夫の特性と産後の遺恨*
一昨日は初めましての自己紹介、
昨日は息子について
そして今日は、夫について
書いていきます。
色々書きますが、今は落ち着いた生活ができていて、一応(多分?)関係性は良好ですので、ご心配されませんように。。笑
でも、辛かったことを色々思い出していたら泣きながら書いていました。。
さて、
Threadsって皆さん使われてますか?
Xみたいな広告も見る必要なく
誰かの秀逸な回文・・・
とか面白いことが読めるので
私は一日一回はダーっと読むのですが
まるで自分の脳内が反映されているかのような話題が多く目につく気がするんですよね。。
今日は夫についてブログに書こう、と考えながらThreadsを見ていた訳
で も な い の に
『私の夫はアスペルガーです』
『私の夫はADHDです』
『私の夫はASDです』
『皆さんどうされていますか…我が家はとても大変です…』
『私の夫もそうです。離婚して幸せです』
『離婚してやりました!』
『耐えるしかありません』
我が夫に似た夫を持つ方々の投稿やコメントがたくさん…
そして、そういった夫の発達障害に悩む投稿主さんへのコメントを読んでいてビックリしたのですが、ほとんどの方が障害に対して否定的でした。
息子が生まれる前の私もそうだったかもしれませんが、今、そういったコメントを読むととても違和感があります。
私の息子は聴覚障害があります。
いわゆる障害者と呼ばれるカテゴリーですよね。
発達障害もそうですね。
一昔前は【ADHD】なんて聞いたこともありませんでしたが、私の夫は恐らくADHDで、ここ数年で本人の自覚も芽生えてきたようです。
そのエピソードは話すと長くなるので割愛しますが…
夫がADHDではないか?と感じ始めたのは、息子が生まれて少ししてからです。
初めての子育てで、ただでさえ『死なすわけにいかない』と交感神経フル全開モードの私が夜も授乳でほとんど眠れず、やむなく夫にお願いしたいことが山ほどある時期に、何度お願いの【意図】や【目的】や【手順】や【必要性】を伝えても、一度では絶対に理解されないことや、
『そうじゃなくて、こうしてほしいんだけど』と訂正しようものなら『初めからちゃんとそう言ってよ!』などと逆ギレしてくる、、(言ってたんだよな、、聞いてないのはあなた、、)などなど
その頻度に対して『覚える気あるの?それとも、覚えられないの?自分の子どものことなのに?』と理解できなかった私はふと
『ADHDってなんだっけ、こういう事だっけ?』と気になり調べてみると、色々あてはまり、特に『共感が出来ない』ことにより、『具体的に想像が上手くできない』という理由から全ては起きてたのか、と妙に納得したことを覚えています。
それからは本当に孤独な育児の日々でした。
家族は3人。
1人は耳が聞こえない。話しかけても聞こえない。
もう1人は共感力がない。話をしても響いていかない。
生まれつきの障害だから、誰も悪くありません。この現実を受け入れるしかありません。
実家がすぐ側にあったり、地元の友達が周りにいてくれたら、どれだけ心強かっただろう、と今でも当時の自分を思い出すと心細さに泣けてきます。
加えてコロナ禍だったので、児童館や遊び場などもかなり少人数でしか定員を受け付けていませんでした。それでも居場所として場所を設けてくれていた事がとても救いになりました。
日中は息子と2人で過ごし
深夜に夫が帰宅して
朝早くにまた夫は仕事に行く
夫はそんな忙しい生活でも家事のほとんどを担ってくれていたので、育児にほぼノータッチでも何も文句はなく、本当にありがたかったですが、
親として共感してほしい、
息子について理解して欲しい、
といったところが全く伝わらず、
(伝わるとか伝わらないとかのレベルではなく、他人事、俺には関係ない、へー、ふーん、そうなんだ〜、と何度話しても初めて聞くような態度、つまり全く脳みそに入っていない、ということは知識の応用もできないから安心して赤ちゃんを預けられない、安心感がない、信頼感もない、むしろ不信感が募る日々、いつまでも子育て初心者、永遠に初心者気取り、言い過ぎw、それでも子は育ってゆき対応が変わっていく、いつまでもそのスピードにもついてこない苛立ち)
などが積もりに積もり、月に1度くらい私は自分で自分がコントロールできない程の怒りで爆発していました。
本当に死にたかったし家を出たかったし
1人になりたかった。
ニュースに見る、
産後まもなく線路に飛び込んだりビルから飛び降りる親子、気持ち分かるよと伝えたかった。
あんなに愛おしい10ヶ月を我が子とひとつの体で共に過ごしたのに、こんな気持ちになるなんて信じられなかった。
ただ共に笑いあって子どもの成長を喜びたいだけなのに、どうして一人でそれをしなくちゃいけないんだろう。
そんな風に一人で泣いて一人で悩んでいましたが、息子が生後3ヶ月の頃、ひとつの転機がありました。
区の運営する、産後ケアセンターの存在を知ったのです。
生後4ヶ月になる前日までなら利用できると知り、急いで予約をしました。利用したい旨説明すると、夫にも理解してもらえました。
そこでようやく、安心して息子を預けられる人がいる場所で、心からのんびりして数日を過ごすことが出来ました。利用したのは三泊四日でしたが、心理カウンセラーの方に相談する機会もあり、辛い気持ちを聞いてもらいました。そして、当時の私にとって、衝撃的な言葉を言われたのです。
『子育てが辛いのではなくて、旦那さんの特性が強いから、辛いんじゃない?』
今振り返ると【そりゃそうよ】と言いたくなる言葉ですが、当時の私は冷静にそう考えることが出来ないくらい『なるほど!!!』と納得していました。
何が辛いのか理解されない、共感されない、それが一番身近にいる毎日顔を合わす家族…となると、その辛さは永遠にふくれあがりますよね。
私の育児の辛さはそこだったのか、とスポッと納得がいき、私の心は何故か少しずつ元気を取り戻していきました。
何が辛いのかこんがらがっていたのでしょうね。
妊娠中9キロほど増えた体重は、ほぼ食べない育児生活のおかげで2ヶ月で元に戻りました。この頃とても痩せていました。
食べなくても子どもが可愛いので動けるし生きていました。オキシトシンって凄いですね。
息子が聴覚障害であることを受け入れる過程で、夫がADHDであることも受け入れる、精神的にハードモードな育児だったなと思います。
Threadsでよく見たコメントのように、
『ADHDな人とは上手くいかないわ!』
と言いきれないのは、
『難聴の息子なんて育てられないわ!』
と言えないし言いたくないからです。
障害を持つことは誰のせいでもないはずなのに、簡単に切り捨てる言葉を使う人が多い今の世の中は、とても病んでいるなと思います。(その影響で病んでいた私が言うのもなんですが)
親として夫婦として、いちばん私が求めたい『共感』を夫が苦手と自覚している中で、いかに新しい理想の形を創り出すのか、が私たち夫婦のテーマなのだと思っています。
耳の聞こえない息子に『耳で聞く』ことを求めないように。
手段はいくらでもあるはずだと今では思えます。ただ、あの時は産後で身体も辛かったしメンタルもボロボロだったから難しかっただけで。あの時期を乗り越えられて本当に良かったですが、乗り越えられない人がニュースに出るのも本当に共感してしまいます。いつでも話を聞いて共感しに行きたいと思ってしまいます。私があの時そうしてほしかったように。
夫の紹介のはずが、夫の特性の紹介と産後の恨み節になってしまいました。笑
でもそれくらい、日本中の産後の女性、子育て中の女性の自殺や心中の事件はなくならないことに、なにか自分もできることは無いかといつも考えてしまいます。
夫や息子についてはまた別テーマで書くことも増えるかと思いますが、今回はこれで終わります。笑
ここまで、長い文章を読んでくださりありがとうございました!