Thisコミュニケーションを読んだ 〜奇妙なタイトルへの考察など〜
みんな! ちゃんとコミュニケーションしてるか?!
コミュニケーションは難しいよな!
僕は毎日苦労してるぞ! 君たちもそうだろう!
そんな悩み多き僕らに大切なメッセージを伝えてくれる漫画の感想――。
殺戮上等! 倫理観なし! ウルトラ合理主義の軍人・デルウハは三度の飯より、いや、やっぱり三度の飯が大好き! そんなデルウハが出会ったのは不死身の少女たち「ハントレス」。彼女たちは死んでも復活する恐るべき改造人間なのだが、死ぬ前の1時間が記憶からすっぽり消えてしまうという大きな欠陥があった! ……待てよ? でもそれってほんとにデメリット? 都合の悪い記憶はない方がいいよね?
――そうして物語は幕を開ける。少女たち(あとその他大勢)を殺して殺してぶっ殺しまくって最高の未来を掴み取れ! デルウハ!
大体そんな感じ。
ちなみにネタバレはたっぷりします。
「Thisコミュニケーション」という奇妙なタイトルについて
本作を読み終わってまず最初に考えたのはタイトルの指す意味だった。
そもそも読み始めた時から、題名しっくりこねぇなと思っていて、「いや……寄生獣か!」とか「いわば……ゴールデンカムイか」みたいな、わかりやすいタイトル回収もなく、それっぽい言及があったのは最終巻の表紙カバーで、作者が「『これ』がコミュニケーションだッ」とコメントを残している部分のみ(僕が見逃しているだけで作者の解説ページで触れてるかもだけど)。
そして作者のコメントに合わせるなら、タイトルを「This is コミュニケーション」とするのが正しく思えるが、まぁ十中八九あえてのことだろう。
おそらく「discommunication」という言葉と掛けている。
「discommunication」とは、欠如や反対を意味する接頭辞「dis」と「communication」を合わせた造語で、コミュニケーションが行われていない、または機能していない状態を表している、ってネットに書いてあった。
デルウハが来る前の、ハントレスを代表とした研究所の状況とか、変態神父、犀の村など、まさしく「discommunication」が当てはまる。しかし、それならタイトルも「dis コミュニケーション」になるのでは?
やはり「Thisコミュニケーション(『これ』がコミュニケーションだッ)」をタイトルにしたい理由があったと考えられる。では、『これ』とは何を指して言っているのだろう。
最終話最後の見開きページで、「愛や情は勘違いに過ぎず、事象を拡大解釈したものでしかない」というナレーションがある。これはオスカー戦でデルウハが過去に語っていた持論とほぼ同じ言い回しだが、「それによって世界が救われたのも事実である」と後ろに続く。
多分この「所詮、愛だの情だのは勝手に感じ取ってるだけで、実際相手がどう考え・行動したのかとは関係ないけど、それでも幸せを感じたり事態が好転したことは間違いじゃないよね」という考えが『これ』であり、作者が示す「コミュニケーション」なのではないか。
実際この「コミュニケーションは勝手に感じてるだけ理論」は作中の随所で見られる。
例えば死ぬ前にデルウハへの想いを吐露するオスカーであったり、死ぬ前に皮肉だけどもデルウハに感謝する吉永神父であったり、死ぬ前にデルウハの言葉に酔いしれる所長であったり(死ぬときばっかだな……)。
いずれもデルウハの合理的な行動から勝手に見出した感情であり、それらの感情にデルウハが応えることは決してないだろうが、当人が幸せそうにこの世を去っていったのが印象的であった。
「愛や情はただの勘違い」というのは、なんとも無機質で寂しい考え方だなと最初思ったが、その勘違いから生まれた行動や幸福は間違いだと否定するわけでもなく、それもまたコミュニケーションだと語りかけてくるのは、結構痛快で優しい考え方に思えてじーんとした。
「Thisコミュニケーション」というタイトルにしたのはそういうことなのだろうなと、勝手に感じ取ってます。
アンドレア・デ=ルーハは本当に悪魔なのか
いや、悪魔だろうがよ。
デ=ルーハ(Deluha)のDは、デビル(Devil)のD。
まぁ、言うまでもなく人殺しのサイコ野郎なのだが、かなりの頻度で人間臭さが垣間見える。ただのサイコ野郎で終わらないのがデルウハ殿の魅力であり、作者のキャラメイキング力の高さが伺える。ここでデルウハの人間臭さに触れたいと思う。
まず想定外の事態に遭遇した時のリアクションの良さ。ホラー映画さながらの演出で監視室に忍び込んだのにイペリット人間が目の前にいた時のデルウハ殿がマイ・ベスト・デルウハですね。デルウハ殿に逆ドッキリ仕掛けたら取れ高えぐそう。そのあと殺されるだろうけど。
あと、そんなにコミュ力高くないのも良い。
ハントレスのむつやコミュ障神父にコミュニケーションの重要性を訴えるシーンがあるだけあって、デルウハ殿はコミュニケーション(あくまで表面上のだろうけど)を大事にしてるし、ピンチの際は暴力より先にコミュ力でなんとかしようとする。
しかし、実際デルウハ殿にコミュ力があるかというと、うーん……微妙じゃない?
なんでもかんでも最終的には殺せばOK!という思考がそうさせるのか、はたまた自分に素直な性格のせいか、あっさりと地雷を踏む。
殺しても復活するハントレス相手だから、よく地雷踏むのかなと思っていたが、弁士のコミュニティでもちゃんと地雷を踏んで皆殺しにしていた。
思うに、弁士たちを登場させたのは、世界が間違いなく詰んでることを強調するためかつ、デルウハ殿は誰が相手でも地雷踏みがちだよというのを暗に示すためなんじゃないか。
それと基本的に運に見放されてるのも良い。よみが投げたブレードにななの死体が突き刺さってたシーンとか不憫すぎる。なんというかいっつもツイてないのは、因果応報感を出させてデルウハへの嫌悪感を薄めたい意図があるんではなかろうか。
そして、たまーに合理的とは思えない行動をとるのが最高に良い。デルウハ相手に勝手な感情を抱いて死んでいった3人について先述したが、そのシーンもデルウハ殿はらしくない行動をとっている。
怒りのオスカー顔面パンチを避けられそうなのにちゃんとくらってるし、吉永神父の首をはねる前に祈る時間を与えている。所長相手に一話のリフレインで煙草(ダイナマイトだけど)を吸わせてあげてるのも、デルウハ殿にしては粋すぎる。しかもそれらのどのシーンも合理的な裏付けがない。
むしろ、死ぬ前にいい夢を見させてやるとこも含めて、アンドレア・デ=ルーハは「悪魔」なのかもしれない。
生きてるうちにデルウハに遭遇するのは絶対にご免だが、もし介錯してもらえるならデルウハ殿にしてもらいたいとこだな。
ハントレスの中で一番かわいいのはい~ちこ?
あざとすぎだよな、いちこは。
いちこ以外の5人もかわいいけど、かわいくないとこもしばしばっていうか、クソガキっていうか。
なんつーかいちこは「6人中1人くらい取っつきやすいキャラ作っとくか…!」って意図を感じる。Thisコミュがアニメ化した時、大量のいちこのファンアートがタイムラインを埋め尽くす未来が見える。
まぁ、そんなことを言いつつ一番好きなのはななとはちなんですけどね。
現ハントレスと違って、死んだら成長してしまうという奇妙な生態が面白かった。デルウハと兄弟のような関係からスタートし、敵対関係を経て、熟年のパートナーになる過程がすごい濃密だった(デルウハはそんなこと思ってないかもだけど)。
なので「血濡れ」に首を切られて死んだときは結構ショックだった。というかその前にはちが「人付き」に取り込まれた時点でしんどい。
でも木手井と4人で家族みたいに死ねたから十分幸せだったろうよ(デルウハのは演技だろうけど)。
つーかななとはちが最後に「長生きしろよ」って言ったんだからよ、あの拾い食いバカは1日3食とか吞気なことしないで生きろよな。
どうでもいいけど読み返して初めてはちが男の子だと気づきました。
ななとはちが早熟だったのに対し、現ハントレスとデルウハの関係はかなりゆっくりに感じた。別に悪い意味で言ってるわけじゃなく、ゆっくりと少しづつ成長していたからこそ、最後にデルウハが「殺してリセット」するのをあきらめた時のカタルシスは半端なかった。
チームワーク最悪でお互いギャーギャー言い合ってた頃から、言葉を交わさずに連携を取れるようになるまでの過程であったり、一番初めのデルウハ戦でハントレス各々の弱点を提示して、最後のデルウハ戦でそれらを克服したことをデルウハ本人に語らせたりと、ハントレスの成長が非常にわかりやすい。
特にみちの成長ぶりに驚かされた。
みち以外の5人はへたくそながらも初めからコミュニケーションを取っていたが、みちは全くの無関心。しかも家族・少女趣味を依存先にしているので、コミュニケーションの取っ掛かりすら皆無。ぶっちゃけ終盤でもハントレスの中では影の薄い方だったが、よみを庇ったり、むつの自問自答の手助けをしたり、お前いつの間にそんな大人びたんだ?!
デルウハの「かわいい研究」の賜物だろうなあ。
ここだけの話、デルウハには生き延びてほしかった
最終話、当然面白かった。
生きているうちにデルウハに会えなかったハントレス達の切なさとか、反射行動を「勘違い」しただけだが気持ち的には報われた彼女たちへの祝福とか、あっという間に世界を救ってしまった爽快感とか、正直この漫画がハッピーエンドで終わるわけはないと踏んでいたので、思いのほか希望的な最終話を迎えたのが良い意味で裏切られた気分。
ただやっぱな~、成熟したハントレスと殺す選択肢を捨てたデルウハの物語をもうちょっと見たい気持ちがあるんだよな~。もはや俺に残された未来はpixivにしか存在しない。
人類の救世主たるハントレスに力を与えたとされる「悪魔」を、生き残りの人類が崇め奉るようになるかもね、みたいなアイディアをpixivで見かけたので誰か引き継いでくれ頼む。俺も手伝うよ。
最終巻のスタッフロールが読み終わった後の余韻を倍増してくれて気持ちいい。所長、あの世では存分にタバコ吸ってくれよな。大人になったハントレスはみんな笑顔なのに、にこだけ舌出してるのがあまのじゃくな彼女っぽくて大変よろしい。そして、デルウハ。お前はいったい誰の手を握っている。
作者最後の解説で、「単行本カバー表紙のデルウハはすべて読者を見ている」との説明があるので、デルウハと握手しているのは我々なのかもしれない(読み終わって気持ちよくなってるとこに、とんでもなく恐ろしい事実を明かさないでほしい)。
あるいは、ハントレスの手を握ったのは反射だけでなく、彼本人の意思もほんの少しあったのかもしれない。そうだといいね。
感想は以上。
超サイコパス野郎見たさに読み始めた作品だったけど、それに反してすげー爽やかな読了感があって、なんか騙されたみたいだ。
――――すばらしい悪魔に 美しい夢を見せていただきました……
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