはある結末だ。

DAWNの物語の結末

上記の考察を踏まえたうえでDope Deadly Dreamから始まる夜明け前の物語の結末はどんなものになっていただろうか。恐らく夜明けの太陽は見れない終わり方をするのでは無いだろうか?灰色に曇っていたり、雨だったりといった理由か、想像を超えたストーリーを用意してくれる久我さんならどんな終わり方をしたか是非想像してみて欲しい。ただ必ず未来への希望や救いの曲を作り上げてくれていたからこそ、ただのバッドエンドでは終わっていなかったはずだ。太陽は見えないけれど雪が降って真っ白に光り輝いているとかそんな救いがある結末が私の考察から導き出した夜明けの物語の姿だ。

その他各楽曲用の考察メモ

当初は特例Zから始まる予定だったが2017年に予告を出し、紆余曲折あり三千世界やケレン気関車は2020年にリリースされた。久我さん本人もメンバーが変わりリリースまでの時間も空いて作りたいものが変わったと言っていた。SMER STARの楽曲は別の輪を廻っている楽曲としてリリースされることになる。当時予定されていたツアータイトルがSMELL LIKE 3 WAYだった為、ルート分岐は当時から決めていたのかも知れない。

インターステラーでは愛は観測できる科学的事象として描かれている。オディセイで「愛してると話せるようになってしまった」と歌っているのは観測される立場になったということ。
ニモという映画作品では主人公の少年がベッドで空を飛んで夢の国へ行くストーリーだ。そしてナイトメアと戦うことになる。「黒いベッドで空を飛んで」がこの映画のオマージュだとしたら欠けた月にはナイトメアが居る。つまり「ナイトメア イズ カミング」と歌っているサキュベイダーに会いに行こうとしている。

骨と皮膚がボーナストラックとなっているのはEPILOGUE 0は雨に降られている作品となっているため。死の後に地面が乾燥するほどの太陽を浴びている骨と皮膚はEPILOGUE 0のさらに先の世界の描写になっている。

時計じかけのオレンジではSingin' in the Rainが暴力的に描かれている。久我さんのソロ曲のただの男のキャンディダンスは雨に唄えばのダンスシーンを言葉遊びで表現している?同時期にクガネコで空から降ってくる飴に降られている絵が投稿されている。

DAWNには夜明けの他にも新しい始まりという意味がある。



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