土曜の夜はのんびりと。法のUI② 労働基準監督行政から考える
こんばんは。lotterです。
法のUIを考える第2回です。
労働基準監督行政から労働法のUIを考えていきたいと思います。
こう書くといかついですが、言いたいことはシンプルで、労働基準監督署は意外と優しいということです。
違反の申告があれば調査に来たりしますし、申告がなくても定期の監督に当たったりしますし、なんか指導もしてきます。
全然厳しいじゃん!と思われるかもしれませんが、大方の場合、最初の指導でアウトということはありません。まずは自主的な改善を促し、それでも改善されなければその上の是正勧告という流れです。
改善の方法については相談もできますし、最初から完璧を求められるわけでもありません。もちろん、内容にもよりますし、労災関連なんかは厳しいですが、割増賃金や労働時間管理なんかに関してはむしろ優しいと思っています。未払分全額支払え!と言われることはほぼない。これは、会社や業界の実情を考慮しているからです。
では、何と比べて優しいか。それは、
トラブルになった時の労働者
です。トラブルになって自分の法的権利を主張する労働者には遠慮はありません。最大の主張をしてくるはずです。会社や業界の実情を考慮してくれるなんてこともあるはずなく、そこが弱点であればむしろ徹底的に突いてきます。もちろん、その態度が悪いわけではなく、法律的には正しいですし、そこで負けるのであれば管理不足と受け入れざるを得ません。
その結果、割増賃金に関しては一人に対して千数百万円(+利息)の支払いになった裁判例もあります。それにかけた弁護士費用等の訴訟コストも加味すれば、とんでもない損失です。
こんな感じで、労働基準監督行政と裁判とでは、労働者の権利実現という側面から見た時に大きな違いがあります。これは、行政の目的は企業の違反を正すことで、労働者の権利を実現することはその副次的な効果だからです。
この違いは、自分の権利を実現したいと考える労働者にとっても大きな違いです。権利実現のためにどの手段をとるかで大きく変わることを意味するからです。
ここでは労働基準監督署の指導と裁判だけを紹介しましたが、他にもいろいろな手段があって、それぞれに違いがあります。
それはそれでいいことだと言えるのでしょう。たくさんの手段があるがゆえに複雑になっていますが、労働基準監督署や労働局には相談窓口があるため、かなりの部分について自分で進めていけるでしょう。
しかし。それだけでいいのでしょうか?
これはあくまでトラブルになったときの話です。監督行政も、指導されるということはなんらかの違反・もしくは不適当なことがあるのでしょう。結局はその局面なのです。何かが起こったあと。
何かが起きる前のことはどうすればいいのでしょうか。昔は労働組合が大きな役割を果たしていたと思います。使用者と労働組合との交渉や連絡によって解決されてきたし、仮に違反や不適当な事項だったとしても、それを労使で協議しながら乗り越えてきた面があるのでしょう。なぜ「でしょう」かというと、わたしもそういう企業で働いたことはないし、これは今の多くの企業の実態からは外れていると思われるからです。
その結果、企業の違反・不当はダイレクトにトラブルに繋がり、それを抑えるときにも対象の一人との個人的な対処になる。そうなると、それが企業全体の改善にはならず、また同じようなことが繰り返されることにもなる。
今の労働法は労働者の権利や価値観の多様化を受けて、どんどんと複雑になってきています。それを全て知り、一片の間違いもなく進んでいくことはかなり難しく、自社の理想の人的資源管理を体現するとなればなおさらです。それなのに労使の協議は当てにできないとなれば、法はただそこにあるだけという事態になりかねません。
これを打破するために考えられる方法は3つあると思っています。労働法規を解釈する際のスタンスですね。
①労働組合以外の形式でも構わないから
労使協議を活発化させる
②企業が自律する
③労働者が企業を監督する
どれも難しいですが、この後も考えていきたいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
では。また。