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『CHAKHO』絶望はホスの形をしている
こんなことがあってたまるか。あった。「彼がどうやって今のような"黄金色の瞳"になったのか」事前インタビューの明るい語り口から、ここまでの展開を予想できた人がいたのだろうか。
ノベル版20話、とうとうホスが本格的に本編へと登場した。続く21・22話では、2ヶ月にわたる拷問と、ジャフとの最期のやりとりについてが、彼の口から語られた。
少しずつ彼の置かれた環境が明らかになる中での、真綿で首を絞められるような時間と、全てが語られた瞬間の無力感。『CHAKHO』では様々な境遇のキャラクターが登場するが、その誰もにとっての「絶望」へと、ホスは姿を変えた。
既にご存知のかたもいるかもしれないが、ホスは非常に理性的な人物である。そしてその理性こそが、彼の首を絞め、彼を仲間たちにとっての「絶望」たらしめるのだ。では、どのようにして、ホスは「絶望」となったのだろうか?
Aデパートの地下に囚われていたホスが経験したこと、彼の身に起こったことを、順に振り返りながら書いていきたい。
※この記事は、”ノベル版23話”までのネタバレを含みます。
打ち砕かれた「人」としての理性
まず、ホスがジェハたちと出会うまでにどんな道程を辿ったのか振り返ってみたい。ホスは、ファンの妹と同じく、生きたままボムに拐われた人間だ。
「この二ヶ月間、俺がどんな酷い目に遭ったと思う?」
ボムは人間を簡単には殺さなかった。毎日のように人間を玩具のごとく弄び、けらけらと嘲笑いながら拷問を繰り返した。早くに死んだ人たちが羨ましいとさえ思った。
「このクソみてぇな体が...…全然くたばらねぇんだよ」
Aデパートの地下に幽閉されたホスは、他の人間たちと共に、2ヶ月間も激しい拷問を受け続けた。周囲の人々は数日も経たずに亡くなったという。しかし、ホスだけは死ななかった。「どんなに血を流しても、どんなに殴られても、生き延びた」のだ。
そんなホスに、次第にボムたちが興味を抱き始める。ボムたちは「彼がどこまで耐えられるか」と、ホスを一番奥の檻へ移すことを決めた。その檻にいたボムこそが、ジャフである。
ジャフは、いたずらに人間を殺して喰らうブルティのやり方に異を唱えたことで幽閉されていた。そんな状況下でも決して人を食おうとせず、息絶えようとしていたところに、ホスがやってきたのだ。
檻に入れられたときのことを、後にホスはこう話している。
「ボムはジャフに選択を迫った。俺を食うか、飢え死にするか。そしてまた妙なことを言い出した。なんだと思う?」
ボムたちは湖水にも選択を迫った。
「ジャフを食うか、飢え死にするか。俺に決めろってさ。俺がジャフを食おうとすれば、さすがのジャフも怒って俺を食っちまうだろうと思ったみたいだ」
ボムを食って生き延びるか、このまま飢え死にするか。
檻を移されてから食料をもらえなくなったホスは、日々増していく空腹に、次第にジャフの肉を食いたいという思いに駆られていく。本当はジャフを食ってでも生き延びたい。それでも「腹が減ったからといってボムを食べた瞬間、自分も獣になってしまいそう」という考えから、10日以上もの間、必死に耐え続けた。
ところが、ジャフも決してホスを食おうとしなかった。そして死の間際、ジャフはホスに自らの肉を引きちぎって与える。首を横に振って拒絶するホスの口に肉を押し込み、「食え」「俺を食って生きろ」「なんとしてでも生きてここを出るんだ」と繰り返し訴えたのだ。
やがてホスは、そのまま亡くなったジャフを一心不乱に食い始める。最後まで人間を食わず、ボムとしての誇りを保ったまま死んだジャフを、生き延びるために食らう獣のような自分。
ホスはそんな自分を常に俯瞰しながら、自分を救ってくれた存在を食うことで命を繋いだのだった。
優しすぎた人
そんなホスの牢獄での日々は、ジェハたちが突入してきたことで終わりを迎える。
激闘の末、ホスが目覚めたのは、病室のベッドの上だった。その耳に飛び込んできた「俺がボム岩の封印を解いた」という声に、ホスは思わずジェハに掴みかかる。「お前のせいで俺がどんな目に遭ったと思う?」——ホスがそう怒りをぶつけると、ジェハは涙を流して謝罪した。「ごめん」と。
湖水の胸に苛立ちがぐっと込み上げてきた。
それは弱々しい済河の声に、不覚にも許してやりたいと思ってしまった、自分に対する苛立ちだった。
繰り返される「ごめん」に、ホスの気持ちは揺れた。それでも、「誰でもいいから憎悪の対象がほしい」と、「そうでなければ本当に頭がおかしくなってしまう」と、ホスはジェハを責め続ける。
ホスの身体は、ジャフを食ったことで、ボムへと変化してしまっていた。ホスがジェハを責めるのは、2ヶ月にわたる理不尽な拷問の果てに、必死で繋いだ理性さえも打ち砕かれ、心身共に獣に成り果ててしまったという絶望感からだった。
しかし、ホスの理性は完全になくなったわけではなかった。彼はしぼむ気持ちを何度も奮い立たせてジェハを責めたが、次第に「自分が獣になったのはジェハのせいではない」という思いを抑えきれなくなり、最後には泣きながらジェハに謝罪し、一人でベッドに潜り込んでしまう。
では、ホスが獣になったのは誰のせいなのか?
ここにホスの持つ理性の残酷さがある。ホスはジャフを食って生き延びた。酷い拷問と飢えにさらされ、生きるために仕方なくしたことだという考え方もできるだろう。
しかし、ホスが食べたジャフは「人間を食わずに飢え死にしたボム」である。つまり、ジャフの存在こそが、ボムを食わずに最後まで人間のままでいられた可能性をホスへ突きつけるのだ。
「そうして俺はあいつの肉を食い、生き延びた。俺を救ってくれようとした奴を、一心不乱に食いちぎった。それでこのとおり...…」
獣になった。
その後、起きたことははっきり覚えていない。
もちろん、ホスは初めからジャフを食べようとしていたわけではないし、最初の一口はジャフによって強制されたものだった。けれども、そのあとの行為は、すべてホスの意思によって行われたものだ。
ホスは持ち前の理性によって、一連の行為と状況を俯瞰することができてしまった。これにより、彼は自分の「食事」を正当化することもできず、自らの身に起こった出来事を「悲しく残酷な不幸に過ぎない」と矮小化してしまう。
ジェハを憎めずにホスが泣き崩れたのは、彼の理性が、自分ばかりを守ろうとしない優しさのもとに発揮された結果だった。
絶望はホスの形をしている
ここまでで、ホスが非常に理性的なキャラクターであり、拷問に遭ってその理性を傷つけられようとも決して捨てることはできない、優しい人物であると振り返ってみた。ではホスは、ジェハたち6人にとってどのような存在なのだろう。
ジェハを責めたホスが「ごめん、お前のせいじゃないのに」と泣いてベッドに戻ったあと、セインたち5人は、「恐らくホスが起きている」と知りながらジェハを慰めた。
この時点ではまだ、ホスは「放っておけないから連れて帰ってきたやつ」以上でも以下でもなく、また明確に誰かから「チームに入らないか」と誘われたわけでもない。(ドグォン・ファン・ジュアン・セインは、当時の返答はさておき、一度はチーム加入の誘いを受けている)
つまり、ホスはまだ彼らの仲間ではないため、仲間であるジェハのケアを優先するのは当然のことなのである。では、ホスはいつ彼らの仲間になるのか?
Aデパートでの戦闘後、病室でホスに直接声をかけたのはたった一人、ファンだけだった。
「獣になったんだって? 良かったね。君は本当に強かった。獣でも何でも、自分の力で生き残れるなんてすごいことじゃないか。今この新市に、君のように強くありたいと願う人がどれだけいるか。僕だって……」
自分も湖水のように強かったら家族を救えただろうか、そんな思いがふと頭をよぎり、環はしばらく口をつぐんだ。
ボムを憎む人たち。「自分にも力があれば」と悔いる人たち。ホスの存在は、そんな彼らの憎しみや後悔を、どうしても刺激してしまう。
詳細は省くが、これ以降7人が正式にチームとなって行動し始める際にも、ホスへの明確な勧誘はない(ホスから一つ行動を起こす場面はある)。ホスはいつ彼らの仲間になれたのか。セインがホスの前世を幻視して、そうと打ち明けたときか。みんなで出前のご飯を囲んだときか。はっきりとはわからないが、ファンのこの言葉が、7人の間に流れる空気を大きく変えたのは確かだ。
なぜなら、ファンが「僕だって……」と言葉を切った時、同じことを考えた人が、あの場にいたはずだからだ。「自分もホスのように強ければ」と。しかし、ホスの得た強さは、ハンターのそれではなく、ボムのものであった。武器もなく、その身ひとつでブルティと互角に戦ってみせたあの力。ホスは、彼らに力への渇望を自覚させながら、同時に「これを欲しがってはならない」と戒めさせるから、彼らの「絶望」たり得るのだ。
どんなに傷つけられても、誰よりも強い理性をもって生き延びたホス。その理性は、ホス自身を傷つけ、今度はジェハたちに「理性」を強制する鎖となった。彼自身がその均衡を壊しそうになりながらも、最後の砦として。
ホスの身に起こったことは、ある可能性の末路でしかなく、選択肢ではない。誰かがそのことを忘れてしまったとき、ホスは本当の意味で、ジェハたちを破滅の道へと進めてしまうだろう。
まるで彼自身が時限爆弾のように、ジェハたちと共にいるホス。彼を見つけてしまうのは、ボムたちか、アゲハ蝶隊か、それとも市民の誰かか。ようやく出会うことのできた7人が道を踏み外してしまわぬよう、そして誰よりホスがこれ以上傷つかぬよう、願うばかりだ。