本の街を尋ねて
久々に神保町へ行ってきた。私にとって神保町は、恩師と古本屋街を闊歩した思い出の街でもある。初めて神保町を歩いた当時の私は、見るからに貴重そうな本の数々に好奇な眼差しを向けながら先生の後を追った。一生懸命追いかけることがやっとだったように思う。そして、散歩の道中にご馳走してくれた「さぼうる」のアイスティーの風味をやはり5年経っても思い出せないでいる。先生には趣味を嗜む大人な散歩の仕方を教わったと思う。そんな先生は、最後に授業で「来週はここをやってきてください」と言ったきり、二度と授業に出ることはなかった。本当に突然の出来事となった。
先生が亡くなって5年が経つけれど、先生との思い出は記憶の底に染み付いていてなかなか拭うことはできないでいるのに気づいた。今でも、一緒にエレベーターに乗ったとき、先生の数少ない毛の生えた頭が、低い天井につきそうになっていたことを神保町の雑多なビル街を歩くとふと思い出すのだ。
研究室前のロビーでは静かにしてないとならなかったが、アカデミックな話をするのはわりと許容してくれる学部だった。とはいえ、当時は残念ながらアカデミックな話を切り出せる知識も、友人もなかった私には関係ないことだったが。
だから神保町ブックセンターで昼食を食べ終わったとき、ひたすら創作について彼に話す私は本当に私なのか・・・?と疑ってしまった。「伝えたい」意思を持って畑違いの分野にいる彼に話している。本棚に囲まれた中で、コーヒーの濃厚な匂いに唆られて、私の口はいつも以上に動く。動く。
本当は誰かに話したいというより、私の意見を聞いて欲しかっただけなのかも知れない。創作について思っていることを誰かに話してみたかった。普段は私から話すことなどほとんどないので、自分の中であっためていた言葉にならない思考とかが脳内を満たすような。そんなことを思うと、いろんな人が、いろんなことを考えるカフェという場所にロマンを抱いた。遥か昔は哲学者がカフェに集ってコーヒーを味わいながら学問に興じていたというし。
カフェで思考の熱が沸騰し、創作活動の潤滑油となっているのかもしれない。出版された年代もジャンルも異なる種々様々な本が同じ場所に集まるのは、多くの学者たちに囲まれているようだ。これだから本は面白いと思う。創作活動に行き詰まったらすでにその道を歩まれた先輩たちが導いてくれる。カフェと本、学問は昔から密接な関係があったのだ。
亡くなった恩師も、カフェのロマンに魅了されていた。本を蒐集するのがお好きな方だったから。アカデミックな話がもっとできればなぁ・・。本棚に納められた一冊を読むと世界が広がる・・またどこかで見たような文章しか思いつかないのが悔しいけど、神保町を歩けば、NDCのもっと深い部分に分類されたところだったり、貴重書にきっと出会える。掘り出し物が見つかるはず。そんな良い出会いを求めて本好きは神保町に通いたくなるんだろうなあと思った1日でした。
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