主人公が好きになれない漫画 東京喰種【漫画レビュー】

 友人と酒を飲む際の肴にする話題として漫画の話は重宝していて、それが結構評判がよかったので記事にしてみようかということで漫画レビューを始めることにしました。
 今回のレビューは東京喰種です、少年誌での連載ではなかったので誰でも知ってるというほどではありませんが、連載時から人気はあったし映画化もされてかなりの知名度があるのではないでしょうか。
 作者の石田スイ先生はハンターハンターのスピンオフ漫画でヒソカを描くというとんでもないことを依頼されるほどの実力者であり、漫画のクオリティは非常に高いものです。

 だからこそと言いますか、私は非常に楽しみに連載を追っていましたので、その実力のわりに主人公のカネキ君のクオリティがイマイチなことが気になってしまいました。
 今回のレビューはそのことについての考察などを交えてやっていこうかと思います。


主人公の役割を降ろされたカネキ君

 魅力的なキャラクターが数多く登場する東京喰種の中で、みなさんの好きなキャラクターは誰でしょうか?
 東京喰種は誰かに人気が集中していなくて、満遍なく多くのキャラクターが好かれているような印象を個人的に持っています。
 ただ私の聞く範囲ではカネキ君の人気はやっぱりあんまりなくて、私もカネキ君の事はあまり好きではありません。
 その理由は端的に言って作中でカネキ君のことってあんまり描かれていないからなんですよね、主人公なのに。
 この漫画はすごく好きですし、レビューを書いて語りたい気持ちを持っていますからカネキ君には魅力あふれる登場人物の中でも一番であって欲しかったのにそのようにはなりませんでした。
 以下の項目で主人公について描かれていなかった部分を具体的に示しつつ何故そうなったのかを考えていきたいと思います。

あらすじなどの振り返り

 まずは東京喰種がどのようなはなしだったかを簡単に振り返っていきましょう。
 大雑把にやるので本作を読んでいない方には分からないはずですから未読の方や気になる方はぜひ手に取って読んでみてください。
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↓スピンオフの読み切り作品であるこちらもオススメ

 とある事故によりカネキ君は喰種(グール)という種族の臓器を体に移植されて半人間半喰種という特殊な体質になってしまうというところから物語が始まります。
 グールとは、姿形は人間だけど人肉しかエネルギー源にできない生き物で、人間より強靭な肉体を持ち、体から出したり消したりできる赫子(カグネ)という触手みたいな攻撃器官を持っています。
 グールはカグネを出さなければ人間と見分けがつかないので人間社会に紛れており密かに人を襲って食べている、そういう種族と同じ性質を持ってしまったカネキ君の混乱を描いているのが序盤。

 そこから他の喰種との関りを持ち、主に戦闘力によって強引に統治される喰種の世界に翻弄されながらカネキ君が戦いに身を投じていくところまでが誰かにこの漫画を勧めた際に最低限読んで欲しい導入部というか、最初の盛り上がりがある部分ですね。
 ここまではカネキ君をディスる私でもなんの引っかかりも無く非常に楽しんで読めていました。

 しかし、更に進んである程度の戦闘力を持ったカネキ君が自分の意思を持って(持ったようなふりをして?)色々と動き始めたあたりから行動に妥当性が無くなっていきます。
 アオギリの樹編が終り、なんかいきなりカネキ君が超強い奴になったあたりで元々世話になっていたコミュニティ(あんていく)を離れることを決断します。
 普通ならあんていくには協力的な人ばかりがいるのだから可能な限り頼るべきであるところですが、恐らく物語を進める上での事情というか、謎に包まれている部分の解明をするフェーズに移るために増え過ぎた登場人物の登場機会を減らす必要があったからなんじゃないかなぁという印象です。
 人が多すぎて全然話が進まなくなると中だるみしますからね、カネキ君の決断には疑問がありますが力を持てば使いたくなるのが人間ですからメタ的な理由を抜きにしても不自然な展開とは言えません。
 最初の山場を越えたばかりなのにそこで一休みしなかったので逆に良かったとすら思えます。
 カネキ君がある程度謎の解明を終えた後にあんていくに戻る決断もしますし、構成上の都合でこうしたことに疑問を差し挟むのは憚られます。
 面白い話を書くために都合のいいことを起こしていくのは当然の事、それによって表現されたものがしょうもない場合にだけご都合主義と言いたい。

 さて問題はここから、戻ろうとした矢先にそのコミュニティがグールで構成されていることが人間の対グール組織に知られてしまいコミュニティは崩壊することになりました。
 年長者の計らいで若年者を守るために数人が命を捨てて戦うことを決めますが、カネキ君はあろうことかその計らいを無碍にして自身も戦いに身を投じます。
 あんていくを離れる判断は妥当ではなかったという反省があったのか無かったのか明確に書かれてはいませんが恐らくはそう考えているように思います。
 その上で最後にもう一回だけ自分の力を試したくなったというようなことが書かれていました。
 そして結局敗北しあんていくのメンバーは離散、カネキ君はというとなんと生存しており記憶喪失となって敵側の対喰種組織の構成員として活動することになっていた!
 というところで東京喰種の物語は終わり、続編のRe:へ引き継がれることになります。
 続編というか第二部って感じですね。

Re:ではカネキ君を分割したものが主人公の代役的に登場する

 Re:は対グール組織の構成員となったカネキ君が指導者として、クインクスと呼ばれる能力を身に付けた後輩とグール捜査官として活動するところから始まります。
 クインクスとは人造半喰種もどきと言える存在で能力的にはカネキ君の劣化版、そしてその人物像はカネキ君に盛り込まれていた要素を4人のメンバーにそれぞれ振り分けたようなものになっていました。
 記憶を失ったカネキ君はハイセという仮名を与えられて一応登場してはいますが、結構別人な感じになっているので記憶を取り戻すまではクインクスメンバー達を仮の主人公として見てもらおうとしているように感じました。

 クインクスメンバーを一人ずつ見ていきましょう、まずは最もカネキ君要素が少ないクインクスメンバーのシラズ君。
 彼は真逆とは言いませんが性格的にカネキ君とは全く異なる人物で、一言で言えば誰もが受け入れられるスタンダードな主人公タイプの人間です。
 頭は悪いが素直、前向きに努力し葛藤を抱えながら戦い英雄的な最期を迎えて退場していきます。
 すごく分かりやすく主人公の役割を行っていました。

 二人目はサイコちゃん。
 彼女は自分の意志とは無関係に喰種捜査官の道に進まされてしまったものの、普段の生活は自分の趣味に没頭していて全く捜査活動を行っていませんでした。
 徐々に捜査を行うようになっていくものの、その本質は積極的に社会との関りを持つつもりがなく自分の世界に閉じこもっているのが心地よいと感じている人間であり、常に読書をして過ごしていたカネキ君と重なるところがあります。
 やる気は無いのに抜群の適性を持っているというところも同じ。
 カネキ君も無理をしなければきっとこういう生き方をしていたんじゃないかな。

 三人目はウリエ君、ここからかなりカネキ君との共通項が多くなっていきます。
 高い知能を持っている事、基本的に本音で話さないこと、大きな力を求めている事あたりが強調して描かれている部分でしょうか。
 初期の頃はひねくれ者というか、何かをこじらせた幼稚な部分が目立った彼ですが、その本質は思いやりのある頑張り屋さんであり、シラズ君退場後からは主人公的役割を引き継ぎ実力と人望を併せ持つ素晴らしいリーダーとして成長していきます。
 感動的なのはウリエ君を完成させたのがあらゆる面で自分の一歩先を行くカネキ(ハイセ)やサラブレットのライバル的人物タケオミではなく、劣等生っぽいところがあるシラズ君だったところでしょう。
 新たに何かを獲得したのではなく元々ウリエ君の内にあったものがシラズ君の懸命さによって呼び起こされ、本来のウリエ君の魅力を感じられるようになった。
 表面的なところはほとんど変わっていないのに、これほど大きな変化を感じさせるのだから作者の力量の高さを感じずにはいられません。
 カネキ君でこれをやろうと思えばできたんでしょうね、やらなかった理由については次のメンバーのところで考察します。
 ちなみに私は東京喰種のキャラクターの中ではウリエ君が一番好きです。

 最後はトオル
 他のメンバーのように共通項を見るなら良い子ぶった嘘つき、メンヘラ気質、臆病などといった点が挙げられます。
 トオルはかなり異質な存在で、クインクスメンバーの中で唯一読者に好かれる要素が描かれていなかったり、心理描写が無かったりと不自然なところも目立ちます。
 物語的にはそれがトリックとなり後にちょっとした驚きを与えてくれるのですが、正直に言って別に面白くはない展開でした。
 クインクスメンバーは(私の考えでは)分割されたカネキ君ですから、このトオル要素こそがカネキ君を魅力的に描き得なかった原因と考えられます。
 すると当然作者は何故こんな要素を取り入れたのかという疑問が湧いてくるわけで、そうして考えてみるとそれほど苦労せず結論に至ることができました。

 他のクインクスメンバーがわりとスタンダードな主人公像を持っているのに、トオルだけが異質なのはそこに作者の自己投影があるからと考えるのが妥当でしょう。
 トオルがカネキの一部要素を引き継ぐ存在であるようにカネキは石田スイ先生から抽出した要素で作られているキャラクターですから、カネキからシラズとサイコとウリエ要素を抜いて残ったトオルの要素が石田スイ先生が自分自身に対して感じている個性なのではないかと考えられます。
 トオルの魅力的な部分が描かれていないのは二度も抽出を繰り返したことで濃くなった結果露悪的になり過ぎたという感じだと思います。
 良い面と悪い面を併せ持つ中途半端なものをリアルな人間像だとすると、その一部を抜き出してきた漫画的な人間像は何かと善悪どちらかに寄りすぎるのは当然と言えます。

作者はカネキを描くことに失敗した

 毒素を凝縮したようなトオルが魅力的に描かれなかったのとは違い、カネキ君にはまだリアルな人間由来の良い成分もまだ沢山残っています。
 なので描こうと思えば描けたはずなのですが、作中のカネキ君といったらなんか追い詰められると大抵暴走していたり記憶が無かったりという方向に逃げてしまって全然本心を見せてくれませんでした。
 ここまで来るともう描かないのではなく描けなかったのではないかとしか考えられません。
 根拠の薄い憶測になってしまいますが、作者の石田スイ先生は自分が成長したという実感が無く、聞いた話や本を読んで人が成長するような体験というものを情報として理解しているだけで実体験としてのエピソードは持っていないんじゃないかなと私は考えています。
 サブキャラを魅力的に描けていたりスピンオフでヒソカを描いたりできるのは頭が良くて理解力が高いからでしょう、それなのに主人公ではそれができないとなるともしかして投影している自分を描くための「経験」を持っていなかったんじゃないかなという考えに至ります。

 就職面接とかで学生の頃力を入れた事などを語る時、何かしらの経験から何かを学んだエピソードをでっちあげて話した経験が誰しもあるでしょう。
 東京喰種におけるサブキャラの描き方はそういうものに似ています。
 こういう状況でこういうことが起こったらこういう風に感じてこういう学びを私は得るだろう。
 そういうシミュレーションの結果として作り出した物語を面接官に聞かせてある程度納得させたわけです、学習の結果により多くの人が身に付けることができる能力と言えます、話の出来の良し悪しはともかく。
 サブキャラならそれで問題は生じません、しかし詳細に描かなければならない主人公で、しかもよくいるタイプの人物像ではないとなるとそういうわけにもいかないのです。
 何かを学ぶということは前例があることを前提とした行為ですので、無ければ自分で前例を作るところから始める必要があるんですね。
 ここで言う前例とは経験のことです、スタンダードな主人公像であれば経験が無くとも多くの人に語られて評価されてきた資料が山ほどありますから実体験に近しい情報量を学ぶことも可能でしょうがそうじゃない場合は自分の経験だけが頼りになります、努力してどうこうできることではありません。
 石田スイ先生は経験がないまま、どんなことがあったら自分は心から変わることができるのだろうかということを探し求めながら漫画を描いていたんじゃないか、そういう結論を持ちました。
 残念なことにそれ結局見つからずに物語は終わりました。
 カネキ君にはもっと素面で自分の考えを語ってほしかった、好きになれるくらい自分を見せて欲しかったと思います。

カネキの上位互換

 主人公なのに描写が薄いから私はカネキ君を好きになれませんでした。
 多分それは私だけではなくて作者もまた同じだったと思います。
 クインクスメンバーが主人公の役割を肩代わりしていたのはカネキ君が記憶を失っている間だけでしたが、実は記憶を取り戻してからもカネキ君に主人公的役割が戻ってくることは無かったんです。
 石田スイ先生は物語の中心的な歯車としてカネキを働かせておきながら、亜門、月山というキャラの立ちすぎた二名のサブキャラが主人公のお株を奪うという展開を描いてしまったんです。

 まず亜門さんの事から行きましょう、初登場時は物凄くモブっぽい顔をしていた亜門さんはわりと急速にライバルキャラとして顔も性格も精悍に描かれるようになっていきました。
 具体的な流れは省きますがなんと亜門さんも半グールとなり、人とグールの間で思い悩む役割を奪い去っていきます。
 おかげでカネキ君は年長者が用意してくれたレールに乗っかるだけで良くなり、また一つ読者からの距離感が大きく離れていくことになってしまいました。
 亜門さんがその後何か明確な答えを示したわけではありませんが、答えの見つからない苦しみを最後まで持っているのが主人公の格ってものでしょう。
 ライバルキャラとは言ってもこれを持たせちゃったら亜門さんの方が成熟してて素敵に見えちゃうだろ。

 もう一人の上位互換である月山さんに関しては無印東京喰種のラストにカネキ君が陥っていた状況そのまんまの状況に置かれ、非常に納得感のある決断と行動によって人の思いを汲む姿を見せてしまいました。
 それはカネキ君の過去の間違いを非難するようでもあり、この展開には何か言外に表現したいことがあるのだということを示しているように思えます。
 私はここから面白キャラとして描かれることが多い月山は石田スイ先生の憧れの人物像なのではないか、という印象を持ちました。
 だからあからさまに上位互換みたいな描き方をしたのではないかと。

 作中の人物たちからは侮られがちな月山はそのスペックの高さを度々語られていますし、読み返してみると近しい人物(使用人など)からの評価が非常に高いことに気付かされます。
 最初に読んだ時はそれを月山パパに対する忠誠心の余波のようなものと考えていましたし、実際のところ確実にそういう部分もあると思います。
 しかし、命を懸けて月山家を守る使用人たちが今際の際に呼ぶ名前は「習様」であり、彼一人生き残れば月山家の再興が可能であると疑いも無く信じているところから偉大なパパと遜色ない能力を備えていることが分かります。
 読者には道楽者みたいな生き方をしている月山の一部分しか見せられていませんがその裏というか、真の姿と言える描かれていない部分の月山はパパのように偉大な人物でもあったのかもしれません。
 そのパパも「人として生きてきた」なんて言いながらしっかり人間を狩ったり買ったりしている清濁併せのむ人物ですからね、そういった点に目を瞑っても余りあるものが彼等にあることが匂わされています。
 ところで紳士的に振舞う月山が美食家を自称するのはブラックジョークなんでしょうか。

 というわけで上位互換の台頭によって完全に主人公の座を降ろされてしまったカネキ君ですが、その後世界の敵と言える存在を打倒しグールと人間の関係を改善することに成功してハッピーエンドを迎えます。
 その敵ってのも内部の争いでほぼほぼ自滅してたんで終わらせるための終わらせ方っていう結末を迎えた感じがあり、そこについてはピッタリな表現があるのでそれを用いることにしましょう。
 ご都合主義エンドです。
 東京喰種はカネキ君の能力不足により頓挫、遂行能力のある人間に役割を引き継いでもらって最低限の残務処理をして終わりました。

 それでもこの漫画は面白かったと言えるのは魅力的なサブキャラが大量にいて、主人公の代わりに重要な役割をしっかり果たしていたからです。
 もしも作者がしっかりとカネキ君を描くことに成功していたら大傑作となっていたことでしょう、次回作には心の底から期待しています。 

評価

 おすすめ度は10点満点で8点
 全体を通しての流れや主人公のクオリティには不満を持つものの、魅力的なサブキャラが沢山いるおかげで中だるみせずどこを切っても結構面白いところが高評価です。

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