VT大好きおじさん、昨年を振り返り、新年のご挨拶をする
本年中皆様には大変お世話になりました。私のFFにいらっしゃる皆様との交流は間違いなくかけがえのない宝であると強く思っております。
本当にそれは強く思っているところで、普段頭のおかしい事ばっかり書いてる変なとっつぁんを良くもブロックしないで居るもんだと皆様の懐の深さには驚かされるばかりです。
思えばTwitterも、noteもすべて今年0からスタートでしたねぇ。本当に凄いツールだなーって思ってます。
今年、noteに投稿したのは22件、月で平均すれば4位、初投稿は7/29、平均閲覧数は100、平均ライクは5、閲覧数に対するライク数は5%。
ザッコ! と思う方も居るかも知れませんが人生で初めて文章を書いて、投稿して半年の結果がこれなら個人的には望外の喜び以外の何物でもありません。何より、VT界隈の盛り上がりが無かったらまず読まれなかったでしょうねぇ。そもそも私も書かなかったでしょうけど。
1.今年の振り返り(ただの日記)
切っ掛けは不可解でした。実はそれまでTUBEOUTvol.1の頃からそういうのを書きたいなーってずっと思っては居たんですが、Twitterじゃ長いしなーと思って躊躇していたんですよね。
ほいで、5、6月に国内ドサ回りさせられている最中に不可解のCFが始まって正直応援するつもりではなく、バチャ見てのライブの時に感じた空気を表現したくて投稿したらまあ俺史上稀に見るヒットでしたねぇ。
そこで気がついたんです。多分、この界隈では言葉で細かく伝える需要があるのではって。
んでドサ回り終わってから無い知恵絞ってnote見つけて、仕事の合間にすこしっつ文章書いて不可解前に花譜さんに関するnoteを書き上げて不可解の効果と相まってフォロワー0の得体のしれないオッサンの記事を100件位閲覧してもらえました。スゲえ! 花譜さんスゲえ!
当初の目的はバーチャルという場における新たな表現技法の広がりに感じた可能性を伝えたい、というところでした。それは今でも課題として挙げられるのですが、現状としてVTの登場、不可解というライブ以上のエポックメイキングな出来事はまだありません。
勘違いしてほしくないのはそれが停滞や衰退を意味するところではないという事です。確立された手法において行われるそれらの中身は1年前に比すればクオリティや集客、そして盛り上がりという点で圧倒的なモノとなっています。
そうした中で各クリエイター達はお互い切磋琢磨しより良い物を作り出す姿を私達は目の当たりにすることができていると思います。
新たな表現技法という点に関して言うなら去年得られた最大の収穫は「配信という行為は作品たりうる」という見識でしょうか。それはVTの本質に迫る上で多分大事なパーツとなるでしょう。
秋頃から観測者達との交流によって、花譜さんに関する色んな妄言を吐いてきましたねぇ。ラプラスを意味として考えるならばそれは確立された過去を示すのではないか、とか今見るとコイツ沸いてんのかなーって感じです。
そこら辺からVTの本質ってもんに興味がわいたんですよねぇ。そもそも、表現技法としてのVTという観点を持った時に生まれた疑問でもあるわけで、アクターとアバターの関係から生まれた存在とかなんとか。
合わせてVT界隈の動向と個人の体験から生まれたおじさん達がVTを見ない理由も一つの転機でした。
2.総括と今後の指針的な何か
今年1年の記事を総括するならば「VTという新しい流行を文化とする」事に対する問題提議でありました。それが視聴者のスタンスであるとか、個々に対する評価だったりしました。
その上でそれがどうなるか、個人の実感として得られたのは「アバターを着用した活動」というものはおそらくこの先もなくなることはないだろうという事ですね。
その上で視聴者がすべき事はどっかでも書いたのですが、まず「各々が持てる手段で支援し、彼らの活動を評価する」ことから始めるべきではと思います。有形無形の支援はいつでも必要だし、出来る限り沢山の言葉で彼らを表現し続ける事の重要性はなくならないでしょう。継続的にそうした事を書けたらいいなーと思います。
合わせて色々な毀誉褒貶がありましたね。おそらくこの先も多くのチームが経済的に行き詰まって破綻するし、人間関係やらが原因で引退するVTも増えるでしょう。それはVTという概念から切り離して考えるべき問題に過ぎない事は当たり前の事です。経済的に行き詰まるのは新しい分野の産業ではよくある事ですし、それを真剣に対応するのは当事者達の仕事です。人間関係の問題なんてもう種族的な宿命ですよ。それを簡単に解決できるならノーベル平和賞なんて必要ないでしょうね。個々人の問題は個々人がどうにかするしかありませんでしょう。
だから基本的に自分はそれらに対して何か言う必要があるとは思ってません。それを解決するべきなのは、出来るのは向こう側の人間だけです。
なら視聴者は基本的には楽観的に彼らを応援すべきでしょう。朝出勤したらやたら自分の仕事を心配してこっちを突いてくる奴がいたらどう思います? 余計なお世話だ! 英語の言い回しの通りですね。
お前の仕事じゃねえ!
※20201/1加筆
不干渉以外を認めない書き方をしてしまい、少々自分のスタンスとずれていた事をご指摘いただきましたので加筆させていただきます。
問題解決は当事者達の問題であるが、問題に対する評価は個人の自由です。また問題が道義上問題あれば道徳上指摘すべきです。
ただ、現在の界隈で見られるような、ことさらに騒ぎ立てたり問題の解決の役に立たない感情的な言動は慎むべきであろう、と申し上げたいのです。そうする前に、それを我が身において考えてどう思うか、それが何か状況を好転させることになるかを考えるべきではないかと思います。オワリ
とりあえず来年の目標は「界隈に蔓延する悲観主義を一掃する」。という大目標を設定します。絶対ムリだけど。
あわせて価値観の創出という事にも挑戦し続けなければならないのかなと思います。それは私個人では出来ないことですね。
視聴者というのは土であります。どれだけ栄養があってもスカスカすぎる土壌には巨木は育ちません。自分が他人を動かせるなんて誇大妄想を持つには圧倒的に無力であるという実感しか無いのが現状です。
そういえばこの前書いた価値観に関するnoteでちょっと反省する所があって、それは説教臭すぎたという所でしょう。少し急ぎすぎる文章は押し付けがましく、反感を抱かれたとしても仕方のないものでした。
自分でも言ったとおりそれは個々が育むものであって、押し付けるものではありません。だからそれを納得出来るような実例を踏まえて、それがどれだけ大事なものなのか証明する必要がありました。その上でVT界隈を豊かにする価値観の醸成を実例から示せれば良かったのでしょう。
そ うしたら、いずれ皆が価値観を持ち寄って作品を品評しあえるアート・ワールドが形成されるかもしれません。
3.続いてく(だろう)世界を臨み
まだ2年、と自分で言っておきながら少し焦っていたのかもしれません。
そういえばこの前、ふと思ったのですが「おそらく自分が今死んだとしても、VTは色んな人達が大事にしてくれるんだろうな」という謎の安心感を得ました。
それは多分、TLに流れてくる真剣にVTに向かい合う色んな人達の姿を見ていたからでしょう。
配信を真剣に考えてそれを作品と呼べるクオリティに仕上げる才能ある配信者達。新しいVTという媒体で様々なクリエイティビティを発揮するクリエイター。そんな彼らに惜しみない支援をするファン達。
そんな彼らの姿を見ていると何か自分にも出来ねぇかなといつでも考えさせられています。
それは個々のVTと向かい合う時により強く感じることでもあります。
合わせて記事を書く上での初心である「自分は1視聴者に過ぎず、他者に何かを強要できる立場ではない」事、「常に自分は正しくない可能性を祕めている」事を何度でも自覚しなければなりません。
今年も突然わけのわからないことをブツブツ言い始めてTLを汚染することと思いますが、カジュアルに突っ込んで頂けるとありがたいです。
昨年中は格別のお引き立てを賜りまして、厚く御礼申し上げます。 本年も変わらぬご愛顧のほど心からお願い申し上げます。
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