ロプンの仏教哲学は未来に託す
お釈迦様が仏教の教えを説いて早2500年!その時代にはじまったものが姿カタチは変わっても今だに残っているのは、やはりとんでもない事。さらに言えば、その哲学は時代と共に、また科学と共に歩んで来た。説一切有部や経量部の存在論は原子で世界が出来ている「原子論」的なあり方を唱えたし、中観派は現代の量子論とまでは言いませんが、その原子すら絶対的存在でなく、相対的、相互依存においてのみ成り立つ存在と主張しました。
こういう仏教の哲学が世界に広まり、
「科学を否定・対立する宗教」じゃなく、
「科学と協調出来る宗教」のイメージが
定着した仏教。例えば、古代インドでは
須弥山という大きな山があったとされて
いたので、世親菩薩の倶舎論の世界観でも
そうでしたが、今はそうした山はない。
その当時正しかった事が、今は違うという
当たり前の事を受け入れられる、そこを
ヨーロピアンは評価しているし、科学者が
仏教に興味を持つ所。
チベット仏教と西洋の科学者の対話に
参加した時、「仏教問答を見たい」という
科学者を前に、問答した事もあった。
実際科学者以外も信仰より哲学に惹かれて
チベット仏教を学ぶヨーロピアンは多い。
ところで、科学では存在論と認識論が
別々に研究されて来たが、仏教では
セットだ。研究が進めば、唯識派が
主張する存在のあり方も確認されるの
だろうか?
今後の科学の発展に期待!
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インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。