コロナ感染日記 - "軽症"感染者が感じた恐怖

私は3月に入ってから、基本的に特定の人としか会っていませんでした。移動も自転車か自家用車しか使っていなかったにもかかわらず、新型コロナウイルスに感染してしまいました。
海外の専門家の話によると、重症化しやすい期間は症状が出始めてからの7日目〜10日目らしいです。私は重症としてカウントされませんでしたが、もっとも症状が重かったのはまさにその期間です。
しかし、症状が一番重かった時は医療を受けることができず、家で不安を抱えながら過ごしてしまいました。その後も、症状が治っていたのに入院し病床を占領したりして、全体的にモヤモヤするところが多かったのです。他の患者、アフターコロナの振り返りまたは何かの改善に役立つといいなと思い、一連の経過を残してみました。

【概要】

3/22から4日間の微熱→1日の平熱→3日間の高熱→一般外来→PCR検査→陽性反応→入院→ホテル療養→帰宅→1日高熱→元気(4/22時点)

【症状】

・強い倦怠感
・味覚障害
・高熱時は関節痛と皮膚のピリピリ感が強かった (普段の風邪もそうだったので、コロナというより個人的な症状かもしれない)
・胸に違和感あり、何かの硬いものに強く押しつけられているような感じ (肺が痛いという意味ではない)
・肺に影(レントゲンとCTの結果)

【行政の対応】

・救急車の送迎も病院の対応も丁寧で気遣いがとても有り難かった

・病院の環境もホテルの環境も軽症者にしては贅沢なくらい良かった

・PCR検査から入院、そしてホテルへの移動通知などは全て直前連絡で、いつ連絡がくるかわからない中、ただひたすら待つだけで不安だった。連絡は「今から1時間で移動してください」などととても急なものだった。

・慌ただしくホテルへ移動することになり、少しネガティブな気持ちになっていたところ、小池知事からの達筆な手紙を渡され、それまでの疲れが一瞬で吹き飛ばされてしまった

・4日間以上熱が続かないと電話できないという制約とPCR検査スピード(一般外来で肺炎症状を確認されてから結果が出るまで 実質4日間もかかった)のせいで、最も辛い時期は家で不安を抱えながら過ごした

・結果的には入院した時には既にほぼすべての症状が治っていた。タイミングがいろいろとずれまくった

【疑問】

・四日間の発熱がないと保健所に電話できないというルールは本当に適切なのか(医療システムを守るのはわかるが、それで治療のチャンスを逃して亡くなる人命は?)

・子供のいる家庭は、もし親二人とも重症になったらどうするか
・母子家庭は家で療養する以外は本当に選択肢がないのか
・ホテルでの感染者同士への扱いが正解なのかは少し疑問
・再感染がないと言われたが、本当なのか…

・毎日保健所から自宅やホテル待機の感染者への体温確認電話がかかってくるのだが、他の方法はできないのだろうか。ただでさえ今は大変な人員不足のはず

【日記】

3月22日 違和感
     夕方から胸に違和感あり、何かの硬いものに強く押しつけられているような感じ

3月23日 微熱
     朝から37.1〜37.5°Cの微熱。それに対して半端ない倦怠感。全身の皮膚がピリピリ痛い。そして、嫁も微熱。子供の様子も少し怪しかったが、熱はでなかった。

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3月24日 やはり微熱
     全身皮膚のピリピリ感がピークに
     嫁も微熱

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3月25日 コロナ疑い
    食事をしても味をわからないことに気づき、さすが保健所に電話しようかなと思ったが、発熱が4日間以上続くという条件あるらしいので、待つことに。嫁の熱が下がったが、空咳がはじまった。子供は普段と変わらず元気だった

3月26日 保健所に電話
     ここで4日目になったため、保健所に電話。しかし、一般外来に行ってくださいと言われたため、安易に行ったら他人に移すのではないかと思い、もう少し様子を見ることにした

3月27日 発熱が止まった
     発熱が止まったため、ひと安心。しかし全身皮膚のピリピリ感が止まらない。

3月28日 いきなり高熱
     朝から38.5°C超。脚の関節痛がひどい。
     いよいよコロナではないかと思い、急いで家族所有の空き家に移って自己隔離

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3月29日 今年東京の初雪? 日曜日のため一般外来に行けず

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     相変わらず症状が悪化、少し息切れも感じる。はじめて恐怖感を覚えた
     しかし、日曜日は一般外来はない
     万が一の場合を考え、家族にビデオレターでも残そうかなと思ったが、熱で辛すぎてそれすらできなかった
     ただ一つだけ、しっかり食べないといけないと思った。海外の医療従事者によると、低年齢層の重症化患者の多くは発症前に疲労状態や栄養不足(特にタンパク質)などの共通点があったと言われている。
     ウイルスと戦える体力を蓄えるために、いくら味覚と食欲がなくても、しっかり食べるように頑張った。ちなみに、タンパク質の摂取に関してはコンビニのサラダチキンが大活躍!

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3月30日 朝一最寄駅付近の内科に。
     朝8時頃、他の患者は一人しかいなかった。事情を説明したところ、すぐ別の部屋に案内された。レントゲンの撮影では肺に影があり、肺炎症状があるということで、病院から保健所に連絡入れると言われた
     一旦帰宅してで保健所からの電話を待ってくださいと言われたが、一日中ずっと電話待ち(その間まだ電話来てないかと病院から何回も確認された)。最終的に夕方頃にやっと保健所から電話がきて、その日の検査はもう間に合わないと言われた

3月31日 いよいよPCR検査に
     微熱で少しうれしかったところで、保健所から電話があって、PCR検査の案内だった。指定された病院に行き、エレベーターには乗れないため(検査を受ける人のための専用通路)階段を登ったらものすごく息切れが激しかった

     CT検査とPCR検査を終え帰宅途中、突然辛くなり運転もできなくなった。車を路肩にとめて解熱剤を服用してしばらく安静にし、やっと家に帰ることができた(体感的には39度以上の熱があったと思う)

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4月1日 微熱

4月2日 平熱

4月3日 入院
    
    午後保健所から連絡あり入院することになった。すでにだいぶ楽になっていため、自家療養でも大丈夫かと聞いてみたが、基本的に入院だと言われた。そして、迎えに来てくれる車は家の前ではなく待ち合わせ場所の指定もできるということでその気遣いに感謝
    専用の福祉車両に乗り、病院に移った。同じ車にもう1名年配の方もいたが、病室はそれぞれ個室になった

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4月4日 家族も検査を受けに
    私の体調は劇的に回復したが、今度家族も検査を受けることになった
    ジスロマックという薬を処方された。服用期間は3日間
    レントゲン、血液検査も受けたが、特に血液検査の結果では炎症に関連する数値はあまり高くないと言われた(担当医も不思議そうに言ってた)

4月5日 快調
    平熱で倦怠感もなくなり、普通にノートパソコンで仕事できるようになった

4月6日 普通すぎて落ち着かない
    病室のテレビで病床数が足りないなどの情報を見て、私のような軽症者がこのような個室を占領してしまって良いのか、落ち着かない
    そして、夜になると隣の病室から辛そうな声が聞こえてくる…
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4月7日 この日も普通
    嫁と上の子は陽性という連絡があった。預けられるような親戚がいないのと、母子分離は年齢的に難しいことを保健所に伝えたら、しばらく自家療養することを許された。だが、もし嫁が重症になったらどうしようと思い、いろいろ調べてみても参考にできる情報はなかった。

    ちなみに、下の子の結果はまだ。超濃厚接触だと思うので、陽性で間違いなしと思っていた。

4月8日 この日も普通
4月9日 この日も普通
    下の子の結果がやっときて、陰性だった。なぜだ…

    幸い、埼玉の親戚が定期的に食料品を玄関の外まで届けてきてくれていたので、親子そろってひたすら家に籠る生活ができた。でも、このような親戚が周りにいない家庭はどうしているのだろうかとか、やはり買い出しに行かざるをえないのだろうとか、感染リスクとか想像するだけでゾッとする画像10

4月10日 ホテルに移動
    PCR検査やレントゲンを受け、2回目のPCR(2回陰性出れば退院)は来週になるななどと考えていたら、突然ホテルに移るという連絡がきた。
    そして、救急車で日本橋の東横インに搬送された。運転手は防護服、車内は全面的にビニールシートに覆われた状態

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    ホテルで職員から受け取った封筒の中に、入居者マニュアルや温度計の他に、なんと都知事からの手書きの手紙(コピー)も入っていた。若干の車酔いも疲れも一瞬で吹き飛ばされ、元気に

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4月11日 ホテルも快適
    病院と違い、弁当が美味しい、お風呂がある、Wi-Fiもあるということで、仕事しながら快適に過ごした

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    1つだけ、食事の時間になるとフロアごとに1階のロビーまで取りに行かないといけないのでエレベーターの中は「ザ・密」の状態になる。そして電子レンジの前も行列ができていた。感染者同士なら別に良いかなと思いながらも少し違和感を覚えた。

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    2回目のPCR検査を受けた。そして病院から連絡きて、1回目の検査結果は陰性だった

4月12日 帰宅
    PCR検査のスピードも上がったか、2回目の検査結果も陰性だった

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    そのまま電車で帰宅

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    軽症とはいえ家族はまだ再検査を受けていないので、保健所に大丈夫かと確認したところ、一回感染すれば基本検体ができるので、もう感染することはないと言われ、やっと家族と再会

4月13日 普通の家庭生活
     久々すぎて、普通の生活と言えども、感動

4月14日 いきなり異変が。。。
     朝からいきなり38.5°Cの高熱になった。そして全身ピリピリ、胸の押し潰れ感がまた襲来。午後解熱剤を飲んでも37.5°Cまでしか下げられなかった。夜はまた38.8を超えた      
     最悪な気分に

4月15日 平熱だが不安
     平熱で元気になった
     しかし、再感染なのか再燃なのかただの風邪なのかもわからず、不安が残ったまま。そして家族も陰性が出るまで、しばらくビビりながら家で籠り続けるのだ


【感想】

今回の新型コロナウイルスは本当に謎が多い史上最強のウイルスではないかと思います。一当事者として強く未知の恐怖を体験しました。

他の感染者の証言や自分の実体験を踏まえて、今回の新型コロナウイルスの特徴をよくこのように喩えます。”まるで大きいなネコ科動物の狩猟風景のよう”です。静かに忍び寄り、攻撃範囲に入ったらその瞬発力を活かして一気に獲物に襲いかかるライオンのようにも見えます。政府の初動が遅いとか、タイムリーに検査と治療を受けることができなかったとか、昔から自然災害と戦ってきてリスク管理に長けるはずの日本社会がこのウイルスに翻弄されまくっている気がします。

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ちなみに帰宅後、ちょうど以下の記事を見つけました。もう少し早くこのような情報を入手できれば、療養所から出た後にまず自己隔離してから家に帰るという選択もできたかもしれません。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200415-00000004-binsider-int&p=2

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状況が日々変化している中、もしかして私の境遇はまだ贅沢な方だと思われるかもしれません。私もそう思っていますし、なるべくこの文章を何かに対する批判として捉えないでほしいです。炎上も勘弁です。

全体を通して、親切に接していただいた医療従事者たちや療養施設のスタッフたち、そして精神的に疲弊していた際に達筆の手紙をいただいた小池知事に感謝しています。ただ、こうやって生きて情報を伝えられるのは重症にならなくてラッキーだったという要素もあり、現時点の体制は全ての感染者に必ず適切な治療を提供できるとは限らないという点を皆さんに認識して欲しいです。なので、

・なるべく自分自身が感染しない

・しっかり寝る、しっかり食べる(特にタンパク質)

・もしかして自分も?と思った時、仮陽性だと思って行動する

・なるべくウイルスの伝染媒体にならない

これらこそが医療従事者への支援、そして他人の命を救うには最も重要なことだと思います。

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