見出し画像

悪口は依存症と言うくらいなので、

「受験前、進路検討期にメンタルが落ちるのは仕方ない」
そう自分に言い聞かせている。しかし、無尽蔵な心労をこれ以上ためこむのはいかがなものかと思う節もある。

そういうわけで、(最後の)反抗期として綴ることにした。

小5の参観日『将来の夢』の発表をみた父にブチギレられた話

「お母さんみたいなピアニストになりたい」と発表した参観日。今思えば愚劣極まりない。

あれは小学校5年生のことだったと思う。地元のJリーグのサッカー選手が出向いて夢について語ってくれた授業をもとに『将来の夢』という題目で作文を書いた。その発表会が参観日に行われたのだが。

参観日帰宅後夕食中。
「将来金にならん習い事は辞めろ」とビールを煽る父が言った。いつもより低い声のトーンが機嫌の悪さを語っている。

その時は母が庇ってくれた。しかしそれ以降、ピアノを弾くたびに父の小言を聞かされ「私のピアノを辞めさせろ」と父が母に怒鳴り込む声を聞いていると怖くなった。ピアノを弾くのが、目標を持って取り組むのが。

残念ながら当時の私はこういう状況を打破できる力を持ち合わせていなかった。諦念という壁を隔てて全力の出し方さえ知っているだけの付け焼き刃だったのかもしれない。


中2の調査テスト後、進路を尋ねられた父に嘲弄された話

「音楽科のある高校に進学したい」
そう告げたのは中2のテスト明けのことだった。

内申点に大きく関わるテストが終わったことを母から聞いたらしい父が進路(進学先)について尋ねてきた。

自分の中で答えはあるが父に理論武装で勝てるわけがないと思いつつ…

先頭に戻る。

案の定「さっさとピアノやめて塾探せ」と帰ってきた。正直泣きそうだった。怖くて何も言い返せない自分への悔しさ。泣けなかったのは涙が出てこなかったから。

話し合いができていれば今がかなり変わっていたのかもしれないが、気持ちの整理が付いている今だから思えること。

「きっとこのままでは私の中の可能性が全て摘まれれしまうんだろうな」そんなことをぼんやり考えていると自然と家に帰る足取りが億劫になる。なんせ父に会うのが怖かった。否定されることに対する反射的な恐怖。いわゆるパブロフの犬か。

父の前では「そうかぁ」と綺麗に笑って流せるようになった時点で我慢できる余裕は露ほども残っていなかった。


現在高3初秋ですが。

ここまで書いておいて父を悪者にする気はなかったと言えばふざけているのだろう。
事実、少しは誰かのせいにしたかった。悪口は依存症というほどだ。ドーパミン出さないとやってられないくらい余裕がない。
誰かに話さないと自分が壊れそうだからというのは世間では言い逃れと言うらしい。私は自己防衛だと思っているが、押し付ける気もないし押し付けられる理由もない。

ダラダラと思ったことを(主に愚痴だが)綴ってしまったが最後にこれだけは。


音楽は金持ちの娯楽とはまさにその通りで、ピアノを習わせてくれたこと、ダメと言いながら意見を聞いてくれたことは恵まれてたなと思うよ。

いいなと思ったら応援しよう!