ロプンの「なぜ人を殺めてはならないのか?」
国はもとより一般的な宗教はどこでも、人間の生存権を守る、もっと言えば平和的生存権をとても大事にしていると思う。恐らくその理由は、「国家の義務だから」とか「人を苦しめてはいけない」とか「条件なしに人は愛されるべき」などだろう。ではなぜそうなのか、ここでは特に「なぜ人を殺めてはならないのか」に関して、私なりに。
私にとって輪廻とは「快感の追求」の事。
「栄華を極める事」が「快感の追求」で
あったり、逆に「隠遁修行」の深い瞑想が
「快感の追求」にもなる。
不快すら「快感の追求」のためだったり。
「快感」は生まれながらにして私達の
行動の動機であり、これは死ぬ瞬間まで
そう。
もしストレスなく、「快感の追求」に
満足して一生を終えたなら、その方の人生
は幸せだったと、ご本人も周りの方も
その死を看取るだろう。
この「快感の追求」が、自分にも他人にも
ストレスなく、満ち足りて自由に行える
権利が、生存権また平和的生存権だと思う。
「人が人を殺める」事で、その楽しんでいた
「快感の追求」を他人が、その利害関係や
何らかの目的、時には無意識に、強引に
奪うのは、死への不安や恐怖という生きる
上で経験する絶望の最たるものを与えると
いうのは、この輪廻で最悪の行為だと思う。
だから生存権は「国家の義務」だし、
自他に加害やストレスを加えない限り、
快感を求める「人を苦しめてはいけない」、
「条件なしに人は愛されるべき」だが、
自他に加害やストレスを加える権利は、
誰にもない。
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