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舞台「ロストシング」制作:作品の背骨「テーマを選び」

舞台「ロストシング」を7月22~24日で遊空間がざびぃにて行います。
演出+出演の秋江智文です。

今回の公演はオーストラリアの絵本作家、イラストレーターであるショーンタン氏の絵本を舞台化したものです。アニメーション化されており、短編アニメーション部門でアカデミー賞まで獲得されています。
今回、どんなテーマで、この「ロストシング」を舞台にしようと思ったのかについて書かせていただきます。ネタバレがあるので、ご注意ください。

ロストシングのテーマ

今回のテーマは「失くしたものを見つける(Finding the Lost Thing)」です。
このテーマを見つけるのに、かなり長い時間話し合いがありました。そして今回この舞台で一番届けたいことは、このテーマであると考え、決めました。
単純だと思われるかもしれませんが、思いが詰まったテーマなので、そのあらましをお伝えします。

「ロストシング」って何?

絵本に登場する「ロストシング」は、赤いポットを住処とするヤドカリのようなユニークな生き物です。奇妙で、愛らしい生き物ですが、忙しく、やるべきことがある人には目にとまらない存在です。絵本内では、とても大きな存在なのに多くの人の目にはいらず、視界に入っても殆ど気にも留められません。

「ロストシング」は、翻訳者の岸本佐知子さんの訳では「迷子」となっていますが、直訳すれば「失ったもの」となります。やるべきことができて、失ってしまったもの….そんなものは、有形、無形に関わらず多くあると思います。

今回の舞台製作では、多くの話し合いが行われています。そして繰り返し「一体私たちにとってのロストシングはなんの象徴なのか?」という疑問が議題にあがりました。
俳優達からの答えは、
「想像力」、「挑戦する時間」、「感じる力」、「意味のない時間」、「イマジナリィフレンド」などでした。確か私のそのときの答えは「可能性」だったと思います。

共通しているのは、過去あった(持っていた)けど、今は見えなくなってしまっているものです。

本当に「ロストシング」は失われたのか?

作品の最後にも奇妙な生き物が現れているので、やることがあったり、忙しさに追われていたりすると見えなくなるだけであって、「ロストシング」の存在そのものが消えてなくなっているわけではありません。もしかしたら徐々に見えなくなってくるかもしれませんが、きっとどこかに隠れているのだと思います。

「ロストシング」は見つけられる?

先日、前勤めていた学校の子どもたちを集めて、「不思議な生き物」を描いてと無茶ぶりしてみました。大きな紙を用意したのですが、すぐにみんな大小様々な絵を描いてくれました。
子どもの中には絵を描くことをためらう子もいましたが、時間が経つにつれて慣れてきたのか、みんなの仲間に入って描いていました。
子どもにとって絵本「ロストシング」に登場するような生き物を描くことは造作もないことなのかもしれません。

別の機会に同様のことを大人にお願いしました。しかし、絵を描くことに苦手意識があるのかやんわり断られてしまいました。
絵を描くことは、人によっては苦痛で、恥ずかしくなりえます。けど、そんな人もおそらく子どものときには、夢中で絵を描いていたと思います。いつしか大人になると描けなくなってしまったのでしょう。

絵を例にしていますが、子どものときできていて、大人になってできなくなったことって多くあると思います。何でもない鼻歌を歌ったり、詩を書いたり、なんでもないモノを作ったりすることが徐々にできなくなっていきます。(とかくいう、私も中学で赤っ恥をかいて、歌えなくなりました。今リハビリ中です。)
何でもないことです。鼻歌が歌えなくたって、絵が描けなくたって、そんなものを失ったって、社会生活に何の支障もありません。

でも、ロストシングなんてどうでもいいかと言われると、決してそうではないと思います。
演劇という芸術に携わっている身として信念としてあるのは、どんな人にも自分たちの内側には子どものような自由な創造性や無限の可能性があるということです。老若男女関係なく、ただきっかけや時間を与えれば必ずそれが顔を見せると思っています。

今回の公演のテーマは「ロストシングを見つける」です。
「見つける」という行為は、気付きを与えてくれるものです。ただ受け身ではなく、能動的にならないとできないことです。

見つけようとする作業はとても個人的な作業です。そして何か見つけるということには、個人的な喜びや苦しみなど、様々な感情が伴います。
なぜ見つけるということがこんなに感情を揺さぶるのか。
これが創造の入り口だからだと思うのです。見つけたとき、自分のまだまだできるんだという可能性を感じるんだと思います。

子どもにも、大人にも見てほしい

今回の芝居は子どもも観劇できますが、その親や大人の方にも観てもらいたいと思っています。普段私たちには、山ほどやるべきことがあって、わざわざ見えないものを見つけようとなんてなかなかしません。
でも観劇のときは、他の観客と演者と同じ空間と時間を共有し、自分のロストシングを見つける時間にしてほしいと思っています。
そんな舞台を創りたいと思っています。

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