輪るピングドラムの後編を観た ーピングドラム、荻野目桃果、渡瀬眞悧への個人的解釈ー
無事観れたので感想を書く。
映画見終わったあと、コメダ珈琲で感想書くのハマるかもしれん。
これは前回劇場版の前編まで観た時に書いた感想。
読み返してみると、結構いいこと言ってんなってなる。
今回はこの感想の延長線上です。
んで、後編について。
まず前編もそうだったけど、全体の9割くらいは総集編。いくつかのエピソードを省いてたり、出す順番を入れ替えたりもしてたが、2時間でピンドラの後半を振り返るには丁度いい構成だと思った。
まぁでも、苹果と時籠のレズ旅館とか、真砂子の爺ちゃんとかも観たかった気もする。いや本編とあんま関係ないんで省かれたのもやむなしだけども。
総集編部分の感想は大体前回の投稿で言い尽くしてるので、残り1割の新規部分と見返したことで新たに産まれた感想、そして作品を象徴するテーマ・ピングドラム、桃果と眞悧先生に関する個人的な解釈について記していきたい。
「僕の存在証明」でオープニング映像が作られてて本当に良かった。前編観た時は結構印象薄い曲だったので、OPとEDで前面に押し出してくれたのが良かった。輪るピングドラムを象徴とする曲として、この曲が一番相応わしいと思ってるので。どんなに残酷な運命でも愛してるって歌詞もそうだし、丁度この物語の最後が「存在証明」で区切られるのも含めて、この曲は「ノルニル」より「少年よ我に帰れ」より好きだ。
前回の投稿で、赤ちゃんペンギンは眞悧先生かな?って感想を残してたけど、やっぱりそうだった。だよね。
ただし、赤ちゃんペンギン自体が眞悧先生ってわけじゃなく、呪いのようにペンギンに取り憑いてるようであった。二度も運命の乗り換えに遭遇した影響で、自分の姿を保つこともできなくなったのだろうか。
そんな眞悧を桃果は懲らしめていたが、口ぶり的に何度もこういうやり取りをしているようだった。どちらも運命の乗り換えで消えるはずだったが、中途半端な乗り換えをしたため、「幽霊」として現世に干渉できる二人。意見を対立する同類として、二人はずっと空の孔分室で戦っているのだろうか。
また、桃果が「運命の乗り換えを完了させて」と晶馬と冠馬に伝えていたが、その答えがどうやら「存在証明」らしい。
冠馬と晶馬の存在証明とは、「陽毬の兄であること」であり、自分達が世界に存在した証明として、破いてしまったぬいぐるみを手紙とともに陽毬へと届けた。
幼い姿で現世に戻ってきた冠馬と晶馬だが、正直眞悧先生のような幽霊じゃないという確証がない。
空の孔分室からエレベーターで一気に上階へと駆け上がり、桃果の助けで地上?まで脱出するシーンがあるが、あれは現世に戻ってきたという解釈でいいのだろうか。
子供時代の多蕗と時籠が、親の愛を受けるために自分の身体を傷つけることを厭わないシーン、改めて見ると結構エグい。本人は必死に報われたいと願っているのに、純粋さゆえに道を踏み外してしまうというのはとても切ないね。
自分の命に危機に対してやけに冷めてる陽毬、未だ彼女の根底には、「選ばれなかった」体験が染み付いてんだろうなぁと感じる。唯一明確に、親に捨てられたという描写がある子なので、心の壊れた様子は他の人物とは一線を画している。
すげぇ自罰的な晶馬、高倉夫婦の実子だからこそ余計に罪の意識が高いのかも。それと冠馬には父との回想が、陽毬には母との回想があるが、晶馬と両親の回想は劇中ではない。あんま両親との仲も良くなかったのかな。晶馬が一番両親を憎んでいるだろうし、責任も感じている。
晶馬と冠馬がたった一つのリンゴを分け合うシーン、俺一番好きなんすよね……。二人は陽毬を通じて繋がってるという描写が多かったので、そこまで兄弟仲は深くないのかなと思ってたら、そもそもの始まりだったっていうのが好きだ。てか高倉の母が、「いつの間にか仲良くなったわね〜」とか言ってたけど、あの箱に閉じ込めたのお前らちゃうんか。
感想としてはこんなところで、続いて個人的な解釈について書く。あくまで解釈なので実際幾原監督がどう考えていたのかは知らん。
まず「ピングドラム」について、これは「愛」だとする考察が多く、実際俺もそういうイメージでピングドラムを捉えてきたが、ここを細かく掘り下げたい。
ピンドラ冒頭で小学生どもが、「愛による死を選択したものへのご褒美としてリンゴが与えられる」と話していた。これは、運命の乗り換えの手順と置き換えることができる。
「愛による死」→「運命の乗り換えとその代償」
「ご褒美としてのリンゴ」→「存在証明」
ということになる。
そしてピングドラムという言葉を出したプリンセスのセリフを拝借すると、「きっと何者にもなれないお前たちに告げる、ピングドラムを手に入れろ」と彼女は告げた。何者かになるとはつまり、「存在証明」に他ならないだろう。
では、「ピングドラムを手に入れる」=「愛による死」なのだろうか。「愛による死」とは、運命の乗り換えが示す通り、自分を犠牲にしてでも誰かを愛する行為を指す。この文脈でピングドラムの正体を考察すると、「誰かを愛する気持ち」がピングドラムだと言えそう。ただし、この愛は見返りを求めない無償の愛だ。見返りを求める有償の愛では、多蕗や時籠が体験したような悲劇を招いてしまうだろう。
無償の愛(ピングドラム)を持つことで、何者かになれる=存在証明というのがまず、この作品への個人的な解釈です。いうて他の人も同じような考察出してるんで、オリジナルってわけじゃないですが。
そして桃果と眞悧先生。
前回の投稿では、桃果は窺い知れぬ内面を抱えた少女で、眞悧先生は世界に怒りを抱える男だと記した。
その桃果の内面について、後編で明らかにされるかな〜?と思ってたけど、そんな出番なかったし、あんまよく分かんなかった。なので自分なりの解釈を整えてみた。
桃果は自分を犠牲に他者を助ける描写が多いので、とりあえず善人だと評価していた。実はある見返りのために善人のフリをしていた、という描写もなかったので、やはり心からの善人であることは間違い無いだろう。しかし、ただの善人だと呼ぶには妙な点がある。
彼女は眞悧先生の封印により、その存在を二つのペンギン帽子に変えられてしまった。プリンセスはピングドラムを手に入れろ!と冠馬と晶馬、そして真砂子にも同じことを言ったと考えられるが、これにまず違和感を感じた。要するに彼女は日記に書かれた魔法で運命を乗り換えろと言ってるわけで、それはつまり死ねという意味だ。あんなにも博愛主義で多蕗や時籠の死を望まなかった桃果が、運命の乗り換えを人に望むのだろうか。
ちなみにプリンセスの人格は桃果のものとは違うという解釈があるが、自分もそう思う。全然口調違うし。プリンセスの人格は、陽毬の無意識か、封印の際に混入した眞悧の意識か何かだろう。陽毬は結構不満抱えてたし、眞悧は普通に性格悪いしな。だが、そもそも最終話でペンギン帽子は桃果の人格に切り替わって、プリンセスと同じく運命を乗り換えろと伝えていたので、その辺は桃果の意志のはず。
日記を苹果に託したのも、桃果が彼女に魔法を使う機会を与えるためだと時籠は話していたし、桃果は「愛による死」であれば死ぬことを肯定する人間っぽい。
自分が無償の愛を持っているのだから、自分以外の人間にも無償の愛を期待するというのは、自他境界がハッキリしない子供らしい未熟さを感じる。
人間の枠に収まらない善性を抱えた聖人であるが、未熟さゆえにその善性を他者に期待してしまう子供、というのが桃果への解釈。そんな彼女だからこそ魔法を授かったのかもしれんな。
その対となる存在が眞悧先生。
桃果が世界の全てを愛し、誰かのために自分を犠牲にできる人間なら、眞悧先生は世界の全てを憎み、自分のために誰かを犠牲にできる人間だと言える。
一応初めは眞悧先生も、何者にもなれない弱者を救済するという大義名分で凶行に及んだのであり、手段は異なれど、桃果と同じ思想を抱いている人だと思っていたが、よくよく考えると別にそんなことないなってことに気付いた。
違和感を覚えたのは、空の孔分室で晶馬と冠馬を虐めてる眞悧ペンギンのシーン。自分の計画をおじゃんにされてムカつく気持ちは分かるが、「君たちは何者にもなれず絶望するんだ」というセリフが引っかかった。あれお前そういう人間を作る社会を壊そうとしてなかったっけ?
それで考え直してみると、そんな社会への反抗として、地下鉄無差別テロって全く噛み合わないんですよね。現構造の破壊を目的とするなら、政府の施設に対して行うのが適切だし、そもそも子どもブロイラーには手が出せないってのが一番おかしい。あれが諸悪の根源だろうに。
なんで結局、眞悧先生およびピングフォースがしたいのは世界へ怒りを撒き散らしたいだけであって、弱者の救済ではない。なので何者にもなれない子どもの典型例である高倉兄妹を救う気持ちは微塵もなく、怒りをぶつける対象でしかない。
桃果と眞悧先生を同じ超越者として捉えていたが、一方は人間の枠を超えた聖人であり、一方は人間の灰汁を煮詰めたような悪人だったというのが、ピングドラム全体を通しての二人への解釈です。
以上、感想と考察でした。
現世で冠馬と晶馬が「どこに行きたい?」って話をしてたけど、どこにも行けずに苦しんでた前世のことを思うと、やっと二人の人生が始まるんだなって。愛による死を選択してからが本当に始まりだって、賢治も言ってたしな。
そして、最後に「きっと何者にもなれる」ってメッセージが我々に向けて発信されたのも良かった。社会風刺を孕んだ作風である今作は、間違いなく視聴者に影響を与えるために生まれた作品であり、そんな作品が最後に伝えるメッセージが、希望の言葉で良かった。終わり良ければ全て良し。
運命の果実を一緒に食べよう!
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