真夏の美容院

彼の日常は他人が想像する以上にひどく退屈なものである。
ほとんどの行動が型どおり決まりきったものであり、変化に乏しい。
ごく稀に「何もかも投げ出して自分を知っている人が誰もいない場所に行きたい」という衝動に駆られるが、準備の煩わしさと天秤にかけて結局は引きこもってしまうのである。ましてや真夏ならなおさらだ。

そんな中、今日は数か月に一度の美容院に行く日であった。
アパルトに美容院が併設され、建物内部で行き来ができ、外気と一切触れることなく髪を切ることができればどれほどよいか、などと思いを巡らすが、世の中そんなに都合のいいことはない。
仮にそうなってしまえば、スーパーやコンビニ、薬局、音楽スタジオ、ましてやライブハウスまでもが彼の住むアパルトに結合され、世界は彼を中心に回ってしまうのだ。
彼はアパルトの地下深くまで伸び切った根っこを半ば強引に引きちぎり、その場をあとにした。

アパルトの外はまるで別の世界であった。街には大粒の蝉時雨が降り注ぎ、アスファルトの上空では陽炎が微かに揺れていた。
そう、世間はもう8月に差し掛かろうとしていたのだ。
少しの距離を移動するだけでその伸び切った前髪に隠された額から汗が吹き出した。

目的地までは、音楽を聴いていればすぐに到着した。
彼がアパルトの外で音楽を聴く理由は、単純に音楽が好きだということもあるが、外界との繋がりをシャットダウンしたいということの方がむしろ大きかった。

そこからはあっという間だった。
まるで錆びた鎖を断ち切るかのようにばっさりと髪を切った彼は、明日以降も理不尽な世界と戦う準備を始めるのであった。

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