先が見えなくなったあの頃⑦
1ヶ月後に母親が様子を見に来る事になった。
偶然なのか何なのか、母親が結婚する前の若い頃に仲良かった友人が現在自分が住んでいる隣町で生活しているらしく、久々に会いに行きがてら様子を見に来るとの事。
たまたま最近その友人からかなり久々に連絡が来たらしく、母親が「今そっちに息子が住んでるよ」と話したのがキッカケで日取りが来月に決まったらしい。
そして、何もハッキリしない通院を続けているうちに少しずつ先生もどんな症状なのかが見えて来たようで、「恐らく軽度のうつと社会不安障害だね。可能であれば業務数を減らして貰って、アレもコレもと頑張ろうとしないように。出来る時にやろう。無理したら余計悪くなるからね。」と言われたと思う。
後になって分かった事だが、メンタル系というのは診断がとにかく難しいらしく、カウンセリングの中で慎重に判断していく必要があるようだ。
だから、中々ハッキリしないというのは割と普通のようだ。
そして、Nさんに母親が近々来る事を伝えた。
Nさんは「良かったね!それがキッカケで何かしらの糸口が見えると良いね!」と言ってくれた。
そう、ここで何かが変わってくれれば。
この段階での状態はというと、夜はサインバルタを飲むのをやめた。夜中にまたラリったような状態に陥るからだ。
色々な常識と思考力や生活力が無くなっていく中で何とか日々をこなしていた。
毎朝、明るくなった外を見て絶望を感じ、鉛のように重くなった体を何とか四つん這いのような状態にし、這って洗面所に向かい、洗面台に捕まって立ち上がり、何回もえづきながら歯を磨き、そこから壁伝いに移動して薬を飲む。そして、少し楽になった所で身だしなみを整えて出勤するという状況だった。
夜は相変わらずいつもと同じ弁当を食べ、薬の効き目が無くなる前に風呂に入る。そして、精神安定剤だけを飲み、0時に近付くにつれ襲われる恐怖と焦燥感を誤魔化すように携帯弄ったりして、寝落ちする状況だった。
そして、いよいよ母親が来る前日。
僅かに残っている気力と思考力を振り絞って家の掃除をした。後になって思えば、1時間ちょっとで終わるような内容がとんでもなく時間が掛かって少し焦っていたのを覚えている。
途中しんどくて泣いてたと思う。
そして、当日の朝を迎えた。
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