秋が来れば…(その2)。
さて。そんなこんなで我が家の一員となったRちゃん。そうと決まれば、とにかく命名である。
竹藪に置き去りにされたか、母猫に去られたか、その真相は定かではないけれど、いずれにせよ、生後たった1ヶ月ちょいで独りぼっちになったRちゃん。それは寂しい始まりだったけど、これからはちがうよ。私たちがずっと一緒にいるのだから!とにかく元気な女の子でいてほしい。
何がいいかなぁなんて言いながら、薄いブルーの瞳を見ていたら、本家Rちゃんがこう言った。「ロッタちゃん。ロッタちゃんでどう?」
妹は直観でその名を口にしたようだが、ちょうど私の脳内でも同じ名前がリストアップされていたので驚いた。元気で、マイペースで、だけど芯のしっかりある女の子。私はリンドグレーンの名作を思い起こしていた。母も「いいやない」というし、「ろったちゃん♪」とチャミは復唱しているし、かくして満場一致でRちゃんは「ロッタちゃん」に改名された。のちに原作とおりの「一筋縄ではゆかない女の子」に成長なさるとは夢にも思わず、私たちは、満面の笑みで、人生初の「猫族の家族」を迎え入れた。
ロッタは避妊手術を受けるその日まで、原作ロッタとは真逆の「おっとりした、控えめでキュートな女の子」だった。どうやら猫にしてはどんくさいらしく、噂に聞いていた「カーテンがボロキレ」「いないと思ったら冷蔵庫の上で発見」「あちこち爪とぎしてボロボロ」etc...の猫あるある現象には見舞われなかった。むしろ、うっかりどこかに乗せられたら降りてくるのにだいぶん悩んでいる、角を曲がり際に足を滑らせる、爪とぎには秒で飽きる、猫じゃらしは座って眺めているetc...、思わずププッと噴き出すような姿が散見された。病院では「爪切りしてる間、ロッタちゃん寝てるんですぅ~採血も一発でしたぁ~♪か~わいい~♪」と看護師さんに絶賛され、診察台にも静かにのっかる手のかからない猫として認識されていた。チャミが遊ぶ隣にチョコンと座り、お絵かきをずっと眺めていたり、ビー玉で一緒に遊んだり。チャミが転がればその背中に乗っていたり、彼がインフルで寝込んだ時は、フーフーと眠る横で、じっとその寝顔を見ていたりした。やだー、子猫と子どもの絆~♪なんて、私はニマニマしていたが…。
母のアレルギーは完全に消えたわけではなく、ときおり、それが酷くなることもまだあった。なので、ロッタは母の寝室がある2階にはもちろん上げず、入られる部屋を限り、夜はケージ内で眠っていた。夜になれば母と私に「おやすみ」をして、こんもり天幕状態にしたケージの寝床で彼女は眠っていた。ところが。ある日を境に、ロッタは絶対にしなかった粗相攻撃で、自己主張を始めた。「ここから、出して!」。猫は夜行性とわかっているけど、まだ子猫だし、何かあったら怖いし(あなたはどんくさく、あちこちに挟まるのだから!)、引き戸をあけて「立入禁止部屋」にゆかれても困るのよ、人間族の勝手とはわかっているけど、ひとつ承知してくれやしないかね?
そんな願いが届くワケもなく。ロッタは「しっかりと芯のある女の子」として「わたしはもう子猫ではありませんし、危険を回避できるくらいには成長しました。とにかく、夜もココから出せ」と主張をつづけた。ほら御覧、名は体を表すとは、よくいったものだよ、ほんとにそうだね!などと呑気に言ってもいられなくなり、ついに、ケージは撤去された。抗議活動による洗濯過多でボロボロになった寝床に別れを告げ、下僕たちがイソイソ用意した「新しいモコモコハウス」の中に丸まってコチラを眺めるその姿から「子猫時代」は確かに去ろうとしていた。そして、ロッタは避妊手術を受けた。
思えば、彼女の物分かりの良さ(お手、お替り、ちょうだい!のチュッ😽←それいるのか…すら、ためしに母が教えたら何なく受け入れた)に、私は油断しすぎていた。あのね、(略して)ロッちゃんは今日から病院にお泊りするよ、ごめんね、手術をしなきゃいけないのよ、でも明日、迎えにくるから、がんばってね!そう声をかけて、私はいつもの獣医さんに彼女を託した。キャリーの向こうで、彼女は「そうなの?」と、いつもみたいに、きょとんとしているように、私は、みてしまった。
どうしてもっと「ごめんね、怖い思いするけど、絶対に絶対に、私が迎えに来るから、一晩だけ、ここで頑張ってね。一緒にいたいけど、それはできないことになっているの。でも、ずっとロッタのことお祈りしているし、朝いちばんに迎えにくるから、どうか踏ん張ってね。私もみんなも、ロッちゃんを待ってるよ!」と、ちゃんと声にだして言わなかったのだろう。
翌朝、病院からOKが出てロッタを迎えた瞬間、私は自分の大失敗に気づかされた。もちろん、術後の痛みと身体の異変に、彼女がたえている事実もある。だけど、その瞳の奥から「なんで?」という強い問いが、射るように私に飛んできた。なんで一人にしたの、なんでちゃんと教えてくれなかったの?
ごめんなさい。手術も経過も順調ですよ!と言われたけど、私は自分の愚かさを恥じる気持ちで一杯だった。そして、渡された経過報告を読んで、なおさら落ち込んだ。「ロッタちゃん、不安なようでウロウロと落ち着かず、眠れない様子でしたが、無事に手術には応じてくれました」「術後、少しご飯を食べましたが、大きな声で一晩中ないていました。とても疲れていると思うので、おうちでゆっくりさせてあげてください」。
思えば、ちょっと声を聴かせて?と家族がお願いするくらい、ロッタは無駄鳴きしない子だった。彼女が声をあげる時は、よほど自分の主張がある時だった。あのケージの時もそうだけど、家族に「どうしたの?」と尋ねてくれている、そんな風に思える時に、彼女は「にゃ??」と短く声をあげていた。私がある出来事に声を上げて泣いた時、彼女は部屋の隅から飛んできて、私の周りをウロウロしたあと「にゃっ!!」と大きめに鳴いてくれた。それなのに。その彼女が、一晩中なき続けたことが、私の心を打ちのめした。動物として当然の反応でしょ。そう割り切ってしまうことも、もちろんできるし、本能として、それで正解なのだろう。でも、ロッタは私の家族なのだ。そして、私はロッタの家族なのだ。
そんなにかけがえなく思っている相手に、私はもっとも大切なことを軽く済ませてしまったのだ。もっと時間をかけて、もっと丁寧に、物分かりのよいロッタだからこそ、きちんとこれから起きること、そして、決してあなたを一人にはしないことを、事前に「話して」おくべきだった。
カラーをつけて、静かにうつむいて座っているロッタをキャリーごと抱きしめて、私はまず、心から「ごめんね。ごめんね。一緒に帰ろう。みんな待ってるおうちに帰ろう」と声にした。ロッタは身じろぎもせず、それを聴いていた。
帰宅後、心配して玄関で待っていた母の手に、ロッタを渡した。おかえり、おかえり、よう我慢した、がんばったなぁ😢と母はそっと彼女を受け取り、抱っこして家に入っていった。肩越しに見えたロッタの顔が、ふっと緩んだ気がして、私は泣きたい気持ちだった。部屋に入って、なれないカラーにとまどいながら歩いたロッタは、いつもの定位置、庭へつづく窓のあたりで落ち着いた。とにかく、注意事項を気にしながら様子をみまもった。しずかなしずかな時間が、家族の間に流れていった。
その夜。カラーが邪魔でハウスに入れないロッタに、もっと広い寝床を用意した。最終的に帝王切開でチャミを産んだ妹は「かわいそうに・・。じっと我慢してるんやなぁ」と、経験に重ねてしみじみと呟いて見守っていた。「人間なら、痛いですぅ!とナースコールして当然の頃やわ…」経験者の言葉は重く、真実味にあふれていた。見守ることの辛さ。せめてそれくらいは引き受けなきゃね…そう思いながら、おのおのがロッタのことだけを考えて過ごす夜だった。夜も更け。私はどうしても、彼女の傍を離れられず、寝床にようやく横になったロッタに「ここで寝ていい?」と尋ねた。邪魔かもしれへんけど、今夜一緒にいていい?
もちろん返事はないだろう。そう思ったとき「…ニャ」と空鳴きほどの声で、ロッタは答えた。そうして私は、少し離れて我が寝床もつくり、うす暗い部屋の中、静かに目を閉じているロッタの顔を眺めながら過ごした。やがてウトウトしてしまい、どれくらい経っただろう。小さな鼻息で私は目を覚ました。ロッタは横たわったまま目をあけて、私を見ていた。異変?枕元の「術後の注意事項」を読み返しながら、私はロッタを観察した。大丈夫、何か急変したのではないみたい。だけど…「いたい?」私は、その目を覗いて小さく聞いた。ロッタはじっと、それを見返し、瞳をシパシパさせていた。痛いよね、そりゃ、痛いよね。「ロッちゃん、もうちょっと近づいていい?」シパシパ。私は彼女の真横に枕を引き寄せ、向き合って横になった。邪魔っけなカラーが、ときどき、彼女の小さな吐息で曇っている。そっと背中を撫でながら「痛いね。ごめんね。こわいね、ごめんね」と呟いたら、私の鼻先に「フゥーン」と大きな鼻息が届いた。
人間の言葉がわからない、伝わらないんじゃない。人間がわからないだけじゃん。ちゃんと話してくれている、伝えてくれている。わかろうとしてくれている。自分の測りが、言葉が届かないもどかしさは、彼女たちだって同じだから。人間族が主権を主張する世界に生きて、家猫として生きて、もっと大変なのはロッタだったのにね。「ごめんねぇ。ありがとうねぇ」、痛くて辛くて怖い思いの先に彼女がみせてくれていることを、私は自分の魂に刻み込んだ。「ロッちゃん、また一人にされたかと思ったよなぁ。ごめんね、辛いおもいさせたね」、「邪魔になったら、シャーてしていいよ。ロッちゃん、ここにいるよ」と声をかけたら、ふぅとロッタは小さなため息をついた。そして、前足に重ねた私の手を払いのけることはなかった。それから、ときどき小さな吐息を重ねながら、いつしかロッタは私の腹付近で静かに眠りについていた。あんなに近くで彼女が長時間ねむってくれたのは、後にも先にも、あの夜いちどきりだった。
寝不足と改心で3のような目で私が目覚める姿を、ロッタは座ってじっと見降ろしていた。それが翌朝すぐに見た光景だ。円盤みたいなカラーが、なんだか仏様の後光のようよ…とヨロヨロ起き上がった私を、ブルーの瞳がまっすぐに捉えた。「私は○○ロッタよ!よくって?」まるでそう言っているかのような強い光。ポヤポヤしている子猫のロッタちゃんが、凛としたロッタさんに変わった瞬間だった。こうして、ロッタは「賢いけれど一筋縄ではゆかない女の子」としての日々を堂々と歩み始めた。術後はホルモンバランスが変化し、性格の変わる子もいると聞いていたが、どうですか、うちの子!教科書に載せていただけるくらいの顕著な変化を遂げましたけど、どうですか?と獣医さんに迫れるくらいの猫殿として、彼女は以降6年間を私たちと暮らしてくれた。あれほど「うふふ♪」な関係だったチャミのことは、あからさまに「私より下位」と設定したらしく「まったく、これだから男は困るのよ!いい?あたくしの言うことはよく聞きなさい!」と言わんがばかりの態度に激変した。だけど、ドンくさいところはそのまんまで、それでも、ほかの家族の悲しみや苦しみには、黙って寄り添ってくれていた。(たとえばチャミが叱られたとき、お稽古がうまくゆかずに涙したとき、彼女はさりげなく近づいてチャミを見守っていた)。誰にも話せぬ胸のうちを、日だまりで居眠る彼女にこぼしたことも、幾度もある。そんな時、鼻提灯を出す勢いで眠っていても、彼女はチラリと薄目をあけて聞いてくれた。母に抱っこされてお外を眺めにゆく姿、妹とはまるで「ダチ」のように遊んでいる姿、庭が好きで、リードをつけて、夏には傘で日陰を作ってもらって、長い間その下から眺めていた姿、家族にベタベタされたくないけど、ときどき、ぴったり傍にくる姿、ヘソ天の呑気な寝姿、煮干しと鰹節の香りには敏感だった姿、クリーニング屋さんのおじさんと、宅急便の一人のお兄さんのことだけでは、男子としても好きだった姿(笑)、Yちゃんのことは一目で気に入り、彼女が現れるとかならず出迎え見送った姿、セミに圧をかけていた姿、自分の名前は「ロッタ、ロッちゃん、ロチ子、その他多数」だと知っているから、呼ばれたら必ず振り向いていた姿。世界はロッタであふれていて、それらのすべてが、私の愛しさ、幸せの全てだった。
もっともっと、長く一緒にいられると思っていた。けれど、ある秋、彼女が4日間の失踪をして、戻ってきた時には異変は現れていた。多飲多尿。脱走前には、そこまで見られなかったのに、身を削る思いで待ち続けたあとに、私たちは明らかにおかしい彼女の様子を目の当たりにさせられたのだ。
いつもの病院で検査を受けると、腎機能が悪化していると判明した。4日間、飲まず食わずで過ごしたことも症状を加速させただろうと。慢性腎不全だと思われるけれど、詳しい検査をしてみないと確定はできない。とにかく、輸液にしばらく通い、療法食へ切り替えをしてほしいとお話しがあった。ところが、ロッタはあの手術以降、天使♪の称号をさっさと返上し「化け猫組合員」に見事に転じていた。処置室の奥から響く「んぎゃーーーーーーーーーーっす!!」という叫び声を聴けば、採血できたこと自体が奇跡だと、私にもよくわかる。それでも3日間、私とロッタは輸液に通ったが、日ごとに悪化するロッタの拒否反応に、先生は「これ以上の検査や輸液をすることが、逆にロッタちゃんのストレスになり悪化を招く。今は体重も減っていないので、しばらくは療法食を試しながら、様子をみては?」と診断された。
毎度なき叫ぶロッタに、私も心を痛めていたので、とにかく、その日は輸液もうけず、私たちは帰宅した。だけど、果たしてロッタの身体に何が起きているのか、この先どうなってゆくのか?本当に様子見してよいものなのか?ムクムクと不安が沸き上がる。そのことを、ロッタを拾った日に助けて下さった猫プロ先輩に相談すると・・・「だまされたとおもって、ここへ行っておいで。それから考えたらええわ」と、とある病院を紹介された。
それが「熊先生との出会い」だった。はい、またつづく~(笑)
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