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日本語表現の曖昧さと人間社会への依存心
とある記事で紹介されていた日本語表現の例。
「9時10分前は正確に言うと何時?」というお題。
え、何が問題なの?と思う向きは、我らが世代。最近の若者は、これを、「9時10分より少し前」、即ち、9時から9時9分の時間帯で捉えるらしい。へ〜、世代が変われば、解釈も変わるのか、と思った次第。
ところが、これを「若い世代の日本語能力、語彙力の不足」と憂える人もいる。他にもある。
「千円弱って、いくら?」
若い世代は、「千円ちょっと=千円+」と捉えるらしい。多分、「千円強」との混同かもしれない。千円強は千円よりずっと多い、でも、弱は、「ちょっと多い」だ。
どちらの例も、この言葉を聞き慣れた世代には、その理解の隔たりに驚きはあるものの、そう解釈することも分からなくはない。特に、「9時10分前」の解釈は、「起点」の捉え方の違いだ。「9時の10分前」と捉えることを、我ら世代は育った環境から学んでいるが、その言葉を聞き慣れない若い世代は、「9時10分、の前」と解釈しても不思議ではない。
「千円弱」の解釈は、ちょっと面白い。「弱」をマイナスと捉えずに、「強よりも少ない」と捉えている、どちらも+としている点。誤りはあるが、発想はポジティブじゃないか。或いは、「千円」を基準にした「強弱の比較」と捉えたか?
かように、単純に日本語力不足、と片付けて良い問題とは言えない。
ただ、若者表現も、「ヤバい」一辺倒では、いずれ、自分の感情表現に限界を生じることはあるだろうけど。
日本語力不足の問題に戻ると、その衰退を憂える人たちの中にも、自分も含め、どれだけの日本語力があるのか、これは怪しいもんだ。誤用が、正規の日本語と化して(誤解して)まかり通っている例はいくらでもある。これを、日本語の変化だ、と嘯くのか、これまでの学びを振り返るのか。
また、「9時10分前」の例では、これまでの日本語表現の曖昧さ(起点の問題)を見直す良い機会だと思う。解釈によっては、若者たちの理解が正しいから。この誤解を解くには、「8時50分」と表現することが適正だと思うが、ただ、これは想像だが、昔の日本人は「限定した表現を憚る文化」があるような気がする。「何となくぼかした」表現に安心感を覚えるのでは?そして、それは「みなまで言うな」、「阿吽の呼吸」で通用する社会・人間関係に依存してきたのではないのかな?
外国人が日本語を学ぶ際に、このような例で混乱することが考えられる。特に、「結構です」という表現("ok" or "no need")。これは日本人でも混乱することが多い。これを言葉の文脈で捉えよ、と言うには限界がある。
これを機会に、全てとは言わないが、日本語表現の曖昧な部分と相手への依存を見直してみることも必要かも知れない。