それぞれのものさし★価値観の違い
ベトナムに来て16年。
ベトナム人家族と同居して13年。
今では仲良く和気あいあいとベトナム人と仕事をして、義両親や親戚付き合いもしているけれど、ここに来るまでには色々と衝突もたくさんしてきた。
だってもう本当、何より衛生感覚の違い。
最初はこれに本当ストレスを感じ、何度一人で日本語で文句をブツブツ言ったことか。
洗えば一緒と同じものでテーブルもキッチンもお風呂も掃除する。
灰皿も鶏のフンがついた新鮮な卵を洗うのもお皿を洗うのも一緒のスポンジ。
誰かが飲んでいてもお構いなしでそのコップを洗わずに使う。
爪楊枝はテーブルや椅子の上に置きっぱなし.......などなど。
衛生感覚に留まらず、お義母さんの子育てへの介入。(介入って思っちゃうあたりで当時は日本人的考え。)
子どもが熱を出せば勝手に薬を買って飲ませてお義母さんのやり方で看病する。そこに私の意見はなし、聞かない。自分の育児のやり方で孫を育てる。外で歩かせながら離乳食食べさせる。などなど(エンドレス)
挙げたらキリがないけれど私の日本人の感覚に合わないことに一つ一つキレまくっていた日々。
ストレスが溜まる日々を送っていた。
いつも何かしら文句を言っていたと思う。
フライトで日本に行き一人になる時間が唯一の心の息抜きだった。
そんな日々を過ごしていたある日、もうすぐ結婚5年目の結婚記念日とゆう時に、夫婦の離婚危機問題が発生。
実際に日本大使館に離婚届を取りに行き、日本人の事務の方が別室に案内してくれて(悲壮な顔してたのかも。笑)離婚後の事務手続きや子どもの名前変更の詳しい説明を聞いたりした事もあった。(今では笑い話だけれど)
その時に本当色々話し合って、苦しんで、何度涙して、ビールを飲まないと眠れない日々を過ごしたことか。
でもその時は「いつかは晴れる日が来るから」とそれを信じて頑張ってきた。
そういう暗黒期を抜けて私が辿り着いた私なりの答え。
それが、「自分の物差しを使って人に当てはめてはいけない」とゆうこと。
要は、自分の価値観を人に押し付けてはいけないとゆうこと。
相手を受け入れる、価値観を押し付けてはいけない。頭ではわかっていても、いざ目の前で起こると感情とゆうものが出てきて冷静に対処出来なかった当時の私。
それは自分のフレームに全部当てはめようとしていたから。ちょっとでも自分のフレームに当てはまらないとイライラしたし、あり得ない!となっていた。
私のフレームは日本で育ち日本で受けた教育と環境で作られたもの。でもパートナーを始め義両親やこちらの人達はベトナムで育ちベトナムで作られたフレーム。
そもそも合うわけがない。
時々、お互いのフレームがぴったり一致してシンデレラフィットのカップルも存在する。ソウルメイトのように完璧に。
でも普通は全く同じフレームを持つ相手と結婚するわけではない。
だから衝突するし亀裂が生まれる。
今日本では結婚する29組に1組が国際結婚。
クラスに一人はハーフの子がいる計算。
そして国際離婚の最大の原因は
「価値観の違い」
私もその危機を経験した一人。
国際離婚はせず、今は仲良くやっているけれど
本気で離婚して日本に帰ることも考えた。
だって当時は私のフレームに全員当てはめようとしていたから。
日本はこう、日本人はこう考えるのに、すべての根底にこの
私のフレーム基準を適用しようとしていた。
そんなの土台無理な話。
相手を変えようとするのではなく自分を変えていく。
これも試した。でもなかなか変わらない。変えられない。
そして私がした事。
もう最初からフレームアウトさせておく。
要はもう規格外だと思うようにしたこと。例として、私は家族をキャラ設定してみた。
パートナー : 永遠の5歳児
義母 : 宇宙人
義父 : ネジの取れた人のいいおじさん
こんなふうに。笑笑
だから怒らなくなったしイライラしなくなった。
パートナーは子供の心を持ち合わせた素直な人だなー、まぁ5歳児だしね(いつもじゃないですけど。笑)って思えたし、お義母さんにおいては、やることなすこと「まぁ宇宙人だしなぁ、しょうがないか。」と。
お義父さんのやることにも、「ああ、またかー。今日もネジ絶好調で取れてるなぁ。笑」と。
これをしていたら、ストレスもなく関係も良好になって行った。
今では「子どもはみんなで育てるもの。」と思えるようになったし、私の子育てのモットーは「死ななきゃいいや!。」
になった。もうお義母さんが娘に何しようが、イライラしなくなった。あ、でも時々あるかな。
でもとにかくそこには孫への愛からくる行動だとわかっているから、甘やかそうが勝手に薬飲ませようが、死ななきゃ何されても大丈夫とドーンと構えていられる。
これが多様性を受け入れることなんだなと。今では実感できるし、13年もの同居生活から得られたもの。
「それぞれ人にはその人のものさしがある。」とゆうこと。
そこに良い、悪いもない。
それを受け入れられなくても、まずはそれが相手の価値観なのだと認めて自自分は自分の価値観を大事にすればいい。
日本で育ち、周りに合わせることを良しとされる環境の中に長くいると
なかなかそれが難しいのはよくわかるけれど。
でも、世界って広い。
いろんな面白い考え方をする人がいっぱい。
みんな違うものさしで、目盛りの幅も人それぞれで、だから周りと比べて違うとか劣っているとか思わなくて全然大丈夫。
みんな違って、みんな素敵だから。
子どもがもう少し大きくなったら話していきたいな。