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黄昏を待ちながら。

ある資格をとるために、デイケアセンターに1年間、通わせていただいた時期があった。たった1年だったけど、あの時間を幾度も思い出す。

そこは、女性専用デイケアで、こじんまりとしているけれど、それが何ともよい雰囲気の空間だった。いろんな理由をお持ちだけれど、そこには「ここに来たら、女学校きてるみたいやろ」と笑うご婦人方が集っておられた。

私の役割は、介護素人の私でも出来るお手伝いをしながら、過ごせる時間のすべてを使って、ご婦人方のお話をうかがうことだった。歌うことが大好きな方、ゲームが大好きな方、手芸や手作業をコツコツ楽しむ方、ここでしか会わない友達と語り合うのが心待ちな方、とにかく手作りお昼ご飯(これがまた絶品だった!)が楽しみな方、何かするより静かにそこで過ごしたい方。とにかく、みなさんそれぞれに、そこでの半日を過ごしておられた。それぞれの醸し出す空気の中をフワフワと、私はいつも漂わせていただいた。

そのうち、ご婦人方は、謎のクラゲみたいな私を認識してくださり、やぁ、来たんやな!とか、お疲れさんー!(柴山の合間時間にもお邪魔していたから)とか、いつもあたたかく迎えて下さり、実にさまざまなお話を聞かせて下さった。

この期に及んでやで?ここへ来てまであんた、じいさんと一緒やったら、気休めにも気晴らしにもならんがな!」快活なAさんは、最初の頃にご家族関係をさり気なく尋ねた私に、勢いよくそう答えて下さった。田舎の豪農に嫁いで、舅姑のみならず、一族のすべてをお世話してきたAさんは、ご自身の来し方を毎度ほんとうに豊かに語り聴かせて下さった。回が重なるごとに、その内容も深く深くなってゆき、ああ、本当に私だけがこの時間を共有させていただいていて良いのだろうか、今、私はとても大切なことを、この耳に、記憶に、心に刻み込んでいるのだ!と、ひしひしと感じた。Aさんのみならず、他のすべてのご婦人方との時間も同じこと。その重さが私を苦しめることは一切なかったが、まるで誰かの愛し子をこの手に委ねられたような気がして、帰宅後は、せめて一言も、一瞬も書き漏らすまい!と、提出する逐語録につぶさに記録を重ねていった。ご婦人方との時間を文字にする作業は、私にとり、単なる実習記録ではなかった。交差した互いの時間、そこに在った2人。交わした言葉のやり取りは、大きなことを言えば、2人の命の記録そのものだと感じていた。

家族構成や成育歴、来し方も実にさまざま。たくさんの日々と偶然が重なって、今、同じ空間に集うご婦人方の「いま」も、もちろんさまざま。持病のある方、アチコチ痛む方、ご家族との関係が不安な方、認知症がはじまった方。日を追うごとに、クラゲ女を傍らにして、彼女たちは言葉に想いを載せて聴かせてくださるようになる。戦時中の辛い記憶、目と心に焼き付いて消えないあの日々を…たった一人、親元を遠く離れて就職した若き日々を…助けて欲しいとも言えずに堪え続けた嫁ぎ先での日々を…誰かのためと譲ってゆずって辿った日々を…愛するものを理不尽に奪われて、それでも歩き続けた日々を…老いが色濃くなる中を、思うようにゆかなくなった我が身で生きる日々を…そして、忘れたくないのに、いろんなことが零れ落ちてゆく切ない日々を…。

せめて遮らず、ジャッジせず、溢れたり、こぼれたり、静寂の向こうからようやく顔をだしたりする、そんな言葉たちを、私はひたすら、全身を掌にした気分で受けとめつづけた。私は目の前の彼女と人生を共にしてきた人間ではない。私が見ているのは、知るのは、彼女のほんの一部分でしかない。いま、ココに現れているものに触れているのは、私が特別だからでなく、それもまた、奇跡のような偶然でしかない。ココで聴くことを世界の中心に据えて、それがすべて!と現実を視てはならないのだ。そのことが頭から離れないからこそ、掌に降り積もる物語を、私の勝手に捻じ曲げないように、形を崩してしまわぬように。私はそれらを我が心の木箱にそっと差し入れて、しっかり蓋をして家路についた。そのどれもこれもが、私にとっては忘れえない物語であり、今でもお一人お一人の名前と共に沢山の物語を鮮明に思い出す。

ほんの1年の間にも認知症の症状が進んでゆかれたBさんという方と、私はよく共に過ごした。とてもおっとりした控えめなご婦人で、3度目にご一緒したとき、私の耳元で「あのね…わたし、この音、大きすぎて好きじゃないの、ほんとはね」と困った顔で打ち明けて下さった。ちょうどその時、センターでは昼下がりのカラオケタイムが始まっており、♪歌うの大好き♪な皆さんは、絶好調でその時間を楽しんでおられた。あら!そうでしたか!と、小声で返した私にウンウン頷きながら「内緒ね。秘密よ、あなたと私の」と下がり眉のまんまで微笑まれた姿があまりにかわいらしくて、私は思わず「あっちの隅にでも、いきましょうか?」と、部屋の端っこのソファを指さした。「それもいいわね」とおっとり立ち上がったBさんと手を繋いで移動して、どちらともなく顔を見合わせた。

「はじめまして。わたしはBです」。ニコニコ微笑んだまま、Bさんは丁寧にご挨拶下さった。そうか、はじめましてなんだな。心の声を脇におき、私も名札を見せながら「はじめまして。私はナンコです」。Bさんは、そう、ナンコさんですか、その色とっても好きよ、と、まずは私の口紅をほめて下さった。季節は師走。私たち2人の前には、いろんな色に変色するクリスマスツリーの飾りがあった。

「きれいねぇ」とBさんが、それを眺めてしみじみとおっしゃる。きれいですねぇ、色が変わっていきますね、と私が答える。そんなやり取りを数回繰り返したあと、Bさんは「私の小さい頃には、こんなんなかったよ」と語り始めた。お父さまは身体が弱くて出征できなかったこと。そのことで、家族が肩身の狭い思いもしたこと。だけど、Bさんはお父さまが大好きだったから、本当は嬉しかったこと。Bさんにはしっかり者のお兄さまがいて、その方がお父さまの代わりに、お母さまを助けてよく働いてくれたこと。静かに、でもとめどなく、Bさんは幼い頃の思い出を話しつづけた。いつしか日は暮れ始め、薄い橙色のインクを流したような夕焼けが窓の向こうに広がっていた。それを眺めながら語りつづけていたBさんは、ふと黙ってしまった。横顔を眺めながら、私も黙って座りつづけた。それから、Bさんの視線を追って、暮れなずむ空を一緒に見ていたら、やがて「…てきた…」、小さな小さな声がまた響いた。ん?言葉にならぬ声で相槌すると、Bさんは今度はハッキリと、こうおっしゃった。

「私はね、その約束だけは、ずーっと守ってきた」。その約束?すぐに飛びつきそうになる私に一息つかせて、それから「その約束、ですか?」とたずねたら。

Bさんは、私の顔をじっと見ながら、涙をツツーッと流しながら、こんな言葉を届けてくださった。「私のお父ちゃんね、体が弱くて、寝たきりやったの。でも、私のことかわいがってくれてね。貧しくて、大変やけど、Bよ、人を悪う言うたらアカン、正直に、お天道さんに恥ずかしいようなことしたらアカンて、お父ちゃんにいわれて、せやなぁって、それだけは守ってきたの」。ポロポロ、涙。「それだけは」それだけは…「それだけは、忘れたことないのん!」。気付けばBさんは、私の膝に両手を載せて、もういちど「それだけは…」と呟いた。「…忘れたこと、ないのんですね」私はその両手を、私の両手で包みながら、思い切って、そう続けてみた。Bさんは、うん、うんと頷きながら、包まれた両手を上下にゆっくりと揺らしておられた。うん、うんと私も頷いていたら、Bさんはまた、ニコーっと微笑まれて「私の小さい頃には、こんなんなかったよ」と、目の前のツリーを指さされた。みてみて、Bさん、このツリーの色、お空とおんなじ!何だか胸が一杯だった私が思わず窓の外を示したら、Bさんは「うわー、ほんまやぁー、綺麗やねぇーーー」と、少女のような笑顔で声をあげられた。私は、午前中のレクを思い出していた。「もう最近、なんにもわからへんの。何か、よくわからへんのよ」そういって、カードゲームに戸惑われていたBさん。他のご婦人方に、口々に「こないしよか?」と提案されたり、「私もおんなじやでー!」と励まされながらも、困った笑顔でカードの角をつまんでおられた。「なんもかんも、忘れてしまうんよねぇ…」隣のテーブルで、別のご婦人方とのゲームに参加していた私の耳には、Bさんのそんな呟きが届いていた。

あの呟きは、あれからずっとあなたの中にクルクルしていて、今、こうして現れてくれたんだね。あなたと私が交差している、このほんのわずかな時間の中へ。その時、右手と左手を繋いだまんま、2人が座っているその前を、件のAさんが通りがかった。「仲良しでんな」笑いながら話しかけて下さったから、「よかったら、どうぞ!お空がとってもきれいなんです」とお誘いしたら、Aさんも「いやーーーほんまやわーーー」と声を上げながら、私の隣へ腰かけられた。AさんとBさん、両手に華やな😊とほくそ笑む私の左耳に、Aさんの言葉が舞い降りる。

「じんせーの、たそがれにおるんやな」。人生の黄昏におるんやな。

黙って見返った私に、やわらかい笑みを送りながら、Aさんは続けられた。「さぁ、いついくやろか」

くだらない言葉よ、ココを去れ!私は言葉を追い払って、Aさんの胸に飛び込むような心持ちで「さぁ、いついくやろか」。まっすぐ見つめて、そう繰り返した。Aさんは、やっぱりまっすぐ私を見つめて、その後、私の左手をしっかり握って下さった。右隣では、Bさんが「すごい色やねぇ、きれいやわぁ」とうっとり空を眺めておられる。2人の掌をぎゅっと握り直して、私は胸の中で繰り返した。「人生の黄昏におるんやな」。

「本当に綺麗。本当に美しい。本当に、ここにあってくれてよかった。私、いま、そうとしか言えません」少しずつ薄墨色を混ぜてきた空を見たまま、そう言ったら。うん、と静かな声が左側から返ってきた。右側からは、少女のような顔が私を覗いて「綺麗よねぇー!」と笑ってくれた。

黄昏時は美しい。だけど、「たそかれ」の暗さも連れてくる。暗さの中に、ポツンといたら、人はみな、きっと、わからなくなってしまう。オウチに駆けて帰りたい。誰かが待っている、灯りをともして迎えてくれる、私もみんなも、わたしをわかっていられるその場所へ。時を経て、人生の黄昏時に着いた頃。わからないのはやっぱり怖い。その心細さ、その寂しさ。それでも、そこを生きてゆくこと。それが私たちの、命の旅路。

できることが、たとえ少なくても、止めきれなくても。わからなくなっていく人と、手を繋いでいられるように。黄昏に灯りを備えるために。たそかれの暗さを知るために、伝えるために。私は今、知ろうと決めて、新しい道のりを歩き出した。たそかれの不安を見つめ続けておられる方々の門戸を叩いて。「無知の知」を私の礎において。

https://www.brain-manager.jp/aboutus

えっちら学ぶ、気ままなクラゲ・スナフキンもどき女の胸には、いつもあの日が立ち上がる。3人で手を繋いで見つめた、あの夕焼け空。両側にあった2つの温もり。どんな暗闇にあっても、それぞれの光は変わらずそこにあること。女よ、傍らにあることを許されるのならば、その光の元では、誇りや尊厳が、どんな時にも失われずに燃えていることを見失わないでいるのだ。迷いそうになると、しばらく待ってみよう。あの時間がやってくるのを。



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