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サンティアゴ巡礼路と熊野古道。|姉妹道について
スペインのサンティアゴ巡礼路と、和歌山の熊野古道。
今回の記事では、1998年に姉妹道提携を結んだ2つの巡礼道をあらためて比較してみたいと思います。
■ 1:巡礼道の概要
サンティアゴ巡礼の目的地、サンティアゴ・デ・コンポステーラはスペイン・ガリシア州にありますが、巡礼路はフランスやポルトガルにもあります。
一方、熊野古道の目的地、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)は和歌山県にありますが、京都・大阪を通る道や、伊勢神宮と繋がる三重県を通る道、奈良県の吉野と繋がる道があります。
規模は違いますが、道が多岐にわたっていることは共通していますね。
■ 2:世界遺産登録
サンティアゴ巡礼路がユネスコの世界遺産に登録されたのは1993年で、熊野古道は2004年です。
その後2015年にサンティアゴ巡礼路で拡大登録、2016年に熊野古道で追加登録が行われ、現在の形となりました。
ちなみに、共に自然豊かな巡礼道ですが、その歴史的・宗教的な重要性から、自然遺産ではなく世界文化遺産に登録されています。
■ 3:巡礼の始まり
イエス・キリストの使徒の一人である聖ヤコブは、エルサレムで捕らえられ殉教し、遺体はガリシアまで運ばれて埋葬されたと言われていましたが、その場所は長らく不明でした。
しかし9世紀に、聖ヤコブの遺体とされるものがサンティアゴ・デ・コンポステーラの地で発見されると、その墓を確認するため、アストゥリアス王国のアルフォンソ2世がサンティアゴを訪れます。
彼の指示でそこに教会が建てられ、そのニュースはヨーロッパ中に広まり、サンティアゴへの巡礼が始まりました。記録に残る最初の巡礼は、951年のものだそうです。
一方、熊野古道は滝や巨大な岩などの自然信仰から、熊野の神々への崇敬が起こり、過去・現在・未来を表す熊野三山を巡るという信仰が始まります。
記録によれば、907年の宇多法皇による御幸が最初で、25日かけて京と熊野を往復したそうです。
異国の地で生まれた2つの巡礼が、ほぼ同時期に始まっているのは興味深いですね。
■ 4:巡礼の背景
2つの巡礼が多くの人々に受け入れられたのには、当時の思想的・宗教的背景が大きく影響していました。
サンティアゴ巡礼が始まった頃はイスラム勢力からイベリア半島の奪還を目指すレコンキスタ(国土回復運動)の真っ最中でした。
ある時、聖ヤコブが馬に乗って現れ敵を駆逐したという話が広まり、イスラムとの戦いに勝利をもたらす存在と考えられるようになります。
レコンキスタの進展とともにその信仰も強まり、サンティアゴ・デ・コンポステーラへ巡礼する人々も爆発的に増えていきました。
イスラム勢力の影響でローマやエルサレムへの巡礼が難しくなっていたこともそれを後押ししたと言われています。
一方、熊野参詣は平安時代の院政期に頻繁に行われました。中でも後白河上皇は生涯で33回(34回という説も)も参詣しています。
当時は仏教の重要な思想の一つ「末法思想」によりこの世を厭う風潮が高まり、死後の世界(浄土)への憧れが強くなっていました。
■ まとめ
2つの巡礼道を比較すると、
①巡礼道が多岐にわたっている
②ともに世界文化遺産に登録されている
③ほぼ同時期(10世紀)に成立
④当時の思想的・宗教的背景により浸透した
など、共通点は多いように感じました。
老若男女、国境や宗教の枠を超え、多くの人々を受け入れてきた2つの巡礼道がこうして現在まで交流を続けてきたことは、とてもすごいことだと思います。
この交流を将来に繋いでいくため、引き続き活動していきます!